映画『はだかのゆめ』

映画『はだかのゆめ』(甫木元ほきもとそら監督、2022年。以下、本作)は、タイトルが示すように、「眠っているときに見る夢」のような物語だった。

約60分の「夢」には、一応、ストーリーというか設定みたいなものがある。

四国山脈に囲まれた高知県、四万十川のほとりに暮らす一家の人々。
祖父(甫木元尊英)の住む家で余命を送る決意をした母(唯野未歩子)、それに寄り添う息子ノロ(青木柚)。
嘘が真で闊歩する現世を憂うノロマなノロは、近づく母の死を受け入れられず徘徊している。

本作パンフレットより

徘徊しているノロは度々、酔漢(前野健太)に出会い、不思議なやりとりを交わす。
この辺りが「夢」を想起させるのだが、映像というか編集にも特徴がある。
それは、パンフレットに掲載されている小説家・保坂和志氏の寄稿文でこう説明されている。

この映画は接続詞で繋がれない。映画にも接続詞があったんだと、この映画を観ているうちに気がついた。

本作パンフレットより

実際、我々が普段見ている「夢」にも接続詞がなく、関係しているかどうかわからないまま、何かの場面の断片が繋がったような夢を、無条件で受け入れている(だから、観終わった後に夢から覚めたような感覚に陥る)。
しかも、本作は本当に「夢」であって、「ただのデタラメ」ではない。
そんな作品を「映画」として成立させた甫木元監督は凄いと思う。

上映後のアフタートークに監督とともに登壇した保坂氏は、本作について「答え合わせをしてはいけない」と言ったが、確かに、実際の「夢」は答え合わせしない(「夢占い」「予兆」といった角度から解釈を試みることはあっても、それは「答え合わせ」ではない)。
しかし、とは言え、本作は「夢」ではなく「映画」なのであって、どうしても何か「答え(或いは"監督の主張")」を求めてしまう(求めようとしてしまうこと自体がデタラメな作品ではない証拠)が、考えれば考えるほど「やっぱり夢だ」という気持ちになってゆく。

これが「夢」だと納得させられるのは、アフタートークで監督自身が語ったように「生きているのか死んでいるのかわからない人たちしか出てこない」からで、そういう存在の者たちが揺蕩たゆたい、また一見、普通に生活しているように描かれているからだ。
ただ、その中にあって明らかに「生きている者」として存在するのが、90歳を超えた甫木元尊英氏であり、だから、ラストの彼のセリフで観客は夢から覚める。

その存在感が圧倒的なのは、彼は生まれてから90歳を超えた現在まで本作の舞台の土地で生きてきたからである。
彼は甫木元監督とここ5年ほど一緒に暮らしている実の祖父で、監督曰く「最初は祖父のドキュメンタリーを撮ろうと思った」というほどの圧倒的な存在感を放つ。
そもそも本作は、甫木元監督が祖父と同居するきっかけをモチーフとしている。

(主人公の)ノロは、甫木元監督自身を投影したような人物だ。監督は2017年ごろ、余命宣告を受けた母の看病で高知に移住した。「母は洗濯したり、コーヒーを作ったりと気丈に振る舞っていたけど、徐々に体調が悪くなっていった。でも、僕は何かができるわけでもなく、(亡くなってから)ああすればよかったと後悔が出てきたんです」

朝日新聞2022年11月25日付夕刊 甫木元監督インタビュー記事

だから本作は、祖父が娘である監督の実母と暮らしてきて、そして娘を見送った後もずっと暮らしている「土地の歴史」を記録しているとも言える。
それは本作の菊池信之氏による音響設計の素晴らしさでも表現されていた(映画館で体感できてよかった……)。

「土地の歴史」については、保坂氏もパンフレットの寄稿文で触れている。

この映画は、それが土地と風景に、いわば還される。土地があり、土地に生きた人にはその土地がある。

本作パンフレットより

同じようなことは映像作家の小森はるか氏も言っており、それは彼女が撮るドキュメンタリーについての想いだったが、結局ドキュメンタリーもフィクションも、土地があり、(フィクションでの設定上においても)そこで暮らす人を撮っているという意味で、どちらも作品は「土地に還す」ために、というより結局、土地の記憶みたいなものを映すために作品が作られるではないか、と、ふと考えた。

自分の作品の未来ということを考えると、私の場合は、「最後は、撮らせてもらった人のいた土地に、残っていったらいいな」という気持ちはあります。その土地の誰かが映画を見て、「ここに映っている人に出会えてよかった」「こういう時間が、この土地にあったんだな」と感じてもらえるようになれば、と。記録として残すというより、土地に還っていくものになればいいなあ、という気持ちは常にあります。

「理想の瞬間はなかなか訪れない 小田香×小森はるか×草野なつみ」
「文学界」(文藝春秋)2022年12月号


メモ

映画『はだかのゆめ』
2022年12月22日。@シネクイント (アフタートークあり)

本作で母親が洗濯物を干したり、網戸にひっついたまま動かないカエルに優しく話しかけたりしている姿を見て、実家の両親を思い出した。
幸い二人とも健康だが、そういうことではなく、二人は私が本作を観ているこの時間も、自身の暮らす土地で淡々と生活を営んでいるということが、何だか切ないというか、愛おしいというか、そんな風に感じていた。


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