思い出が"宿る"写真~映画『おもいで写真』

21世紀に入る前後から、カメラ付き携帯電話やスマートフォンの普及で写真を撮るのが日常的な行為になった。
特別な事がなくても、たとえば、日常でふと目にした風景、食べたもの、買ったもの、出会った人…などなど、気軽に撮影できるようになった。
また、撮影される側になっても「撮られるのも日常」とばかりに、意図的でない限り、畏(かしこ)まったポーズを取ることも少なくなった。
しかし、自分ではあまり撮ろうとは思わないし、撮ろうと持ちかけられても躊躇したり、断ってしまいそうな写真がある。
それは、「遺影写真」だ。


映画『おもいで写真』(2021年。以下、本作)は、熊澤尚人監督のオリジナル脚本(原作本が幻冬舎文庫から出版されている)だが、パンフレットのインタビューで物語を書くきっかけを答えている。

遺影カメラマンについて書かれた新聞記事です。わざわざ遺影を撮るなんて「縁起が悪い」と嫌がるお年寄りが多くて、結局スナップ写真を引き伸ばしたピンボケ写真が遺影になってしまうという内容でした。


本作の舞台は、富山県。
幼なじみの星野一郎(高良健吾)から頼まれた"お年寄りの遺影撮影"を引き受けた主人公・音更結子(深川麻衣)も、"お年寄りばかりが住む大きな団地"の住民たちに「縁起でもない」と怒られてしまう。
最初に話に乗ってくれた、団地で独り暮らしする山岸和子(吉行和子)は、行きたい場所で撮ってくれるならという条件で承諾する。
彼女が行きたい場所は、かつての職場。普段の生活とは打って変わって生き生きとした表情で思い出を語る和子を、結子は写真に収める。
数日後、額に入れた写真を受け取った和子は、「これは遺影写真じゃなくて、おもいで写真やね」と喜ぶ。
それを聞いた結子は、"おもいで写真"というアイデアを思いつき、「あなたの好きだった素敵な思い出のある場所で写真を撮ります」というコンセプトを打ち出したところ、たちまちいくつもの申し込みが舞い込む。
亡くなった夫とよく来た店、ボウリング場、消防車の前、図書館-なんでもない場所だが、「みんなの思い出話を聞くと、特別に見えてくる」と結子は思うようになる。
"おもいで写真"が変えたのは結子だけではない。
それまで家に閉じこもっていたお年寄りたちが"おもいで写真"がきっかけで繋がり、団地の集会所に集まるようになるのだ。
そんなお年寄りに後押しされ、結子は"おもいで写真"を100枚(100人分)撮影し、この集会所で写真展を開くという目標を達成する。

と、パンフレットに掲載されたあらすじを一部改編して紹介したが、大事なのは『あなたの好きだった素敵な思い出のある場所で写真を撮ります』というところだ。

冒頭に挙げたような「日常的な写真」は、それ自体が「後に思い出となる」。
それに対し、"おもいで写真"は、被写体であるお年寄りたち自身の中に宿っている「過去の思い出」を撮ることにより、「過去の思い出が封じ込められた」写真となる。

つまり、前者は「写真に引き込まれる」ことで思い出になるのに対し、後者は「思い出が写真から発散」しているのである。


100人の"おもいで写真"

最終盤には、実際に100人分の写真を展示した写真展が開かれるシーンがあるのだが、その写真を撮ったのは、(当然ながら)結子ではなく、本作のスチールカメラ担当・千葉高広氏だ。
100人分…しかも、猶予はたったの3日。
エキストラのお年寄りでは足りず、撮影を見ていた近所のお年寄りにまで協力をお願いしたという。

事情を話して相談すると、世話好きな方がひとりいらっしゃって、「あの人なら撮らせてくれるな」「近くだから行ってみよう」「電話してみるわ」となって、その日だけで35人撮りました。

プロのカメラマンである千葉氏も、「思い出を発散する写真」の力に改めて感動したという。

団地内のカフェで、吉行和子さんほか、おじいちゃん、おばあちゃんたちが自分の"おもいで写真"を見せ合うシーンがあります。あの写真は劇中では深川さんの撮影ですけど、実際は僕が撮ってますよね。そこで語られる「ねえ、見て」「かわいい、これ」「いいねえ、東京の孫にも送るんで、あと1枚頼むちゃ」は、本当の感想ではなくて台詞ですが、映画の現場でそれを観たとき、僕は涙が止まらなくなりました。僕が撮った写真がこんなに喜んでもらえることがすごく嬉しくなっちゃたんですよね。


"笑えない"ヒロイン

本作のヒロイン・結子は笑わない。というか、"笑えない"のである。
東京でメイクアップアーチストになる夢に破れたことを、たったひとりの家族だった祖母に告げるのが怖くて富山に帰るのを躊躇している間に、その祖母が独り寂しく亡くなってしまったという後悔も、もちろんある。

だが、最大の理由は、「潔癖過ぎるほど嘘が嫌い」な結子自身の性格にある。
だから、大なり小なり嘘で成り立っている世界-それは「必要悪」で、嘘がない世界は逆に生きづらいはず-が許せず、終始腹を立てているのである。

結子が嘘が嫌いなのは、幼い頃に失踪してしまった母親と、育ててくれた祖母が関係している。

「結子ちゃんのお母さんは東京でね、美容師さんをしとったから、とってもお洒落でいつも結子ちゃんに綺麗な服を着せて…結子ちゃんが泣くと…城神山の石段を登って、結子ちゃんが泣き止むまで、子守唄を歌ってくれたんやよ」

「嘘なんよ。だって変わるが。小さい頃は子守唄だったんに…小学生に入るとおまじないに変わって…」

「小さい時はさ、おばあちゃんの話を信じようとしたこともあったけど。でも信じようとすればするほど傷ついて…何で会いに来てくれないんだ。電話ぐらいしてくれてもって、その度におばあちゃんに当たって…」
結子の瞳に涙が溢れた。その涙は頬を次から次へ玉のように伝い、街路灯に照らされて光った。
(以上、原作本より引用)

母親に棄てられたこと、それを慰めるために吐いた祖母の嘘。
祖母が自分のために嘘を吐いていたことがわかっているから、許せない。
本当は、嘘を吐かせた自分自身が許せないのだが、それを認めるのが怖くて、「棄てた母親」や「嘘それ自体」を憎んできた。

”おもいで写真"を依頼してくるお年寄りの中にも、本人がそう思い込んでいるだけで事実は違うといった人がいた。『本人がそう思っているんだから、撮ってあげたら』という一郎の言葉にも、結子は「嘘は嘘」と言って聞く耳を持たない。
また、妻を置いて駆け落ちしたという脚の悪い男性(古谷一行)を失踪した自分の母親に重ねた結子は、衝動的に自宅から遠方の場所に彼を置き去りにしてしまう。

しかし、その人たちの事情を知ったり、"おもいで写真"がお年寄りだけではなく、自分自身にとってもかけがえのないものだと知っていく過程で、結子は自身の本心と向き合い、頑なだった心を開いていく。

劇中のほとんどが無表情か怒っているという"笑えない"ヒロインを、深川麻衣が好演している。演技もいいが、何と言っても、素ではないかと思えるほどの表情がいい。

彼女の事をよく知らず、『パンとバスと2度目のハツコイ』(今泉力哉監督、2018年)のヒロイン・ふみ役で初めて観たのに続いて2度目だったのだが、『パンとバス~』も"笑わない"わけではないが、大声で笑ったりはしゃいだりするという役ではなかったので、本当にこういう俳優さんなんだろうか、と思っていた。
プロフィールを見ると「乃木坂46」出身だということだが、失礼ながら、全然アイドルのイメージが湧かないなぁ、と思っているところで舞台『りぼん、うまれかわる』(2021年)を観て、何だかスッキリしたというか…

で、この後、映画『僕と彼女とラリーと』(塚本連平監督、2021年)も観て、そのことを書いた拙稿でも触れたが、深川麻衣は高校時代の彼氏との待ち合わせに失敗することが多いと思うのである。

本作で、結子は一郎にキツく接するのだが、それは高校時代にデートをすっぽかされた(つまり「嘘をつかれた」)からだ。
しかしそれは、「美味しい鯛焼屋の前」を待ち合わせ場所にした結果、2人の好みの違いで別々のお店の前で待っていた、ということが"おもいで写真"を撮っていく過程で判明し、徐々に仲が近づいていく…という展開になる。
で、『僕と彼女とラリーと』でも同じように幼馴染と高校生の時に待ち合わせをして同じような思い違い(「桜の橋」と「もみじの橋」)で会えなかったという展開になる。
その拙稿にも書いたが、次こそは、ちゃんと出会えるといいな、とお節介ながらに思うのであった。


最後に

もう10年ほど前になるが、既に定年退職されていたかつての先輩(というか、何もできなかった新人の私を鍛えてくださった「師匠」)から連絡があり、「癌で余命宣告され入院中」と聞かされた。
急いでお見舞いに行き話をしたのだが、彼は「余命宣告されて良かった」と言った。自分の死について家族と真剣に話し合い、延命治療をしないことなども決めた。葬儀の手配もし、遺影も撮影済みだと話す彼の表情はとても穏やかだった。

それから数日後に彼は亡くなった。
スナップ写真の引き伸ばしでもピンボケでもない遺影の中で微笑む彼は、とても幸せそうだった。

本作を観ながら、そんなことを思い出していた。


メモ

映画-『おもいで写真
2021年1月30日。@新宿・シネマカリテ(オンライン舞台挨拶あり)




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