映画『そばかす』

『これ"で"いい』
見合い後に付き合い始めた男と別れ、そのことで結婚を期待していた母親(坂井真紀)と口論になった後、心配した妹(伊藤万理華)に「これでいいの?」と問い質された蘇畑佳純(三浦透子)がそう言ったのを聞いて、胸を衝かれた。

佳純本人がどう思っていたのかは、わからない。
わからないが、本当は彼女は『これ""いい』と言いたかったのではないか、と思った。

映画『そばかす』(アサダアツシ脚本・玉田真也監督、2022年。以下、本作)の主人公・佳純は、男女関係なく恋愛にも性的興味も抱かない(抱けない)、最近の言葉で云う「アセクシュアル」にカテゴライズされる。
しかし、佳純はそんな野暮なカテゴライズで自身を縛ったりはしない。
縛ったりしないからこそ、「恋愛にも結婚にも興味がない」という見合い相手の言葉の前提に「仕事に夢中だから」があることに気づかず、自分を理解してくれると誤解して付き合い始めてしまったのだ。

「アセクシャル」であることは、家族知らない。
だから、母親は「女は結婚するもの」という価値観から、佳純が(息子となるかもしれなかった)男と別れたことをなじる。結婚して妊娠もしている妹は姉に対し、口論で母親に暴言を吐いたことと男と別れたこと双方について「これでいいの?」と問い質す。

佳純が「これ""いい」と答えたとき、「これ」は「母親を激しく失望させてでも男と別れたこと」と、少なくとも妹は解釈してくれるだろう。
だが、「これ""いい」と言いたかったとすれば、佳純の云う「これ」は「自分は誰にも理解されない、という事実」であり、つまりは「誰にも理解されない者として生きていく(諦観による)安心感」を示唆する。

演じた三浦透子が舞台挨拶で直接語ったとおり、佳純は『内気な性格だとか、言語化能力がないわけではない』。
恋愛や男女関係についての話題にも、何となく話を合わせることぐらいはできるし、それ以外のことについてはちゃんと話ができる。
彼女が嫌なのは、男女問わず「世間一般」が、彼女の嗜好を深く考えることもせず簡単に「アセクシャル」とカテゴライズして異質扱いすることだ。

「アセクシャル」だけではない。
人は簡単に他者をカテゴライズする、それ自体が佳純は嫌なのかもしれない。だからカテゴライズされる隙を見せない。

佳純は音大でチェロ奏者を目指したが挫折。
この経緯は本作で触れられないが、佳純の「チェロの音は最も人間に似ている」というセリフから、抑制した言葉の代替としてチェロに希望を託したが挫折(きっと、チェロにも気持ちを乗せられなかったのだろう)したことが示唆されている。

そんな佳純と対照的な中学時代の同級生・世永真帆(前田敦子)は、思ったことを言葉にする。
真逆の二人は意気投合するが、しかし、最初に佳純が真帆を気に入ったのは、真帆がただ奔放ほんぽうなのではなく、言葉と感情がコントロールできていたところにあるのではないか(特に、喫茶店で真帆が2人組の男の子に声を掛けられるエピソードあたりで)。
しかし、それ以上に佳純が真帆を信頼するきっかけになったのは、やはり、真帆の父親(中村まこと。あの髭と声が私は本当に好きだ)に対する言動だろう。つまり佳純は、取り乱す真帆を見て「(状況によっては)感情がコントロールできなくても構わない」ことを知るのである。
だからこそ佳純は、「真帆と暮らせば言動を抑制してしまう自身を変えられるのではないか」という希望から、同居を提案するのである。

しかし、実際に佳純を変えたのは、真帆との同居ではなく、同居が未遂に終わったことであり、その時に自然と沸き上がった自身の素直な感情によるものだった。
だから、真帆のためにチェロを弾き、それを最後にチェロ ーつまり「言葉」ー への未練を断ち切るのである。

「気持ちを託した言葉」を諦めていた佳純は、「言葉を託した気持ち」に希望を見いだす。
「気持ち」による希望は言葉よりも伝わり、うつ病で休職していた父(三宅弘城)を変え、家族を変える。
立て膝で食事しながら笑い合う一家を見ながら、私は涙が止まらなかった。


メモ

映画『そばかす』
2022年12月16日。@新宿武蔵野館(初日舞台挨拶あり)

本文では『喫茶店で真帆が2人組の男の子に声を掛けられるエピソード』とさらっと書いたが、真帆は元AV女優であり、それに気づいた男の子が写真と握手を求めてきたのである。
真帆はそれに愛想よく応じるのだが、そのシーンでの真帆役の前田敦子さん応対の仕方がカッコよかったみたいなことを、舞台挨拶で三浦透子さんが発言していたが、それに対して前田さんが「アイドルやってて良かったと思いました」と応えていたのが印象的だった。

ちなみに、タイトルについて本作パンフレット内で企画・原作・脚本を担当したアサダアツシ氏が、『(略)人名が入っているタイトルが個人的に好きなんです。今回は『蘇畑佳純の〇〇』といった案もありましたが、インパクトを出したくて『そばかす』にしました』と発言していて、読んだ時は意味を摑みかねたのだが、本稿で「蘇畑佳純」と入力して、やっと納得できた。


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