「エンパシー」で観る、今、絶対観るべき映画~映画『マイスモールランド』~

映画『マイスモールランド』(川和田恵真監督、2022年。以下、本作)の2022年5月18日18時40分上映回が、主に若者でほぼ満席だったのは、その日、新宿ピカデリーがサービスデーで割引だったことが関係するかもしれないが、しかし、純真な高校生が理不尽な大人社会に翻弄され、それ故純粋な恋愛が引き裂かれてしまう「泣ける悲恋」を期待したからではなかった(と思う)。

若者たちはきっと、今の自分が「後ろめたい」のだ。
今、地理的にとても近い場所で起こっている大きな争いに憤った「フリをしている」ことに。
その被害者たちが「難民」と呼ばれ、苦労を強いられる理不尽に同情する「フリをしている」ことに。
そして何より、それ以前の「争い」やその被害者である「難民」ーたとえば「クルド人」-には全く無関心だったくせに、「地理的に近い場所で起きた大きな争い」に乗じて、都合よく「正義感」を振りかざし始めたことに。

いや逆に、地理的に近い場所で大きな争いが起きて「難民」と呼ばれる人々が辛い目にあっているのを知りながら、「わからない」と無関心な「フリをしている」ことに、かもしれない。

いずれにせよ、「後ろめたい」のだ。
「後ろめたい」からこそ「知りたい」のだ。

私は本作の内容について、本稿で何の説明もしない。
もとより、説明できるだけの知識がない。
本作の感想なら書けるかもしれないが、それを書いて「何かを知った」ような気になるのが怖い。
そして、そんな文章を読んだ人が、本作を観ないまま「何かを知った」ような気になってしまうのが怖い。

だから、今、絶対に本作をスクリーンで観るべきだ。
しかし、観たからといってすぐに「何かを知った」と思わず、「クルド人」だけでなく「ウクライナの人々」、そして、世界中にいる「難民」と呼ばれる人々にも想いを馳せて、考え続ける必要がある。

考え続けるヒントは、主人公・サーリャにある。

とにかく、サーリャを演じる嵐莉菜の表情と、セリフ回しが秀逸だ。
口を吐いて出る言葉と表情が一致しない。その言葉も嘘が多い。
でも、だからこそ、サーリャの痛みがひしひしと伝わって来る。

何年か前、ブレイディみかこ氏の著書『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』(新潮文庫)の中で、イギリスの学校に通う彼女の息子が、テストで『エンパシーとは何か』と問われ、『自分で誰かの靴を履いてみること』と答えたというエピソードが話題になった。

エンパシーと混同されがちな言葉にシンパシーがある。
(略)
つまり、シンパシーのほうはかわいそうな立場の人や問題を抱えた人、自分と似たような意見を持っている人々に対して人間が抱く感情のことだから、自分で努力をしなくとも自然に出て来る。だが、エンパシーは違う。自分と違う理念や信念を持つ人や、別にかわいそうだとは思えない立場の人々が何を考えているのだろうと想像する力のことだ。シンパシーは感情的状態、エンパシーは知的作業ともいえるかもしれない。

ブレイディみかこ著『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』(新潮文庫)
(太字は引用者)

本作は、「難民」という『かわいそうな立場の人や問題を抱えた人』としてシンパシーでも観られるかもしれないが、それでは上述した『口を吐いて出る言葉と表情が一致しない。その言葉も嘘が多い』彼女の内面に近づくことはできないだろう。
いや、どうやっても近づくことなどできないのだが、だからこそ我々は、「何故、彼女はそんな表情をするのか」「何故、彼女は嘘をつくのか」と、『サーリャの靴』を履いてみて、『何を考えているのだろう』と徹底的に想像し、考え続けるしかない。

エンパシーを使えば何か掴めるかもしれない「ヒント」といった意味で、嵐莉菜の演技は素晴らしく、また全てにおいて適切だったと思う。

私も、ずっとエンパシーで本作を考え続けなければならない。

(2022年5月18日。@新宿ピカデリー)


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