映画『王国(あるいはその家について)』

王国(あるいはその家について)』(草野なつか監督、2023年公開。以下、本作)を観る前に立ち寄った書店で平積みになっていた、柴崎友香氏の新刊『続きと始まり』(集英社)を買った。

ポレポレ東中野、年の瀬の木曜日20時上映回。
本編150分で終映は22時半を過ぎるというのに、9割ほどの入り。本作の評判の高さが窺える。

物語は、取調室に見立てた小さな部屋から始まる。
机を挟んで奥に若い女性、ドア側に男性。
つまり、被疑者は女性で、男性刑事が「供述調書」に相違がないかの確認を始める。
刑事が読み上げる「供述調書」は、被疑者の独白(というより、端的に「自白」)の形式(文体)となっているため、被疑者の顔のアップから動かない画面と相まって、観客は自身の脳内で事件の一部始終を「(被疑者の視点で)目撃」することになる("その瞬間"までもを、物凄くリアルに思い浮かべることができることに震撼してしまう)。

本作は、この「供述調書」によって、わずか十数分で、仕事によって精神に不調を来し地元へ帰ってきた被疑者・亜希が、幼馴染の野土香と大学時代の先輩・直人が結婚して授かった娘・穂乃香を橋から突き落として殺害してしまうという事件の顛末を、つまびらかにする。

亜希は調書の内容に同意しサインをするが、最後に「野土香に送った手紙の意味は、二人にしかわからない」と言い、問い質す刑事の言葉に答えず、「荒城の月」(土井晩翠・作詞、滝廉太郎・作曲)の歌い出しを口ずさむ。

この意味を追いながら、事件の一部始終を回想する……と思われた物語は、
全く意外な方向に転換する。

実はこの物語、映画『ハッピーアワー』(濱口竜介監督、2015年)や『白鍵と黒鍵の間に』(冨永昌敬監督、2023年)で脚本を務めた高橋知由ともゆきの同名脚本を使っているのだが、草野監督はそれをそのまま映像化しない。
本作、パンフレットではなく、このシナリオが販売されていて、その巻頭に草野監督はこんな言葉を寄せている(2021年1月付)。

(前略)ある劇場館主の方から「企画を出してみない?」と勧められた映像助成金のテーマは「身体」だった。すぐに浮かんだ内容は、役者が「役柄の身体・声」を獲得する瞬間についてだった。(略)
本作は本番が存在しない劇映画である。約五日間、毎日毎日ひたすら特定のシーンのリハーサルを繰り返した。役者の身体にセリフが入り、やがて「自分の声」として発話が馴染んでくる過程を見て、撮影の終わりが近付いていることへの寂しさと、反面、どんなに繰り返しても答えが出ることのない途方も無いテーマに手をつけてしまったことへの畏れとを同時に感じていた(ちなみに答えは未だに出ていない)。
構想段階から撮影を経て編集に至るまで、作品は自ずとそのかたちを変えてきた。完成から三年以上経ってもなお、上映を繰り返すたび変身をし続けているように思える。その担保となり支えとなったものは、高橋知由くんが執筆したこの、強固な骨組みを持つシナリオだった。これなくしては作品は成立しなかったかもしれない。そして、「変身」を可能にしたものも、他でもないこのシナリオの存在である。(後略)

(太字は引用者による)

つまり本作は、『王国(あるいはその家について)』という実際にある脚本を利用するが、しかし、実際には撮影しない作品のために本読みやリハーサルを行う風景から成る「劇映画」であり、だから、いわゆる「メイキング」や「密着取材(ドキュメンタリー)」とは全く異なる、表現しようのない映画なのである。

そこで描かれているのは、「紙の上の"単なるインクの染み"を文字として認識してしまう人間が、それを"言葉"として話すことにより、また、その"言葉"を動作で表現することにより、まず"リアル"が立ち上がり、さらにリハーサルによってそれを繰り返すことにより、"フィクション"に昇華する(順序は逆ではない)」という、その、(草野監督の云う『畏れ』を伴った)圧倒的な様である。

執拗にリハーサルを繰り返すシーンは、シナリオの限られたごく一部で、そこでは主に、垣内直人(足立智充)・野土香(笠島智)夫妻と娘・穂乃香という『王国(あるいはその家)』が、竹本亜希(澁谷麻美)が侵入することによって崩壊に至るであろうということが示唆される。
ここで間違ってはいけないのは、亜希が侵入したから『王国』が崩壊に至るというわけではなく、この『王国』が元々崩壊を孕んでいたということで、リハーサルが繰り返されるごとに、それは俳優と観客にとって、より鮮明になっていく。
ここで我々が発見するのは、リハーサルを重ねるごとに「物語というフィクション」の強度が高まっていくということで、だから観客は「虚実皮膜」の間を漂うことになる。

最終盤、亜希が自ら書いた手紙を朗読する(これは、リハーサル室ではなく民家で撮影されている。だから「本番」と解釈することは可能だが、通常、「劇映画の"リアル"」として自ら手紙を朗読するだけのシーンはあり得ない。だから、これは「『劇映画の"リアル"』の中の"フィクション"」とも解釈できる)。
執拗に重ねたリハーサルを見続けた観客にとって、その手紙は圧倒的な"リアル"で迫ってくる。そして、「荒城の月」の意味も。

とても不思議な、何とも表現しようのない本作を観ている(た)我々は、この時間をどう捉えたか。
そのヒントは恐らく、基シナリオの「シーン26|垣内家・庭<数日後・昼>」にある(「あれ、お城だって」という野土香のセリフ以降は、本作でも演じられる)。

 砂場で遊んでいる穂乃香。
(略)
野土香「どしたの?」
穂乃香「おしろ」
野土香「お城?」
 野土香、砂場を見る。
 砂場には、何やら半分崩れた山が何層か連なっている。
(略)
穂乃香「おしろ」
 穂乃香、砂場に戻っていって、山をもう一層重ねようとする。
 野土香、亜希に、
野土香「あれ、お城だって」
(略)
亜希「あの子の頭の中では、どういうお城に見えてるんだろ?」

(このシーンにおいて、穂乃香が『山をもう一層重ねようとする』ことによって逆説的に『王国』が崩壊を孕んでいることが示唆されている点に留意)
そこから2人の会話は、自分たちも台風の日に「お城」を作った思い出へと移り、その時過ごした時間の感覚が互いに違っていることに気づく。

亜希「おかしな時間だったよね」
野土香「うん。不思議だった」
(略)
亜希「時々考えるんだよね」
野土香「なにを?」
亜希「そういう、密度の濃い、凝縮された時間ってのが、たまに、突然やってくるの。なんていうか、自分が物語の中にいるみたいな
野土香「…うん」
亜希「でも、その密度がどれだけ濃いかはリアルタイムではあんまりはっきりしなくて、後からしかわからなくて。いつ訪れるか、どれくらい濃いのか、全然予測できないの。ただね、それは、その後の人生に、確実に影響する

(太字は引用者による)

観劇・映画鑑賞が趣味の私は本編150分を食い入るように観て、リハーサルを重ねるごとの俳優たちの変化に目を見張った。
その時間は短くも思えたが、同時に、疲労感も覚えた。

それは確かに、『おかしな時間』でもあった。
私は遅い時刻の電車の中で、そこは年末だからなのかいつもみんなこんなに残業しているのかわからないが、私の時間感覚に反して混んでいて、"でも"なのか、"だから"なのか、『なんていうか、自分が物語の中にいるみたいな』……

メモ

映画『王国(あるいはその家について)』
2023年12月21日。@ポレポレ東中野

冒頭に書いた、柴崎友香著『続きと始まり』を買った、というのは事実である。

本文に書かなかったが、実は取調室のシーンで、亜希は「供述調書」の読み上げ序盤に一度それを遮って、刑事に「(刑事が書いた)調書を読み上げる意味」を問うている(彼女が自筆の手紙を朗読することと対比される)。
刑事は「裁判官があなたを裁くために提出される調書だから」といったことを答える。
それに対し亜希は「私はもう裁かれている」と返す。
刑事は「それは宗教(によって)ですか?社会(によって)ですか?」と問うが、亜希は「時間に裁かれている」と答える(初見なので違っているかもしれないが、確かに「時間」とは言ったと思う)。

人間というのは今起こっていることを直前のエピソードに結びつけやすいと思っている私は、本作で執拗に繰り返されるリハーサルを観ながら、柴崎友香著『パノララ』(講談社文庫、2018年)を思い出していた。
これも映画撮影にまつわる話だったが、終盤、主人公があるトラブル(事件)に巻き込まれる。圧巻なのは、その後、主人公がその場面をタイムリープするように繰り返し経験することで、しかし、繰り返されるそれは毎回少しずつ違って、何か解決できそうな方に進展しているようで、でもそこには到達できなくて……というのが、かなり繰り返し描かれる。

本作もリハーサルを繰り返す様がタイムリープみたいに見えるのだが、それは、それらを題材にした物語が往々にして「同じことを繰り返す」のに対し、『パノララ』同様、『毎回少しずつ違って、何か解決できそうな方に進展しているようで、でもそこには到達できなくて……』というものだ。

『パノララ』の主人公は、繰り返される"その時"が悔恨ではなく、自分を責めていると感じている(と読み返さず、その時の記憶で書いている)。
繰り返される"リハーサル"は、つまり、私の中で『(私の記憶の中の)パノララ』と接続され、亜希・野土香・直人それぞれが、"今この時"までの「時間」の中で延々と繰り返した「記憶の反芻」が、悔恨ではなく、自分を責めている(裁いている)様を描いているのではないかと思ったのだ。
だから私は、私なりに亜希が『時間に裁かれている』ということの意味を捉えていると思っている。




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