「SDGs」とかムズカシイことはわからくても…~映画『Shari』~ (追記)

「美術手帖」2022年1月21日配信記事によると、本作が『第51回ロッテルダム国際映画祭の短・中編部門に公式選出された』とのこと。
同記事によると、ロッテルダム国際映画祭は、『約30万人が来場する世界最大規模の映画祭で、ヨーロッパではカンヌ、ヴェネツィア、ベルリンと並び世界でもっとも重要な映画祭のひとつである』。


2021年11月6日。渋谷に向かう山手線の車内ディスプレイに「グレタ・トゥンベリさんが、COP26を痛烈に批判」とのニュースが映し出されていた。

どうも日本にいると環境問題は他人事のように感じてしまう。
実際、その少し前に行われた衆院選でも、環境問題は大きな争点にならなかった。
だからと言って日本には無関係だとか、必要ないだとか思っているわけではない。
若者を中心として、問題意識は高まっているとの報道も耳にする。
ただやはり、「SDGs」とか「持続可能な~」などとムズカシイ言葉を使われてしまうと、無意識に頭と体が拒否反応を起こしてしまう………というのは、ただただ私の言い訳に過ぎない。

その日、私が山手線に乗って渋谷に向かったのは、映画『Shari』(吉開菜央監督、2021年。以下、本作)を観るためだが、観終わって「なんだ、そんなムズカシイことを考えなくてもいいのか」と思い直したのだった。


本作はタイトルどおり、北海道の知床半島にある斜里町が舞台なのだが、とても不思議な映画だった。

私が最初に見たのが、全身赤い毛で覆われた(そのものズバリ)「赤いやつ」だったので、てっきりソイツが主役の「童話」のような映画かと思ったら、斜里町の住人たちの生活を追ったドキュメンタリーだった。

誤解されては困るのだが、私は「期待外れ」と言いたいわけではない。
むしろその逆で、「期待を遥に超えていた」。
それは何故かというと、出てくる住人たちの方が「赤いやつ」なんか目じゃないくらい濃いキャラクターだったからだ。
吉開監督も当初は「赤いやつ」が出てくる絵本を作って、それを基にした映画を撮る構想だったのを、実際の斜里町の人々に会って方針転換したらしい。
本作で紹介される住民の皆さんといえば…

羊飼いのパン屋さん、庭に住みついたモモンガに哲学をみる夫婦、東京から移住して鹿猟をしている夫婦、代々斜里町で漁師をしている人…
中でもユニークなのは、地元の人に「秘宝館」と呼ばれる家の住人。
家には、世界各国の木彫りの民芸品が所狭しと陳列されているのだが、何がユニークってこの方、海外に行ったことがないという。だから、「秘宝館」に陳列(珍列?)されている民芸品は、「現地」で買ったものではなく「地元」で買ったものなのだ。

とは言え、その「秘宝館」の館主を含め、地元の人たちは厳しい自然と共存しながら生きているのは確かで、それはスクリーンを通して観客にビシビシと伝わってくる。
冬は数メートルは積もる大雪に見舞われる。いくら雪かきしても、すぐに元通りになってしまうほど。

雪がめったに降らない地方で生まれ育ち、現在は少しの雪で交通機関がマヒしてしまう東京で生活している私としては、さぞや普段の生活は大変だろうなと思ってしまう。
しかし、斜里の人々は口々に「雪が少ない」と心配するのだ。
流氷の動きもおかしくなっているらしい。

吉開監督は、朝日新聞のインタビュー記事(2021年10月29日付夕刊)にこう答えている。

「いろんな人の声や口調で『変』『変』『変』『変』というのを聞いていると、東京では他人事だった地球温暖化の問題が『私ごと』になってきました。肌感覚だから伝わってきたんだと思います」

そう、「SDGs」やら「持続可能な~」とムズカシイ言葉で言わなくても、「何だかタイヘンな事になっているぞ」というのは『肌感覚』でわかるのだ。そして、『肌感覚』で、「何とかしなきゃ」とも思える。

だんだん深刻になってゆく大人を余所目に、子どもたちは無邪気で元気だ。

こんな田舎(といっては失礼だが)にこんなに大勢!と驚くほどの人数の子どもたちが、降り積もった雪の上で、「仁義なき雪合戦」。大きい子も小さい子も、男の子も女の子も、雪玉を作ってはぶつけ合う。狂喜の奇声を上げながら。

結局雪合戦では決着がつかず、舞台を体育館にしつらえた簡易の土俵に移し、「1対1のガチ相撲」。
土俵を逃げ回る子なんて一人もいない。体格差も性別も超えて真剣勝負。
土俵の周りで観戦する子どもたちも必死に応援するが、スクリーンで観ている(大人の)我々も、ついつい力が入ってしまう。

真剣に相撲と向き合っている子どもたちの背後から、「赤いやつ」が忍び込んでくる!
突然、見たこともない赤い毛むくじゃらの生き物に襲われた子どもたち(本当にサプライズだったらしい)。
ビックリして逃げ回ったり、勇敢に闘いを挑んだり、おずおずとやって来てちょっと触って一目散に逃げたり…

そんな元気いっぱいの子どもたちを微笑ましく見ながら、ふと、「この子たちが大人になったとき、斜里町の自然は、雪は、流氷は、人は、どうなっているのだろう」という思いが過った。
彼ら/彼女らの子どもたち、孫たち…ずっと、こうやって雪合戦や相撲ができる環境であって欲しいと願わずにはいられない。

そのために、我々大人たちはどうすればいいか?
ムズカシイ言葉なんか使わなくったって、考えることはできる。
考えることはたくさんある。


本作の監督は、アート作家である吉開よしがい菜央なお氏だが、彼女はダンサー・振付家としても知られる。もちろん「赤いやつ」の正体でもある。

本作のカメラマンも務めた写真家の石川直樹氏が数年前から知床半島あたりで地元の写真愛好家と「写真ゼロ番地知床」というプロジェクトを始めていて、彼女は石川氏からオファーを受けたそうだ。

元々が写真家である石川氏が撮る映像は、もちろん美しいが、それだけではなく、ちゃんと自然の厳しさも切り取っていて、迫力と説得力満点である。

だが、映像以上に驚いたのは、音響デザインだ。
サラウンドをふんだんに使っているのだが、通常、それを映像の臨場感を出すために使うことが多い。
本作でもそういう音はあるが、それだけでなく、雪を踏みしめる音を人の声で「シャリシャリ」(むろん「Shari」「斜里」に係っている)と表現し、それが劇場一杯に広がってゆくなど、擬音を多用し、幻想的な世界をつくることに成功している。

何度も言うが、ムズカシイことなど考えず、ユニークな人々、美しくも厳しい自然を見ながら、幻想的な音に包まれるだけで、幸せな気分になれる。

同時に、都会では絶対に体験できない自然や人間の力に圧倒される。

それは、観客だけでなく、監督自身もそうだった。

2021年11月6日 20時15分上映回の後、吉開監督、撮影担当の石川氏、助監督の渡辺直樹氏によるトークが行われたのだが、最後の最後に吉開監督が、「斜里のパワーに影響されて、タトゥーを彫った」と発言した。
他の2人はもちろん驚いたのだが、石川氏が思い出したように、「そういえば、朝日新聞の記事(上で引用したのと同じ)の写真、誤植かなぁ、と思っていたんだけど…」と呟いた。

家に帰って早速確認すると…

確かに、右手の二の腕に太陽のマークが見える。


メモ

映画『Shari』
2021年11月6日。@渋谷・ユーロスペース

冒頭で「渋谷で本作を観るために山手線に乗った」と書いたが、正確ではない。
2021年11月6日、10時から池袋・シネマロサで映画『シノノメ色の週末』を観た後、14時からKAAT神奈川芸術劇場で舞台『ぽに』を観るため横浜に向かっていたのだ(副都心線を使えば乗り換えなしで行けるが、時間があったのと、山手線を使うと30円ほど割安で行ける)。
で、横浜から渋谷に戻り、ユーロスペースに近い行きつけの飲み屋に顔を出した後、上述のとおり、20時過ぎから本作を観て、トークショーを見たのである。

ユーロスペースがある円山町あたりには、ONAIR系のライブハウスが何軒かあるが、土曜日だったこともあるのか、どこもイベントが行われており、多くの若者が行儀よく会場前に並んでいた。
その脇を歩く私も、彼ら/彼女らの熱気に嬉しくなり、早くこういった生活が日常化すればいいな、と素直に思った。




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