会話でキャッチボールできているか?~三木那由他著『言葉の展望台』~

よく「会話はキャッチボールだ」と言われる。
しかし実際のキャッチボールと違って、会話のボールは見えない。本当に相手に届くようなボールが投げられているか、或いは、本当に相手は自分のボールを受け取っているか、幾度となく不安になる。

しかし、三木那由他著『言葉の展望台』(講談社、2022年。以下、本書)を読んで、相手が取りやすいようにわかりやすい球を投げたつもりなのに、相手は難しいボールだと思っているかも、という新たな不安が芽生えた(もちろん、逆の立場についても)。
それは大人数での会話だけでなく「1対1」の会話であっても、いやむしろ「1対1」の会話だからこそ不安になる。

コミュニケーションとはある種の約束を生み出すことである。そして約束は一方の力によって、不均衡な仕方で、他方には望まぬ仕方で結ばれることがある。

著者は、温又柔おんゆうじゅう著『魯肉飯ロバプンのさえずり』(中央公論新社)を例に挙げる。
主人公の桃嘉は専業主婦。夫・聖司の稼ぎだけで生活は成り立っているけれど、それ故に夫が求める「家庭」に縛られて自分を失ってしまっていると感じた桃嘉は、夫に「働きたい」と申し出る。

「わたし、聖司さんにばっかり甘えてたくないの。もちろん聖司さん以上に稼ぐのは不可能だけど、わたしにもできることがきっとあると信じたい」
ずっと聖司に言いたかったことはこれだ。心臓の鼓動が早まるのを桃嘉は感じる。ところが聖司は、ばかだなあ桃嘉は、と笑った。
「お金のことは気にするなよ」
聖司は腕をのばし、そうじゃなくて、と言いかける桃嘉の頭を撫でる。
「奥さんと子どものために稼ぐのは、男にとってあたりまえのことなんだからさ。それに俺は、桃嘉に甘えられるのが嬉しいんだよ」
ちがう・・・。桃嘉は軽い絶望をおぼえる。自分の言いたかったことが、まるで聖司に伝わっていない。桃嘉がことばを失っていると、確かに、と聖司は続ける。
「ずっと家にいるのも退屈だろうしね。社会勉強もかねて、少し外に出てみるのはいいかもな」

(『魯肉飯のさえずり』)

本書の著者は、『自立を求める「甘えてたくない」は夫の稼ぎへの心配へ(略)聖司によって変質させられる。(略)だが問題は、伝わらないということそのものではない』と言う。
では、何が問題なのか。

伝わらないときに、誰がその場の支配者となり、誰が会話の成り行きを決めるか、なのだ。そこにコミュニケーション的暴力が立ち現れる。

(太字部、引用者)

つまり、「伝わっていない」のではなく、支配者によって「変質して伝わってしまう」。

こうした『コミュニケーション的暴力』は、夫婦間だけでなく、立場(或いは序列)の違いによって、日常的に発生している。

たとえば、著者は大学の教員だが、「先生-学生」の師弟関係になるのを嫌い、「『先生』呼びはやめてください」と学生たちにお願いしようと思う。そうすれば、学生たちは「先生」とは呼ばないはずだ。
しかし、と著者は考える。

私がそのようなお願いをすれば、きっとそれはその学生との関係のもとでは、単にお願いであることを超えて、一定の強制力を持つ命令として機能してしまうのではないか、そしてそのような強制力を自身の発言に持たせてしまうのは、私がいままさに弱めたいと考えている教える者と教わる者との非対称の関係ゆえではないか、と。

「夫/妻」「教師/生徒」「上司/部下」「先輩/後輩」「親/子ども」……
立場(或いは力関係)の違いによって、対等なはずの会話に「支配者」が現れる。
著者は言う。

コミュニケーションは、話すひとから聞くひとへの約束の持ちかけだ。しかし、コミュニケーションの外側での力関係によって、それがどのような約束であるかが、話している当人の望まないかたちで決められてしまったらどうだろう? 望まない約束でも、それが何らかの意味で強いられたものであっても、約束は約束であり、それに従う義務が生じてしまう。話している当人が思ってもいなかったことを意味したことになり、そしてそれに従わないならば「嘘つき」だとか、「不合理」だとかと責められることになる。これを、私はコミュニケーション的暴力のひとつの典型だと考えている。話し手がその振る舞いや発言で何かを意味しようとしても、聞き手の力によって別の何かを意味したことにされ、その別の何かに従って約束が結ばれてしまう。聞き手が意味を独り占めしてしまう。私はこれを「意味の占有」と呼んでいる。

これは、自分自身が一方的に「自分の言葉が通じない」被害者の立場に置かれることを意味しない。
「コミュニケーション的暴力」「意味の占有」が相手との力関係によって発生するなら、無意識のうちに、自分が加害者(支配者)の立場に立っていることだって往々にしてあるだろう。

会話によるキャッチボールは、公園や河川敷で見られるような、のどかなそれでは、きっと、ない。

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