ミュージカル『夜の女たち』と「ニュールック」

『夜の女たち』(上演台本・演出 長塚圭史。以下、本作)は、戦後すぐの大阪・釜ヶ崎を舞台とした溝口健二監督の同名映画(1948年公開)をミュージカル化したもので、戦後の混乱期を生きる女性たちの壮絶な姿が描かれている。
ストレートプレイでは辛すぎるくらい重たい話で、『ミュージカルならば語りにくいことや目を背けたくなることにも迫れる』(2022年8月25日付朝日新聞夕刊)という長塚氏の狙いは正しかったように思う。
さらに、その要とも言える荻野晴子氏による素晴らしい音楽が、この重たい話がちゃんとエンターテインメントとして成立する効果を発揮していた。

主人公の房子(江口のりこ)と、その実妹・夏子(前田敦子)、義妹・久美子(伊原六花りっか)という3人の女性が力強かったのに加え、2人の妹がそれぞれ凄まじい「希望」を見せてくれることで、観客が救われる点も大きいだろう。
個人的には、ラスト直前のクライマックスで江口と伊原が歌う「夜明け前」が、そのタイトルどおり希望を感じさせる曲で、これぞミュージカル!というカタルシスを感じた。

で、話は、同じく伊原が歌う「アメリカの夢」という曲についてなのだが……

伊原演じる久美子はダンサーとなった夏子と再会し、その華やかなファッションや生活に憧れる。
貧しさから抜け出したい久美子は家を飛び出し、それまで着ていたモンペを脱ぎ、真っ赤なミニのワンピースに着替える。
その時に歌われるのが「アメリカの夢」で、その歌詞の中に「ニュールック」という言葉が登場する。
これにはもちろん、久美子が「新しい装い(人生)」に変身するという意味も含まれているのだろうが、もっとちゃんとした意味がある。

「ニュールック」とは、本作パンフレットにて中野香織氏が指摘するように、1947年にクリスチャン・ディオールが発表した「コロール(花冠の意。カローラとも呼ばれる)ライン」を指す。

「ニュールック」という名前は「ハーパースバザー」誌編集長カーメル・スノーがディオールにこうコメントしたことに由来する。「なんて革命的なんでしょう。あなたのドレスは本当に新しいわ(Your dresses have such a new look.)」。熱狂は会場全体を包み、感極まったすすり泣きさえ聞こえた。

成実弘至著『20世紀ファッション 時代をつくった10人』(河出文庫、2021年)

本作において、久美子は「女性性の解放」「女性の社会進出」を目的として「ニュールック」に着替えるのだが、興味深いことに、パリでは全く逆に受け止められ、フェミニズムの立場から批判が上がっていたのである。

ニュールックは日常生活に必要な機能性をそなえていないだけでなく、女性を美しいだけのオブジェにしてしまう。(略)女性たちの社会進出が進んだというのに、これは時代に逆行する男性中心主義者の陰謀ではないか。

(同上)

これは、「女性への拘束」が日本と欧米で全く逆だったことに由来するのではないか。

欧米の「女性への拘束」は「女性性の強調」としてコルセットや矯正下着によって文字通り身体を「拘束」するものであり、「女性性の解放」はそのまま「拘束具からの解放(=女性性の失効)」を意味した。

一方、日本では、パンフレットで『「贅沢は敵だ」のスローガンのもと、女性は自分でもんぺを作って履いた。(略)敗戦後、1952年に独立するまで日本は連合軍の占領下にあり、女性のもんぺは「心の防空服」として着用を促されてはいた』と指摘されるように、「精神的拘束」を意味した。

つまり日本では、欧米とは逆に「女性への拘束」として「女性性の失効」を強要されており、敗戦後の「女性性の解放」は「女性性の回復」を意味したということである。

そして、この日本における「女性性の解放」がすんなりと受け入れられたかというとそうではないことが、劇中の久美子によって、まさに「体現」されるのである。
だからこそ、最後の最後に久美子が希望を取り戻す「夜明け前」という曲が、崇高であり感動的に聞こえるのである。

メモ

ミュージカル『夜の女たち』
2022年9月10日。@KAAT神奈川芸術劇場 ホール


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