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フィルムに希望を託す~映画『焼け跡クロニクル』~

2018年7月27日。京都・西陣の、ある家が火災で全焼した。

2018年7月27日、午後4時15分出火。この時家には、長男と双子の娘と私の4人がいた。

將人氏ナレーション

そんなナレーションで始まる『焼け跡クロニクル』(原まおり・原將人監督、2022年。以下、本作)は、その家の住人だった映画作家の原將人まさと氏と奥様のまおり氏によって映画化された、一家の被災体験ドキュメンタリーである。


序盤、仕事中に「家が燃えている」と知らせを受けたまおり氏が家に戻る様子、既に鎮火した自宅、そして近くに避難していた家族の姿を映し出す。
保育園児である双子の娘は、まおり氏が向けたスマホを見上げながら、口々に何が起こったかを拙い言葉で母親に説明し、ひとしきり喋ると、今度は母親に「わたしもう、お腹ペコペコなの」「ママお金あるよね」「イチゴのクッキーにして」と甘え始める。
きっと、母親の姿に安心したと同時に、明らかにショックを受けているであろう母親を慮り励まそうともしていたのだろう。
この時の様子を、朝日新聞はこう紹介する。

まおりさんは「火災当日の記憶は全くありません。なぜカメラを回していたのかも覚えていない」と言う。「映像を見て初めて『こんなことがあったんだ』と。子どもたちは何とかしようと考えてくれていた。子どもたちに助けられたんだと分かり、これは私の作りたい映画になる、と思いました」

朝日新聞2022年3月1日付朝刊 原將人氏、まおり氏インタビュー記事

この時、夫である將人氏の姿は映っていない。
何故なら、彼は大やけどを負い、病院に運ばれていたからだ。
將人氏本人のナレーションを聞いて、私は胸を突かれた。

子供たちと急いで避難しながら、大声で「火事だ!」と叫んだとき、もうこれで映画作家としての自分の人生は終わりか?という思いが込み上げてきて、私は(略)煙が充満する私の家の中に飛び込んでいた。

將人氏ナレーション
(※太字、引用者)

將人氏は自分の身を挺して、辛うじて新作のデータが入ったパソコンとハードディスクを救出した。月並みな言葉であるが、「映画監督の業」なのだろう。
しかし、その「業」は、映画製作のパートナーでもあった妻のまおり氏にもあった。そして、まおり氏の「初監督作品」である本作の公開へと至る。

何かが残っているはずだった。失うことのできない何かが。焼け跡から拾い集めてきた8ミリフィルム。残骸になってもフィルムは、映画作家としての原の肉体の一部なのだ。

まおり氏ナレーション

一家は地区の公民館に身を寄せる(そこにはちゃんと、布団や非常食など「非常用物資」も用意されていた。きっと、どの自治体でもこういった行政サービスが用意されているのだろう)。
とはいえ、公民館は公共施設のため、数日しかいられないらしい。
原一家も4日程度で退去しなければならず、その間に、火災保険に入っていたか確認し、警察・消防の現場検証に立ち会い、近所にお詫びして回り、一家の住処を見つけなければならなかった。
不幸中の幸いだったのは、全焼した家から、免許証や実印・キャッシュカードがほぼ無傷で救出されたことだろう。

顔を含む上半身に大火傷を負った痛々しい姿(しかも病院の患者着のまま)で翌日に退院してきた將人氏(彼自身のナレーションによると『ベッドに空きがないという理由で病院から追い出された』)に代わって家族を支えたのが、双子ちゃんとは年の離れた長男だった(彼は病院のベッドに横たわる父親の姿を「ミイラ男」と例えた)。
まとわりつく双子の妹たちの相手を嫌がらずにこなしながら、両親のサポートをする、そのたくましい姿に、彼が子どもの頃の映像がオーバーラップする。映像はノイズ交じりでピンボケとは違った種類のぼやけ方をしたフィルム映像……
それは、全焼した家から奇跡的に発見されたフィルムだった。
はっきりしない映像の中で無邪気にはしゃぐ子ども時代の長男の姿と、今の頼りがいのある、たくましい長男のはっきりした映像が、ある時は交互に、あるときはマルチ画面で映され、親戚縁者でもない私だが「立派になって……」と思わず目頭を押さえそうになってしまった。

本作のトーンは終始明るい。原夫妻にも、それを支える長男にも悲壮感はない。保育園児である双子ちゃんは無邪気で明るい。
本作が本人たちの撮影・監督・編集ではなく、また単に「火事で全てを失った家族」のドキュメンタリーだったなら、もしかすると(「正義」あるいは「善意」の名を騙って)批難する人もいるのではないかと心配になるほどだ。

しかし、実際の一家は、それぞれ大きな痛みを抱えていた。

將人さんは「50年撮ってきたオリジナルフィルムがすべて失われた。絶望からうつ状態になりました」。將人さんは翌年、支援してくれた映画関係者のために「焼け跡ダイアリー」を発表。精神状態そのままに、悲惨さがストレートに映し出されていた。
作品を見たまおりさんは「これじゃいけない、つらいだけで終わらせちゃいけないと思ったんです」と話す。「私は人生の苦しい時にいつも映画に救われてきた。そういう映画にしなければ、と」
(略)
將人さんがトラウマにさいなまれる映像などは、まおりさんが外した。「見せるべきかどうか迷いましたが、幸せに向かっていく映画には不要だと思いました。つらい『焼け跡ダイアリー』を見たからこの映画が出来ました」

朝日新聞

もちろん、大人の目からは、まだ保育園児で今置かれた状況が理解できず無邪気にはしゃいでいたように見えた双子ちゃんたちだって、何が起こっていたかはちゃんとわかっていたし、深いショックも受けている。
パンフレットに掲載された双子の母親・まおり氏のコメントに、彼女たちの健気さが表れていて、胸を打たれる。

保育園のロッカーに預けていた物だけが、当時5歳の双子の娘たちに残された物でした。娘たちは火事の後から、大事な物をそのロッカーに置いて帰るようになり、火事による子供たちの大きな変化を知りました。

パンフレットより

本作は出火当日から、知人から紹介された仮住まいに移るまでの6日間を日ごと丁寧に追った後、新居への引っ越しなどのステップを経て、最後に2021年夏、大分県のまおり氏の実家へ里帰りする一家の様子を映し出す。

10分はあったかと記憶する映像は圧巻である。
カタカタと映写機が回る音が続く中、フィルムに収められた(はずの)家族の声などは一切聞こえない。
無音とも言える中で、左右2画面に分割されたそれぞれに、短いカットをコラージュ的に繋いだ別々の……旅行を楽しむ家族の幸せそうな映像が流れ続ける。

それは、原將人監督の伝説的名作とも云われる『初国知所之はつくにしら天皇すめらみこと』を彷彿させるらしい(私は未見)。

映写機が回る音だけが続く映像を見ているうち、今自分がいる場所が映画館ではなく、原監督のお宅で"昔"の8ミリフィルムを見ているような錯覚に陥る。
しかし映っている映像は、家族はもちろん周りの人たちも全員マスクをしていて、間違いなく「コロナ禍である"今"」である。

長く続く映像の途中から、私は泣いていた。
命以外のほとんど全て、希望すらも失った一家が、時に周りの人たちの力(絆)を借りながら、徐々に日常を取り戻していく(双子も成長していく)。
楽しげで幸せそうな一家のマスク姿を見ながら、原夫妻が本作に託した「アフター・コロナ」への希望を確かに受け取った。

本作は、『人生の苦しい時にいつも映画に救われてきた』まおり氏による、「希望」の映画だ。
映画に託した希望は、火災はもちろん、大きな地震や津波、台風や土砂崩れなどの自然災害と、それらに伴う人災に遭い、全てを無くして絶望を余儀なくされた人々に対して。
そして、2022年3月現在、疫病や争い、憎しみの連鎖に怯える世界中の人々に対して。

もちろん現実はそう甘くないだろう。
だからこそ本作には、その希望への「願い」と「祈り」が込められている。

本作冒頭。
双子の娘の間に座った原將人監督が、焼け残ったフィルムを初めて自宅の編集機にかける。
即興で父親を応援する歌を歌い始める双子は、背中に羽を背負っている。
両親が作ったフィルムの中で、双子の天使は、閉塞して不穏な世界に生きる人々に向かって、希望への「願い」と「祈り」を歌ってくれている。


メモ

映画『焼け跡クロニクル』
2022年3月5日。@UPLINK吉祥寺
(原將人監督と瀬々敬久監督によるオンライン・アフタートークあり)

本稿の締めは、原監督がロシアによるウクライナ侵攻に対してものすごく憤慨していたのに影響されました。


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