映画『にわのすなば GARDEN SANDBOX』

旅行に行ったり、遠方へ引越したりして見知らぬ街を歩くとき、自分の住んでいる(住んでいた)街とそう変わらない住宅街や商店街なのに、ものすごく不安で心許ない気持ちになったりする。全国どこにでもあるコンビニチェーンのお店ですら、何かただならぬ雰囲気が漂っている気がしてしまう。
いや、別に遠くでなくても、隣町の友人を訪ねて街を歩くときも同じだ。
行き交う人々もお店の店員も、善良そうに振舞ってはいるが、内心良からぬ企みを抱えていそうな気もして、少しおののいてしまう。
それはたぶん、別の共同体への畏怖いふではないだろうか。

映画『にわのすなば GARDEN SANDBOX』(黒川幸則監督、2022年。以下、本作)は、そんな別の共同体に入り込んでしまった女性が、何故かそこから出なくなってしまう物語だ。

主人公のサカグチ(カワシママリノ)は、友人男性のキタガワ(新谷和輝)に紹介されたアルバイトの面接を受けるために、架空の町・十函とばこを訪れる。しかし彼女は、面接した地元タウン誌の編集長(柴田千紘)の謎の十函愛と仕事のむちゃぶりに辟易し、仕事を断ってしまう。
そのまま猫の待つ自宅に帰るかと思われたサカグチは、しかし、何故か十函に留まり、様々な出会いなどにより、結局一晩を明かしてしまい、二日目もまた……

と、まぁこんな感じのストーリーなのだが、理由もなく突然帰り方がわからなくなるとか或いは帰る手段が封じられる「不条理譚」ではなく、途中で出会ったニノミヤ(遠山純生)にもらったグミを食べたことによって見知らぬ街で様々な人に出会うハメになってしまうという「童話」に近い。

キタガワに代わってサカグチを案内するヨシノ(村上由規乃)やその友人住民(佐伯美波)によって、「昔は人間よりスケボーの数の方が多かった」と冗談とは思えないほどサラリと語られる十函は、少し不気味な土地だ。
編集長のように執拗に「十函愛」を語る人がいるかと思えば、逆に「十函に復讐しに帰ってきた」と語るアワヅ(西山真来)がいたりするし、町の女性たちのために自宅を開放しているお金持ちの女性(風祭ゆき)も上品な物腰の裏に何かを隠しているような怪しさを感じる。
余所者よそものの私がそう感じてしまうのは、上述したように、畏怖からくる偏見なのかもしれない。
普通だったら早く立ち去りたい土地だったりするのだが、それ故、逆に、怖いもの見たさ的な好奇心も駆り立てられる。
私は結局、その好奇心に忠実なサカグチによって、十函の街を知ってゆくことになる。

さて、十函はどんな街だったのか……


メモ

映画『にわのすなば GARDEN SANDBOX』
2022年12月18日。@ポレポレ東中野(アフタートークあり)

本作を観る少し前、TAMA映画祭のプログラムで映画『春原さんのうた』(杉田協士脚本・監督、2022年)を観るために東京都多摩市の聖蹟桜ヶ丘駅辺りを散策していて、唐突に、その映画に出てくる「キノコヤ」というカフェに遭遇してしまったことがある(そのことは以前の拙稿に書いた)。
その時も、知らない街を歩きながら、心許ない気持ちになった。

で、本作は、その「キノコヤ」を経営する黒川由美子さんがプロデュースし、彼女のパートナーである黒川幸則さんが監督を務めた、「キノコヤ映画」第一弾作品である。
私は映画館で、本作のパンフレットが「キノコヤ」の機関誌である『キノコジン』の特集記事だったことで、その事実を知った。
だから私は、本作を観ながら、あの日の聖蹟桜ヶ丘駅周辺を歩いたことを思い出していた。

ちなみに当日は、10時からポレポレ東中野で映画『少年たちの時代革命』を観て、一度新宿に行き、14時からK's cinemaで映画『目の見えない白鳥さん、アートを見にいく』を観て、また本作のためにポレポレ東中野に戻るという、何だかわからない1日を過ごしたのであった。



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