酒造りに携わるの全ての方に想いを馳せて~映画『吟ずる者たち』~


映画『吟ずる者たち』(油谷誠至監督、2022年。以下、本作)。
『吟ずる者』ではなく『吟ずる者たち』というタイトルには大きな意味がある。

主人公の永峯明日香(比嘉愛未)は、東京で夢破れ広島の造り酒屋の実家に戻ってきた。
その直後、蔵元である父(大和田獏)が倒れ意識不明となる。
明日香は意識が戻らない父の代わりに日本酒造りを始める……という、王道ストーリーで、明日香と残された蔵人たち『吟ずる者』の映画だと思わせた直後、いきなり平成から明治初期に戻り、真の『吟ずる者たち』の物語へと飛躍を遂げる。

物語は、明日香が父の部屋にあった古い書物から、当時の酒造りを想像するという構造になっている。
その書物は、今や優れた日本酒を多く醸す広島県の、その発展の礎を築き、「吟醸酒の父」とも呼ばれるまでになった三浦仙三郎(中村俊介)が自身の苦難の道を書き記したもので、つまり、物語は仙三郎を通して広島の酒造りの足跡を紹介するものとなっているのである。

当時の酒造りは「神様が醸す」といった神秘的なもので、発酵の仕組みなど科学的知識なく、全ては杜氏の経験と勘が頼りだった。
当時はまだ水には「軟水」と「硬水」があることも知られておらず、広島においても、「硬水」である兵庫県・灘の酒造りなどを参考にしていた。
その醸造法では「軟水」の広島で、醸造中に中の酒が腐る「腐造」が多発するのは必然だったとわかった仙三郎は、多くの失敗と身内の不幸に見舞われながらも、腐造を起こさない、安定した日本酒醸造技術の確立に研鑽を重ね、ついに軟水による低温醸造法を導き出す。

本作は、仙三郎と明日香を対比させることで、観客が、明治初期から平成(2018年)の現代までの「吟ずる者たち」の闘いと改革などの変遷に想いを馳せられるように作られている。

その対比の大きなポイントは「女性の蔵元が自ら酒を造る」という点に絞られているが、事実として、現代の酒造りにおいて大きな革命的進化であるのは間違いない。
しかも、それが可能になったのは、ほんのつい数十年前のことである。

まず、日本酒を造る場は「女人禁制」だった。

女性が日本酒づくりをしてはいけない理由とは、月経がお酒をダメにするとか、化粧が微生物によくないとか、男性を惑わせたり気が散るなどという、科学的に証明されていない、ふわっとした確証のないものばかりです。
お酒づくりの期間中(約半年間)は、蔵から出られず、朝から晩までほとんど娯楽がない、働きづめの生活を強いられるため、異性がいては悶々とした気持ちになって仕事に集中できない、というのが女性を遠ざけた本音だったのではないでしょうか。

山内聖子著『いつも、日本酒のことばかり。』(イースト・プレス、2020年)

さらに、蔵元(経営者兼営業・販売)と杜氏(酒造りの総責任者)の仕事は厳格に分けられ、それぞれ、お互いの領分に踏み込むことはできなかった。
蔵元は自分の蔵で作りたい日本酒を醸せる杜氏を選ぶことはできても、酒造りが始まれば杜氏を信頼するしかなく、酒造りのやり方に不満や不安があっても、最終的にどんな日本酒ができても、口出しはできなかった。
本作でも、蔵元である仙三郎自らが酒造りの知識を学び、自ら酒を造ろうとすることに、杜氏以下蔵人たちは良い顔をしなかった(映画だからか、あからさまな反発はなく、ただ誰も仙三郎に手を貸さなかったという程度)。

これも昔の話ではなく、つい数十年前までの常識だった。
岩手・南部美人の五代目蔵元・久慈浩介氏は杜氏でもあるが、父親の代まではそうではなく、自身も蔵を継いだら『営業する、ゴルフする、地域の青年活動に参加する』と思っていたと、映画『カンパイ!世界が恋する日本酒』(小西未来監督、2015年)の中で語っている。

つまり、本作の『吟ずる者たち』というタイトルは、仙三郎と明日香、そしてその周囲の人だけでなく、2人をつなぐ歴史の中で、より美味しい日本酒を呑んでもらいたいという情熱によって絶え間ない努力と改革・進化を続けてきた、酒造りに携わる全ての人々に捧げられているのだ。

メモ

映画『吟ずる者たち』
2022年4月16日。@UPLINK京都

その意味で、広島県・今田酒造の女性蔵元・杜氏の第一人者である今田美穂さんの醸す「富久長」が登場するのは、本作にとって象徴的なことであると思う。
また、幼い養女を亡くした仙三郎の意志を、同じく養女である明日香が継ぐ、という構造は、物語的によく出来ている。

なお、広島の酒蔵の女性を描いた映画は、近年では本作のほか、川栄李奈主演の『恋のしずく』(瀬木直貴監督、2018年)や、STU48のメンバーが主演した短編映画『酒蔵の娘』(大橋孝史監督、2021年。私自身未見ため、内容は不明)がある。
また、今田酒造の今田美穂さんについては、映画『カンパイ!日本酒に恋した女たち』(小西未来監督、2019年)に詳しい。


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