SNS時代のグルメを想う~谷口桂子著『食と酒 吉村昭の流儀』~

インターネットやSNSが出現し、市井に暮らす普通の人々が気軽に食についての情報を世界中に発信できるようになった。
我々にとっては、それまで知ることができなかった食べ物や飲食店を発見できるだけでなく、実際に食したりお店に出向く前に凡その情報(メニュー・価格・味、お店の雰囲気・評判など)から判断できるため、「大ハズレ」の痛い目を見ることも少なくなった。
だから、それ自体とても良い進化だと思う一方、本当にそれで良いのか、とも考えてしまう。

」とは、本来「」に直結した人間の欲求であり、「自分の中に取り入れるエネルギー」のはずだが、現代においては「他人に披露する情報」として扱われ、軽んじられている気がするのだ。

そんな折、書店に積まれた谷口桂子著『食と酒 吉村昭の流儀』(小学館文庫、2021年。以下、本書。なお、以降引用文の太字は全て引用者による)に、ふと目が留まった。
吉村氏(及び、夫人である津村節子氏)の著書を全く読んだことがない私が本書を手に取ったのは、「食と酒」の「流儀」というタイトルに魅かれたからだ。
冒頭近くのページを開くと、津村氏が夫のことを書いた随筆の引用文が目に留まった。

美食というわけではないが、とにかく食べ物には貪婪(どんらん)なのである。
朝食がすむと、昼は何を食べようかなア、と言う。昼食がすむと、今夜のおかずは何だ、と聞く。
外出していて食事を外ですませて帰ってくると、今夜の献立は何だった?と聞くのである。外で好きな物を食べてきたのであろうに、一食損をしたようになるらしい。 津村節子『書斎と茶の間』(毎日新聞社)

「気持ち、わかるなぁ」と思いながら、「第二章 唯一の楽しみは酒」のページも開いてみた。

「酒」という雑誌があった。
昭和三十年に創刊し、佐々木久子が長く編集長を務めた。新年号の名物企画で、文壇酒徒番附があり、東西の名だたる作家の名前が並んだ。
その最後の番附で、吉村さんは東の横綱に輝いている。

……酒好きの私は、すぐさま本書を持ってレジへ向かったのである。

本書では、昭和を代表する作家である故・吉村昭氏の著書や、夫人の津村節子氏の作品を引用しながら、吉村氏の「食」感を詳らかにしていく。
「はじめに」には、こうある。

吉村さんの著書を読み返したところ、唯一の楽しみである酒や、食へのこだわりが随所に書かれていることに気づきました。
ともかく安くてうまいものを死ぬまで楽しく食べたい ー
ともかく一食一食が私の大きな関心事 -

実際に読んでみると、昭和2年生まれの吉村氏が書いているので現代の価値観とは違っている部分や、吉村氏の頑固(意固地?)な性格もあって極端な考えの部分も、確かにある。
だが、それ以上に、普遍的な「食・酒」に対するリスペクトが詰まった本書が心に響いた。
それは、今のSNSを中心とした口コミや「豊食・グルメ」の流行に翻弄されっぱなしの我々現代人にとっては、耳の痛い話かもしれない。


「グルメの時代」を顧みる

吉村氏の食に対する考え方は、第二次世界大戦とその敗戦に加え、『一度死にかけた』という自身の経験によるところが大きい。

一度死にかけた経験とは、なんだろう?
人生の転機となる肺結核の病だ。
吉村さんは、旧制中学二年のときに肋膜炎、中学五年で肺浸潤と診断され、結核が進行する。
当時、結核は死の病だった。
二十一歳のときには喀血し、絶対安静の末期患者になった。(略)
五時間半に及ぶ胸郭成形術の大手術を受け、左胸部の肋骨五本を切除したのは喀血から八ヶ月後。そのときの体験が、作家・吉村昭の原点となる。(略)
生きている時間を大切にしたい。小説を書く以外に自分の生きる支え、この世に生きてきた意味はない。同時に、人間は食べ物を摂取できなければ生命を維持できない、という根源的な発見をする。

「豊食の時代」といわれる現代において、この根源的な考えは軽視されがちだ。

さらに、吉村氏においては、少年時代の両親の教育も大きく影響している。この両親の教育は、現代の我々こそ、大いに顧みる必要があると思う。

吉村氏の父親は、ふとん綿製造業と綿糸紡績業を営む商人で、『生活にゆとりがあり、三度三度の食事を大切にしていた』。
多くの使用人を抱えており、『両親は常に使用人に対する感謝を忘れてはならない、と言葉ではなく、生活の上で教えてくれた』。

少年時代、母にひどく叱られたことがある。母は珍しく顔色を変え、膝に置いた拳をふるわせていた。激しい叱り方であった。
夕食の折、私は副食物の味についてなにか批判的なことを口にした。(略)その時、母は黙っていたが、食後、私を奥の部屋へ呼ぶと怒り出したのである。
母は、こんなことを言った。
……料理は私が味見をしているが、今日は暇がなく女中にまかせた。たしかに味つけはいつもとちがうが、批判するなどということは決して許さない。(略)料理を作る者は、むろん食べる人に喜んでもらいたいと思い、食料品店で品選びをし、調理する。そのような労力と時間をかけて作った食物を、一言のもとにまずいと言われては、作った者の立つ瀬がない。まずいと思っても、決してそれを口にせず、作った人に感謝しながら食べなければいけない……と。『蟹の縦ばい』(中公文庫)

作った人への感謝を忘れてはならぬ』、『料理を作る過程を考えたら、思いつきの批判などできない』、『まずければ黙っている。うまければおいしいと感嘆するのが、料理を作る人への思いやり』というのが母親の教えだった。

その教えが身にしみて、吉村さんは食卓に出されたものはなんでも食べた。


こうした母親の教えを受けて育った吉村氏は、「食通」について、こんな文章を残している。

私は、こうした食通の人に敬意をいだくが、その反面不幸な人たちではないかと思う。私たちが少しうまいと感じる食物を、食通の人はきわめてまずい物として再び箸をつけることもしないだろう。私たちが大いにうまいと思うものも、かれらは、まあ、まあだと言いながらさまざまな欠点を見出すにちがいない。『実を申すと』(ちくま文庫)

この文章に対し、谷口氏は『食通と言われる人と同席した際に不快なことがあった』と推察し、吉村氏の気持ちに思いを巡らせている。

幼い頃から、料理についてとやかく口にするのははしたない、と母親にしつけられてきたので、味つけをあしざまに言うその人を、はしたないと思ったのだ。

お店や食べた料理をSNSや口コミサイトに書き込むのが日常となった我々は、この吉村氏の考えを「古い。時代が違う」と否定できるだろうか?


文壇酒徒番附 横綱の「酒の教え」

冒頭にも書いたとおり、吉村氏は文壇酒徒番附の横綱と評された酒豪だった。

酒は毎晩飲んでいた。
千鳥足になったのは、焼酎をコップ十七杯飲んだときだけで、ウイスキー角瓶二本、お銚子二十七本を、それぞれ夜の三、四時間の間に飲んだ。バーを何軒かはしごして、編集者に「それで水割り二十二杯目ですよ」と言われた。……などなど、横綱にふさわしい数々の逸話がある。

『二十代後半から三十一、二歳までは、よく安キャバレーに通った』が、やがて熱が冷め、『小料理屋からバー、最後の仕上げにキャバレーというコースだったのが、その手前のバーでご帰館となった』。

その横綱も齢を重ね、『仕上がりの時期』を感じるようになった。

今年の一月は、私にとって珍しい月であった。
それに気づいたのは、月末近くであった。元旦以後、一度も外で酒を飲んだことがないことを知ったからである。(略)それよりもなによりも自分から外に酒を飲みに出掛けることを忘れていたことが薄気味悪くさえあった。
仕上がりの時期が来たかな、と私は思った。が、まだ四十九歳であるのに(略) 『蟹の縦ばい』(中公文庫)

やがて、『五十代になって外で飲み歩くことも少なくなり、横綱は過去のことで、幕内の中位ぐらいが妥当だと思っていた』。
私も昨年(2020年)50歳を迎えた。今はまだ感じないが、そのうち徐々に『仕上がりの時期』を自覚し始め、それを受け入れるようにして、酒の飲み方も変わってくるのだろう。

吉村氏は『仕上がりの時期』を経て酒も弱くなったが、『それでも力士が毎日稽古を欠かさないように酒は毎日飲んでいた』。
それでも肝臓は医者に褒められるほど、きれいだったという。
その秘訣は?

元横綱として言わせてもらえば、酒には戒律が必要で、それをかたく守ることによって酒は無上の楽しみになる。『わたしの流儀』(新潮文庫)

戒律その1は酒の飲み方に関するもので、『昼酒の厳禁』
吉村氏は『外で人と飲む時は日没後と定め、家で一人で飲む時は、夕食をすませて九時頃から飲む』習慣をかたく守ったという。

戒律その2は酒席に関するもので、『酒の席は、すべてがなごやかでほのぼのとしたものでなければならない』ということである。

旅や食物のことなど、他愛のないことのみを話し、むずかしい話は御免である。席の空気はおだやかで、それによって酒はことのほかうまく、同席する人への親しみも増し、幸せな気分になる。これが酒の大きな魅力である。『縁起のいい客』(文春文庫)

私は、酒が大好きだが、酔っぱらいはきらいである。酒乱の癖のある人間は、さらに大きらいである。酒飲みには、酒飲みの約束事がある。それは自ら楽しむと同時に、他人に対して迷惑をかけぬということである。『人生の観察』(河出書房新社)

吉村氏は『酒は真剣に飲むもの』とも語っており、酒飲みの私としては、かなり耳の痛い金言である。

言うまでもなく、2つの戒律は「節度を持ち、酒に呑まれない」という、酒飲みなら誰でもが心得ていることなのだが、一旦酒が入るとすっかり忘れ、自分をコントロールできなくなってしまいがちである。
この戒律をかたく守り続けた吉村先生。
やはり、相撲と同じく、このくらいのストイックさがなければ横綱にはなれない、ということなのだろう。


吉村流「良い店の見つけ方」

日本の都道府県で訪れていない地はないほど旅することが多かった吉村氏は、執筆のための取材であっても、ほとんどの場合は編集者を同行させず、一人旅だったという。
『初めての土地で酒と肴の名店を探し出す』のは、現代ならSNSやグルメサイトの口コミや点数などで割と簡単だが、そうでない昭和の時代はさぞ難しかっただろうと思う。
だが、そこは食べ物に貪婪で、しかも横綱級の酒飲みである吉村先生。
『長年の勘で好ましい店かどうかを見分けられるようになった』

私も一人旅をすることが多いが、時代の波に乗り遅れてSNSやネットを使いこなせず、お店探しには苦労している。
早速、『店探しの天才だと自負するに至った』吉村先生の教えを請う。
人間の顔と同じじゃないですかね。店の構えっていうのは』と、吉村先生は答える。

店の外観を見てよさそうだと思うと、ガラス越しにのぞき、時には入口の戸を細目に開ける。私が見るのは客で、中年以上落ち着いた感じの客だけがいると、安心して入る。
初めてですが、と店の人に声をかけ、入口に近いカウンターの端に坐る。(略)『私の好きな悪い癖』(講談社文庫)

本書の著者、谷口氏が補足してくれる。

チェックするのは外に掲げられたメニューでも値段でもない。店の中にいる人間、それも料理人ではなく、客の顔だ。客筋を見て、あ、これいいうちだなと思って店に入ってカウンターの前に坐る。長年の旅の経験で、中年以上のおだやかな表情をした男性の客が飲んでいる店なら間違いないという。

そして、気に入った店が見つかれば、愚直に通う。「あの店も、この店も」と欲をかかない。そして、その店や土地に通ううち、店員だけでなく、土地の人々とも親しくなっていき、いつしか馴染みの店も増えていく。


上で、旅先での店探しを「現代ならSNSやグルメサイトの口コミや点数などで割と簡単」と書いたが、自分気に入るお店は簡単に見つけられるだろうか?
そして、店員や土地の人々と親しくなれるだろうか?
見ず知らずの他人が書いた情報に頼っている我々は、実は、自分気に入るお店を探し出す嗅覚が退化してしまっているのではないだろうか?

吉村氏は、自分気に入るお店を見つけることを楽しみにしていたが、現代の我々は、それが「楽しみ」ではなく「無駄」な行為だと思っていないだろうか?

「有名なグルメブロガーが紹介していたから」「SNSで"いいね"がたくさん付いているお店だから」「グルメサイトで高得点だから」……

そうやって見つけたお店は、「自分気に入るお店」ではなく、本当に「自分気に入るお店」になるのだろうか?
本当に「自分食べたい」、「自分美味しい」料理なのだろうか?
本当に「自分飲みたい」お酒なのだろうか?

本書を読みながら、グルメにまつわるSNSやインターネットの功罪について思いを巡らせていた。

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