映画『トキワ荘の青春』
2021年2月、『トキワ荘の青春 デジタルリマスター版』(以下、映画と記す)が公開された。
オリジナル版の公開は1996年、監督は市川準。
「トキワ荘」は有名だから、今更説明の必要もなく、世間一般的には「漫画家という大きな夢を持った若者が、日々切磋琢磨しながら腕を磨いていったアパート」という、ポジティブなイメージで語られるだろう。
そのポジティブさの一因は、実際に大きな夢を実現し、生涯「人気漫画家」でいられた(或いは、いられるであろう)漫画家たちの、「あの頃があったから今がある」(不適切を承知で言うと「勝者の論理」)的な回想によって語られたことにもあるだろう。
私自身は幼い頃に『ドラえもん』や『天才バカボン』を無邪気に楽しんだ世代だが、以降熱心なマンガ読みにならなかったため、トキワ荘のイメージは、まさに世間一般に流布されているポジティブなそれである。
だから映画を観て、正直戸惑った。
実在の漫画家と俳優
映画が半ば伝説的に語られる一因は、俳優陣にある(それ以前に市川準監督自身が伝説なのは言うまでもない)。
今では「個性派」として知られているが、公開当時(1996年)は小劇場系の演劇好き以外の一般人には無名の新人でしかなった俳優が多く出演している。
藤本弘(藤子・F・不二雄)役の阿部サダヲ(大人計画)、鈴木伸一(「ラーメン小池」のモデル)役の生瀬勝久(そとばこまち)、森安直哉役の古田新太(劇団☆新感線)、など。
だから、映画を知らない人は、そのイメージのまま「明るく賑やか(或いは爽やか)な青春映画」を想像するかもしれない。
しかし、それは実際の漫画家・俳優のイメージも含めて、裏切られる。
NHK-BSの番組『BSマンガ夜話』で、藤子不二雄A氏の『まんが道』を採り上げた際(2004年6月28日放送分)、漫画家のいしかわじゅん氏がこう発言した。
映画は、本木雅弘演じる「テラさん」こと寺田ヒロオ氏を主人公に、トキワ荘としてあまり語られることのない側面、つまり「楽しいだけじゃない、日々ポジティブだったわけじゃない、みんなが人気漫画家になれたわけじゃない」を描いた物語である(だから戸惑った)。
現に、古田演じる森安は、ある日突然誰にも告げずテラさんに置手紙を残してトキワ荘を出ていく。生瀬演じる鈴木は、テラさん一人に『アニメーション専門でやることにしました。みんなと離れるのは寂しいけど…決めたから』と告げて去っていく。
そして「テラさん」は…
梶井純著『トキワ荘の時代』
最初に断っておくが、映画は冒頭のシーンでわざわざ記されるとおり、『史実に基づいて描いたフィクション』である。
だが、そのフィクションもストーリーの都合に合わせて若干改竄した程度で、出来事については概ね事実に近いのではないだろうか。
それは、映画の「原案協力」として手塚治虫、藤子不二雄A、石ノ森章太郎という「元トキワ荘住人」の方たちとともに、梶井純氏がクレジットされていることと関係がある。
梶井純著『トキワ荘の時代』(ちくま文庫、2020年。原著『トキワ荘の時代 寺田ヒロオのまんが道』筑摩書房、1993年。以下、本書)の解説(編集者・吉備能人氏)では、『本書は一九九三年に(略)刊行され、九六年には市川準監督の映画『トキワ荘の青春』のヒントにもなった』と紹介されている。
本書は、原著のタイトルからもわかるとおり、寺田ヒロオ氏を中心に据えたノンフィクションで、1992年に逝去する前の寺田ヒロオ氏本人や関係者のインタビュー、トキワ荘関連の文献などから構成されている。
本書は私のような一般的なトキワ荘のイメージしか持たない者が、映画を観る際の副読本になり得るのではないだろうか。
テラさん
寺田ヒロオ氏(以下、テラさん)は、トキワ荘住人のリーダー的存在である。
その人となりは、至る所でトキワ荘関係者が口にしているとおり、「面倒見が良い」ことに尽きる。
だから、住人はもちろん、そこに集う若き漫画家(の卵)たちは、色々と相談したり悩みを打ち明けたり、時には金銭的援助をも含め、テラさんを頼りにしていた。
では、そんなテラさんは、自身が悩んだり迷った時に誰を頼ったのだろう?
棚下照生
映画でのテラさんは、一般的な「トキワ荘伝説」で語られるとおりの「いい人」であり「リーダー」である一方、自分の進むべき道について迷い、悩んでいる。兄(時任三郎)にも『サラリーマンになれ』と諭されている。
しかし、テラさんはトキワ荘ではほとんど弱音を吐かない。
映画のテラさんは、悩みや迷いを、漫画家・棚下照生(柳ユーレイ)に相談する。
一切説明されることなく物語が進むため、一般的なトキワ荘の知識しか持たないと、棚下照生という存在に戸惑ってしまう。
本書で梶井氏はこう記している。
棚下は複雑な家庭に育ち、14歳で初めて『漫画少年』の投稿漫画入選したときには、梶井氏によると『すでに酒とタバコは常習で、けんかにあけくれる日々が日常だった』そうである。
棚下は、新潟県新発田市の実家にいたテラさんに、再三、上京を勧めていたという。
棚下の熱心な勧めもあって上京したテラさんは、しかし棚下に面倒をかけず、叔父の家を経てトキワ荘へ入居する。
テラさんは何度か棚下をトキワ荘へ連れてきているが、棚下は馴染めなかった。
棚下は三十歳前後のころに、暮らしに窮するほどになる。
いかにもテラさんらしいエピソードだ。
つげ義春
映画の中で、トキワ荘関係者以外の外部の人間と接触するのは、テラさんともう一人、赤塚不二夫(大森嘉之)だけである。
その赤塚が会うのが、つげ義春(土屋良太)である。
意外な組み合わせのようだが、フィクションではない。
つげ義春は15歳の時、当時トキワ荘に住んでいた手塚の部屋にアポなしで押しかけており、手塚好きという面では後の住人たちと変わらない。
とはいえ、今のイメージからは、つげと赤塚は結びつかない。
手塚に会った頃のつげは、江東区の小さなメッキ工場で働いていた。
そのつげは、赤塚を訪ねて2~3度トキワ荘へ行ったという。しかし、棚下同様、馴染めなかった。
ちなみに、あの「つげ義春」が持ったテラさんの印象が『ずいぶん無口で、内向的な人』だったというのは興味深い。
映画では、当時台頭してきた「劇画」に対する、旧来の「少年漫画」側の戸惑いを表すために、つげを登場させているようにも見える。
テラさんは、つげの漫画を読んでいると前置きした上、『何と言ったらいいのか……自分の傷を漫画で見せることって必要なのかな?』と異議を唱える。
映画はこのセリフをモノローグで見せ、実際につげに言ったか、それ以前に本当に口に出したか、曖昧にする。
つげの方も、トキワ荘を出てテラさんがいない場所で、見送りに出た赤塚に『俺も寺田さんの漫画が好きだ…いい人だな、寺田さん』と言った後、『いい人過ぎるよ』と断じる。
そして、『(トキワ荘に)もう来ない』と言い切る。
このシーンにおいて、「少年漫画」と「劇画」は袂を分けたことを暗喩している。
同時に、上記異議に続くテラさんの弁解は、自身の将来も暗喩している。
『僕のは少し、幼過ぎるんだけどね』
棚下とつげ(と「劇画」)の登場が、この映画のトーンを決めると同時に、「明るく賑やかなトキワ荘」というイメージしか持たない一般の観客を戸惑わせている。
そして、もう一つ、「明るく賑やかなトキワ荘」のイメージを覆し、我々を戸惑わせるエピソードがある。
それが、「学童社の倒産」である。
学童社の倒産
1955年(昭和30年) 9月。『漫画少年』を発行していた学童社が倒産する。
映画では、序盤から学童社の編集部に返本の束が積まれており、映画の進行とともにそれが増えていき、そしてついに、返本の山となった無人の暗い編集部に黒電話のベルが鳴り続ける、というシーンに至る。
映画では、つのだじろう(翁華栄)がトキワ荘の藤子不二雄 2人がいる部屋を訪ねて倒産を知らせるのだが、本書には『九月一六日、安孫子は寺田ヒロオから学童社の倒産を知らされた』とある。
学童社の倒産は、突然の出来事だった。
トキワ荘住人のショックも大きい。
赤塚と石ノ森(当時は石森)は何をしていたのか?
梶井氏は赤塚不二夫の「ぼくが漫画家になるまで」(『ギャグほどステキな商売はない』所収)を引用している。
その頃、赤塚と石森は東日本漫画研究会に参加しており、他の仲間たちと『墨汁一滴』の編集に精をだしていた。
倒産を知った彼らは、急いで学童社へ向かった。なぜか?
先に、映画では「返本の山となった無人の暗い編集部に黒電話のベルが鳴り続ける」と書いたが、実際の彼らが見た光景は、どうだったのか。
続きを引用する。
映画では、倒産の知らせを受けて、住人たちがテラさんの部屋に集合する。誰もが押し黙り重苦しい雰囲気の中、石森(さとうこうじ)が怒ったように言う。
『なんだよみんな。頑張ろうよ。新しい雑誌だって、どんどん出てるんだし。今こそ頑張らなきゃ』
それをきっかけに彼らは自分の道を改めて見つめ直し、各々の結論を出す。それは冒頭にも書いたように、ハッピーな結末ではないのかもれない。
とはいえ、ナイーブで暗いだけの映画ではない。
爆笑する映画ではないが、至る所で市川準監督のセンスが冴えわたり、クスクス笑え、ニヤニヤするシーンがふんだんにある。
私は何回見ても、前半からクスクスが続き、石森と赤塚のアシスタントに来た水野英子(松梨智子)が二人のふざけっぷり(今なら完全にセクハラ)に苛立ち、とうとうテラさんに怒りをぶつけるシーンで、たまらず吹き出してしまうのである。