アイドルの卒業~映画『ファンファーレ』~

いつからアイドルは「卒業」するようになったのだろう。
映画『ファンファーレ』(吉野竜平監督、2023年。以下、本作)を観ながら考えた。
かつてのアイドルは、グループなら「脱退」、芸能界を去るなら「引退」、アイドルから他の…たとえば俳優・タレントになるなら「転身」と云われていた。
「卒業」という言葉が使われるようになって、「解散」という言葉が使われなくなった。

私はアイドル評論家でもないし、本稿のために色々調べようと思わないが、1980年代のアイドル黄金期がそのまま10代と重なる私の体感としては、「卒業」のはしり・・・は恐らく「おニャン子クラブ」で、それは「女子高生の放課後のクラブ活動」というコンセプトに則り、だから「入部」があり「退部」「卒業」も自然な成り行きだった。
アイドルの「卒業」が本格的になったのは、90年代の「モーニング娘。」で、「〇期メンバー」という括りが存在し、それによって「卒業」したメンバーが補充されたり、或いは逆に、古参メンバーがところてん方式で押し出されたりした。
「モーニング娘。」が画期的だったのは、「アイドル(グループ)は交換可能でオンリーワンではない」、だから「アイドルは人生の中のキャリアの一つ」、つまり「アイドルにもセカンドキャリアがある」ことを日本国民全員に知らしめ、アイドルの概念を根底からひっくり返したことにある。
それを意図的に利用したのが2000年代の「AKB48」で、2022年10月16日に放送されたフジテレビの番組『僕らの時代』で、かつてカリスマセンターだった前田敦子さんが『当初から女優志望だったので、「卒業しちゃいけない」って言われてたらAKB48に入っていなかった』と発言していたが、つまり、昭和には日本国民全員の憧れだったアイドルは、平成にはそこがゴールではなく、キャリアアップの一つの手段に過ぎなくなっていた。

だから2000年代のアイドル映画は、彼女/彼(ら)にもセカンドキャリアがあることが前提で作られていることが多い。
たとえば、『ピンカートンに会いにいく』(坂下雄一郎監督、2018年)はメンバー間のトラブルで解散したアイドルグループを再結成させようとし、『さよならエリュマントス』(大野大輔監督、2023年)は解散寸前に追い込まれたマイナーチアグループの話だった。

前置きがかなり長くなったが、本作が上記2作と決定的に違うのは、冒頭に書いたとおり、「解散」ではなく「卒業」だということだ。

大石万理花(水上京香)と須藤玲(野元そら)は、アイドルグループ・ファンファーレのリーダーである西尾由奈(喜多乃愛のあ)の卒業コンサートのために呼び出されていた。 二人と由奈とはファンファーレの結成メンバー。由奈の希望により卒業曲は、万理花に振り付けを、玲に衣装のデザインを頼むことに。疎遠気味になっていた3人は、由奈の卒業を機にもう一度交流を持つようになる。
才能の限界を感じてアイドルをやめ、振付師を目指すも鳴かず飛ばずな万理花。 アイドル時代は圧倒的なカリスマ性で人気を牽引していたものの、服飾の道に進みたいとアイドルをやめ衣装のデザイン会社に入った玲。それぞれ社会の厳しさに打ちのめされる日々。 アイドルをやめて30歳手前、成功しているとは言えないセカンドキャリアでそれぞれの悩みや葛藤がある中、由奈の門出にお互い奮闘していくが…

本作パンフレット「あらすじ」

つまり本作は、アイドルは「交換可能」の消耗品で、キャリアアップの一つの手段だということを描いている。
とはいえ、本作はアイドルを扱ってはいるが、いわゆる「業界モノ」や「お仕事物語」ではなく、真っ当な「成長物語」である。

それは、本作が万理花と玲の葛藤物語であることからもはっきりしている。
二人はそれなりにファンたちからチヤホヤされてきて、その自信(プライド)からセカンドキャリアでもすぐに活躍できるだろうと自惚れていたが、現実はそうそう甘くない。
かつて輝いた経験が邪魔をして上手くいかない現実を直視できず、「今のキャリアは向いてなかっただけ」と次のキャリアに逃げようとしている。
物語として重要なのは、葛藤する万理花・玲ともに各々、本心を突く辛辣な言葉を使ってはいるが基本的に自分に寄り添ってくれる、真っ当な大人のメンターがいることで、だから、二人は現実から逃げずステップアップする。

本作は「アイドル(業界)」というカリカチュアされた世界を舞台にしているが、アイドルじゃない我々も含め誰もが一度は経験することを描いている(留意しなければいけないのは、物語がアイドルをカリカチュアしているのではなく、現実世界がアイドル(の世界)をカリカチュアしていることで、しかし、その我々素人が勝手にカリカチュアしている「アイドル」にもセカンドキャリアがある、という前提なしにはこの物語は成立しない)。

誰もが夢や希望、或いは若さゆえの根拠のない自信で己の人生を選択したものの、現実の壁に打ちのめされ、自信(自身)を無くし、挫折を経験し、葛藤し、それによって自ずと成長していく。
自ずと故に、渦中にある人たちは、それが「成長」だと気づかない。
本作は、「人はそうやって成長するんだよ」と気づかせてくれる、真っ当な成長物語である。

劇中で、卒業の理由を問われた由奈は「その時が来たから」と答えるが、それははぐらかしているわけではなく、恐らく本心だろう。
物語は、具体的な理由を語らない彼女が、卒業コンサートで自身の卒業ソングを歌い終わり、何かを言いかけたところで終わる。
意味深ではあるが、本作を「真っ当な成長物語」としてみるなら、その後で彼女が何を言おうが、それは全く重要ではない。

アイドルは、いつかは「卒業」する存在。
それが前提なのだから。

メモ

映画『ファンファーレ』
2024年1月2日。UPLINK京都


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