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愛される場所をつくる / 壱岐島を冒険して(なるる)#Season1

冒険の舞台は、長崎県壱岐島。

篠﨑さんは、ピザ屋さん、ゲストハウスの方々と手を組んで「たちまち」という地域活動の団体をされています。

「たちまち」というのは、壱岐の方言で「とりあえず」という意味だそうです。その名前のとおり、篠﨑さんたちは「とりあえず、何かやってみる」ということをモットーに動いているとのことでした。

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(左は冒険先で事業を営む篠﨑さん、右は地域を案内してくれた坂田さん)

たちまちの皆さんが、いま取り組んでいることの一つに「空き家問題」があります。

壱岐に住みたいという話をよくもらうものの、「住める場所」を紹介できない。ゲストハウスの方々がもたれていたそうした悩みが、空き家に取り組むきっかけになったそうです。

20-30年以上経っている空き家は、水回りはほぼ壊滅状態だそうです。この状態では、空き家を「住める場所」として紹介することはできません。

また、空き家を個人が所有している場合、その空き家かどうかの情報が表に出てこないことが多いそうです。それによって、どこが空き家で、どこがそうでないかの判別も難しくなります。情報を持ってない以上、紹介することができません。


そこで、篠﨑さんたちは、行政と協力しながら空き家バンクに登録された「空き家」をリノベーションすることで、「住める場所」に変えていっているとのことでした。

(空き家バンクとは、町にある空き家の情報を一元管理しているシステムのことです。空き家を手放したい人と、空き家がほしい人をつなげるプラットホームみたいな感じです。)

篠﨑さんたちの取組は、空き家をただ「住める場所」に変えることだけではありません。

フィールドワークでも見させてもらいましたが、壱岐では路地が多く車通りの少ないところがいくつもあります。そこではまだ幼い子供たちが、縦横無尽に駆け回りながら自由に遊んでいるとのことでした。

篠﨑さんは、その様子を見て「子供たちが自由に遊べるところが、壱岐の良さではないか」と思いつき、そのイメージをリノベーション案に落とし込みました。

子供たちが自由に集まって、遊ぶことのできる場。

現代芸術の世界には、「スペシフィシティ(特殊性)」という考え方があります。

例えば、「メディウム・スペシフィシティ(媒介特殊性)」。これは、素材や媒体の固有の性質を表現することが、芸術の自律性において重要だとする考えです。絵画なら「平面性」を強調することが、絵画を芸術たらしめるということです。

その延長線上にあるのが、「サイト・スペシフィシティ(場所特殊性)」というものです。これは「その場所だからできること」「その場所ならではのこと」というような、「その場所の特殊性」を切り取ることが、アートで言えば彫刻(駅前のモニュメントとか、オブジェのようなパブリックアート)、インスタレーション(空間芸術)、そして建築の世界では重要であるという考えです。

なぜ、重要なのか。

僕自身も初学者なので断定したことは言えませんが、場所の特殊性を切り取ることによって、人々が単に「空間」として認識していたものが「場所」として認識されるからだと思います。一度、「場所」としての認識になれば、おそらく人はその空間に対して情緒的な繋がりを感じるようになるのではないでしょうか。(浅学のため、これからも勉強していきます)

篠﨑さんの行われていたことは、まさに「壱岐という場所の特殊性(子供が縦横無尽に遊び回る)」を切り取ったリノベーション案なのではないかと感じました。

それだけではありません。篠﨑さんは、実際に空き家をリノベーションする際には、高校生をはじめとした地元住民と協力して作り上げているそうです。

地元住民と協力してリノベーションを行うことは、自分たちの手で創り上げた新しい家に対して特別な想いを抱くのではないでしょうか(これをデザインの世界ではIKEA効果と呼んでいます)。

この冒険を通じて、僕が考えていたのは、愛される場所が作られるためには、何が必要なのだろうということ。

ここでいう「愛される」というのは、みんなが自然と足を運んだり、くつろげる空間あり、その場に馴染んでいながらも個性的で特別な存在ということです。

そんな「愛される場所」を作るためには、サイト・スペシフィシティを考慮する必要があるのかもしれませんし、地元の方と協力して作り上げる必要があるかもしれません。

他にも、さまざまな要素が重なり合って愛される場所は作られるのでしょう。

愛される場所が、どうつくられるのか。

僕はこれからも探究していきたいと思います。


なるる

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