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「遠い」場所(あいこす/2)

青森県出身の私は、出身地を明かすとよく「遠いね」と言われることがあります。しかし私は、今住んでいる埼玉と青森は「近い」と感じています。

出身地に関するやりとりをする度に、この距離感の違いに影響する要因はなんだろうとよく考えます。今回はこのことについて書いてみます。


埼玉から青森へのアクセスは、新幹線でも3時間、夜行バスだと10時間もかかるため、実際には距離があることは否めません。しかし、私は大学受験の際や、進学後も帰省を繰り返す中で、その移動に慣れたことが大きいと思います。

私はまず最初に、その土地間を移動した回数が関係しているのではないかと考えました。この移動の慣れによって、距離感が相対的に縮んだのでしょう。

さらに、それ以上に遠くの土地へ行った経験も距離感に影響を与えると考えました。私は今年の9月にアメリカへ行く機会があり、合計14時間のフライトと8時間の乗り継ぎ待ちを経験しました。青森への帰省では寝ていれば到着していましたが、アメリカへのフライトでは初めていくら寝てもなかなか到着しないという経験をしました。この体験から、日本国内の移動がより短く、より近く感じられるようにもなりました。

しかしこうした経験の中で、ひとつ重要な要素があるのではないかと思いました。それは、心の距離感です。

よく知らない土地のことは遠く感じてしまうものです。冒頭のように、青森のことを遠いと言った人は、青森へ行ったことがなかったり、青森についてあまり知らない人が多かったように感じます。つまり、心の距離感があるように感じるのです。さらに言うと、何度も通っている場所でも、思いがなければ、遠く感じる場所のままかもしれません。

一方で、私にとってはかつて住んでいた土地で、知り合いもたくさんいる場所です。普段も、地元は今どんな感じかなとか、あの人元気かなとか考えることがあります。最近で言うと雪結構積もってるのかななどと考えたりします。心の距離は、物理的な距離以上に、近いと感じます。

そうして思いを馳せるという行為も距離感に関係していると考えました。回数以上に、その土地に対して愛着が湧くということの方が大きな要因かもしれません。

話は変わりますが、わたしはインターン生として、i.clubが主催するオンライン探究プログラムであるinnovationGOに参加しています。

オンライン上ではありながらも日本全国を冒険する中で、全国各地のさまざまな地域について知る経験をしてきました。

自分が訪れたこともない土地で暮らす人々の話を聞いて、見て、そしてその地域について考えることで、その地域との心の距離感は縮まったように感じています。

私の考えでは、距離感は人それぞれの旅の経験によって変化するものだと思います。そして、その中で、物理的な距離よりも、心の距離感が大きな割合を占めていくのだと思います。さらに、心の距離感を縮める経験は、オンライン・オフラインを問わないというのが、i.clubインターン生としての私ならではの考えだと思います。

これからもさまざまな場所に行く機会や、その地域について知り、考える機会はあると思います。その中で、自分の距離感のさらなる変化を体感したり、距離感に影響する新たな要因や視点を発見できることが楽しみです。

あいこす

<この記事を書いた人>
あいこす。青森県中泊町出身。埼玉大学教養学部所属。大学ではヨーロッパ文化を専攻。インターンを通してイノベーションについて学習中。楽器演奏が趣味。最近は専らジャズトランペットに熱中。

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