無意識に焦ることをやめてみた
ご挨拶
みなさまこんにちは! 桃です。
お久しぶりの投稿になってしまいました。
ちょっと色々仕事でありまして、noteから離れてしまっていましたが、今はのんびりと過ごせています。
みなさんは、暑いけれど体調を崩されたりしてはいませんか?
(そして、お子様が夏休みに入られた方々、本当にお疲れ様です…! 遠くから充実した幸せな日々を心から祈っています)
無意識に作っていた自分への枷
さて、本題です。
ふと、最近、自分に無意識にかけている枷に気がついたので、自戒を込めて書いてみることにしました。
自分をお歳暮のハムのようにぎゅうぎゅうに縛っている勝手な価値観。
それは、「自分ってトロいから。ダメだから。劣っているんだから、人一倍頑張らなきゃいけない」って強迫的思っていることでした。
普段は能天気でバカなわたしだけれど、この思いはお風呂の壁にこびりついたカビのように取れない。ずっとずっと。
「一体なんでだろう?」って首をかしげるけれど、そのきっかけはかなりはっきり覚えています。
枷を作ったきっかけ
昔々、幼稚園の頃。
わたしは、子どもの頃は大人から褒められる存在でした。
みんなのお手本。喧嘩(いざこざ)を仲裁する役。「みんな桃さんを見習って」と言われるちょっとしっかりしすぎているような子。
でも、これって決して自慢できることではありません。
わたしは、「ただただ、褒めてもらえるようにいい子ぶっていた」──いいえ、「怒られないように頑張っていた」だけなのです。
その原動力は「恐怖」。感情が不安定な大人が周りに複数いたからでしょうか。どうしても、どうしても怒られたくなかっただけなのです。
そんなわたしが、躓いたのは意外と早い小学校1年生の頃です。
それまで、幼稚園の先生の言うことをきちんと聞いて、友達をフォローする存在だったわたし。それが、小学校一年生の初めのガイダンスで、人よりもお道具箱をしまうのがとても遅かったのです。そして、他にも、ランドセルに物をしまうのが遅かった。鉛筆を取り出すのも遅かった。
こんなことか、って今なら言葉にすると稚拙で笑ってしまうのですが、当時は本当に恐ろしく感じました。
「わたしって、もしかして人より劣っている?」
心臓をバクバク言わせながら、頭の中を言葉がぐるぐる回っていました。
その後、決定的だったのは、クラスメイトの子から「桃さんってトロいよね」と嘲笑されたことでした。
(ふふふ、意外と小学生って大人っぽくて嘲笑するんですよね。)
図星だったからか。それとも、悲しかったからなのか。
幼いわたしは、俯いて、「ああ、本当にわたしって人から見てもダメな人間なんだ」と心の深い部分に傷が付きました。
それ以来、ものすごく頑張って、人より早く物事を処理するように努めてきました。生来のんびり屋のわたし。とても辛いことだし、家に帰ると疲れ切っていましたが、自分にがっかりするよりはましでした。
自分よりおっとりしている子を見て密かに胸を撫で下ろしているような、最低な人だったんです。
しかし、そんなことも長くは続きません。
わたしは、ずっとずっと無意識に縛り付けていた「人より頑張らなくちゃ病」を脱することを決意しました。
そもそも、「人より劣っている」とか「人より優れている」とか気にするなんてバカらしくない??
そんなわたしこそ嫌だわ。
心からそう思ったのです。
そして、気づきへ
そんな風に思えるようになったのも、まいちんさんをはじめとした、あらゆる発信をされている方を通じて、自分と向き合う「手帳・ノート術」に出会ったから。(術っていうと齟齬があるかな。とにかく、自分の書きたいように書いています)
特に、ジャーナリングという方法に、とても救われました。
(これらの詳細については、機会があれば後述したいと思います)
手帳やノートに自分の思ったことをひらすら書いていく、自分と向き合うって大切だなあ、としみじみ実感しております。
みなさんも、もしご興味があればまいちんさんやご自身に合った「手帳・ノート術」を一度ご覧になってくださいね。
「note」を書かれているor読まれている方には、合うと思うんだ〜。