愛の成分。
自分の口から発する言葉、それは相手へのRespect (リスペクト)=敬意・敬愛と言えるでしょう。
言葉とはつまり愛と言う名のエネルギー。
単に自分を表現する手段ではなく、相手に与える自分のエネルギー。
私の言葉は相手を励まし、癒し、生きる力、ポジティブなエネルギーでありたい。正論で他者を傷つけ、絶望、失望に陥れることは美しくない。
正しさよりも大切なことはあるのです。
そして、正しさより大切なことよりも、大切なこともあるのです。
何かや誰かを諦めずに愛し続けることは諦めるよりはるかにずっと大きなエネルギーが必要です。何かを辞めることにも当然エネルギーがいります。摩擦を断ち切るには大きな力が必要になります。
矛盾するようですが、でも諦めることは実は続けることよりずっと簡単でしょう。(←私見です。)
愛を持って人との関係、物事との関わり方を続けることは大変。傷ついても、傷つけられても、疲れても、疲れ果てても、それらを甘受できないと言う人は、元より愛することに向いていないのだろうと自らを振り返り思います。
言葉を超えた本質が本来の愛だろうと気づけることは、耳障りの良い言葉の羅列など足元にも及ばない大きな愛情だとわかると言うことです。
心無い言葉に宿る愛がわかる自分でありますように。
耳障りの良い言葉に誤った愛を求める自分にならないように。
そして私の発する言葉の愛の成分がより多くなるように。
あなたの明日が幸せであるようにといつも愛の言葉で祈ることができますように。
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