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理解し共感することは、行為を許すことではない

大きな事件が起きると、連日その容疑者の人物像について報道されます。情報の真偽はさておき、その人の生い立ち、思考、情緒面や発達傾向が明らかになるにつれ、他人ごとではないと感じている人も多いのではないでしょうか。

自己中心的、極端な思考、ひとりよがり、他者視点に立てない、共感性が低い、感情が暴走する、衝動的に行動する、コミュニケーションが苦手・・
これらは問題を起こした人の特徴としてよくあげられる要素です。
これらのどれにも当てはまらないという人を探す方が難しく、自分や自分の身近な人も、一歩間違えれば・・、他の不幸なことが重なっていたらどうなっていたかわからない、と考える方が自然でしょう。
何があろうと絶対にあり得ない、と断言できる人の方がむしろ人間に対する感度や想像力が鈍っていて危ないと感じます。

どういうことで世間を驚かす問題行動にいたったのかは、その人がどんな環境で育ちどんな体験をしてきたのか、どんな特性をもっているのか、その人になってみないとわからないです。
痛ましい事件を起こした人の立場に自分の身を置いて想像するなんて恐ろしいこと。それゆえ、自分とは関係ないこととしたり、誰かを裁き、批判している方がずっと楽です。しかし、批判しているだけでは、いつか身近で何か大きな事件が起こるのではないかという不安は消えません。

みんなが何かしらの生きづらさを抱えて生きています。だからこそ、ささいなことでもお互いに理解し、共感しあって、支え合うことが大事だと思います。

問題行動を起こす人は感情の処理の仕方に問題がある

行動の裏には何らかの感情があります。感情自体には良いも悪いもないけれど、その感情の対処の仕方が不適切な時に問題が起こります。
その気持ちをわかってもらい、気持ちが落ち着いてから、”どうしたら自分の気持ちやニーズを満たすことができるのか”を誰かに一緒に考えてもらってやってみる。それを繰り返していくと、その人なりに感情と上手につきあえるようになります。そうするとおのずと、相手の気持ちを思いやったり、相手の立場に立ったり、自分がしてもらったように誰かをヘルプできるようになります。
人は誰かに助けてもらっている一方だと気が重いけれど、自分もまた誰かの助けになっていると感じた時に、少しだけ心が軽くなります。

共感することは、行為を許可することではない

「事情や気持ちをわかってあげると、やったことを許すことになる」と言う人がいますが、そういう人は、感情とその結果の行為の区別がついていません
気持ちをわかり共感することは、やったことを評価することでも許すことでもなく、ただ相手の中に沸き起こった感情としてうけとめること。
「学校(仕事)に行きたくない」という人に事情も聞かずに「それなら行くな」と言うのは違うし、「死にたい」と言う人への共感は「死んでもいい」ということではなく、生きているのがどんな風に苦しくてつらいのか、その背景にある気持ちに寄り添うこと。

わかることより、”わかっていない”を前提にわかろうとする姿勢が大事

問題の原因はいろいろな要素が複合的に絡み合っていて、こうすれば解決する、という単純なものではありません。たくさんのことが重なりあって起こっているのであれば、そのうちのひとつでも解決できれば何かが変わるかもしれません。
何がその人をそのような行為に向かわせたのかを理解しようとすることで、自分自身や身近で苦しんでいる人への理解にもつながり、お互いが生きやすい世の中になるのではないかと思います。


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