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知れば知るほど苦しいなんて、学校は教えてくれなかったよ

脳内が苦しい、酸素が欲しい。
知的欲求に従って新しい何かを知ることは一般的に良いことらしい。学校でも、勉強することで知識を身につけて社会を生きていくのに必要とされる武器を習得しなさいと言われてきた。

でも、誰も教えてくれなかった。

知れば知るほど、息が苦しくなるなんて
知れば知るほど、視野が狭くなるなんて
知れば知るほど、感情が自分の体重で押しつぶされそうになるなんて
知れば知るほど、怖いなんて。

知識を得ること、真実を求めること。過去の先人たちが残した膨大な研究の成果を知ることは本当に”良い”ことなのかな

僕は疑問だ。

本を読み、分析を行い、現在に適用して、本質を導き出す。問題が浮き上がれば、それを解決するために何をすれば良いか考える。
このプロセスが楽しかった時期もあった。高校を卒業するまではすごく楽しみながら、積極的に「世界」に挑んでいた様な気がする。

ある時から、知識が僕を苦しめる様になった。知識はいつだって「正しいこと」を強要する。偉人であろうが、著名人であろうが、みんな”自分が正しい”って思いたい。そしてそこに意味をつけたい。

でも一方の正しいと、他方の正しいの境目にいた場合はどうなるんだろう。どちらも正しい様に思えて、正しさという定規で世界を測ることに違和感を覚える様になった。誰であっても正しいことなんて存在しないんじゃないかと真剣に思う様になる。



縋る対象があれば人は、救われるのかな。

それは決して弱さではない。人間としてあるべき姿の一つだと思う。そうして、縋る対象を見つけて、その人が言うセリフを自分自身に落とし込み、自分も尊敬するあの人になったかの様な錯覚を覚える。
そうやって手に入れた全能感や優越感を元にして、守りたい人々のため、ホットコーヒーを差し出したい人々のため、ただいまを言いたい人々のため、おかえりを届けたい人々のためにこの現代社会を生き抜くエネルギーにしているんだろう。

嘘と誠で入り混じったこの世界を生きていくために、必要なことをする


ただ、僕があなたの文章に救われた様に。あなたが誰かの文章に救われた様に、きっと救いを求めて自分以外の何かに手を伸ばそうとする。

それがこの世界をサバイブしていく方法なんだろう。




知れば知るほど、自分の中に別の視点が生まれる。その別の視点は、僕の行動や僕の周りの人の言動、社会の動きに対して一つ一つコメントをつけていく。得た知識の一つ一つが流動的に脳内を蠢いて、ことあるごとに僕に話しかけてくる。

僕は誰かに対して、間違ってるだとか。
こっちの方が正しいとか。
合理的じゃないとか。
こうする方が良いよとか。

言いたくないし、思いたくない。

根っこのほうにいる僕は、人間としての礼儀をわきまえない人以外の人を肯定したいと思ってる。今まで周囲の方々からいただいた計り知れない愛が、僕にそれを可能にしてくれる。


何も知らなければ良かった。
でも、知れることは恵まれてる。知れることは幸せ。
だからこれからも学び続けて、削ぎ落とし続けて、形を作り上げていく。

知は、誰かのためになって初めて、意味があるらしい。
だから誰かの役に立てるなら、

知ることにも学ぶことにも、経験することにもきっと意義があると信じたい


見ていただきありがとうございます〜。

何か書いて欲しい企画とか、お題があればぜひぜひコメント欄にて教えてください(о´∀`о)
みなさんの今日、明日が良い1日になりますように。
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