あなたを最後まで看取ると決めてからの私の人生

#日記

鳴っているはずだったアラームは聞こえず、気づけばぐっすりと寝てしまっていた。僕にとって寝ることは忘れることに等しい。人生を方向付けるベクトルを固定して毎日同じ自分でいたいのに、ぐっすりと寝てしまうとそれら全てを忘れてしまう。だから寝ることが怖い。

昨日まで持っていた情熱、一昨日まで好きだった人、得意だったこと、最近までお気に入りだった色。全部束ねて花束にして、プライスタグには168って書いて大切に持っていたいのに。
ぐっすり寝て、全部忘れてしまうのが嫌だ。

寝ない生活が続くと、ぼーっとしはじめる。ぼーっとしている時は頭も回っていないので、”漠然とした不安”に悩まされることもない。そんなに言葉を積み上げられるような状態じゃないから。
寝ていないということは昨日と今日の僕がずっと続いているということで、僕は僕であり、僕以外ではなく、絶対的で唯一な個体であることを確認できる。

だからぐっすりと寝た日の朝は気分が落ち込む


たとえぐっすり寝てしまったとしても全て忘れないように覚えているために、僕は記述する。書くことだけが昨日と今日の橋渡し。



最近、素敵なおじいちゃんとよく話す。

彼は、奥さんを看取るために100歳まで生きると決めて日々活動的な生活を送っている。
その原動力だけを頼りに、いろんな地域活動に参加して、運動をして、病院に行き、健康的なご飯を食べる。奥さんのための彼の身体、人生という在り方を追求している彼の姿勢そのものが素敵だと思う。

彼は80手前なのにも関わらず、若者よりもパソコンを使いこなしている。
毎朝4時に起きると、SNSから情報を収集し、本を読み、インプットしたことをすぐにWordにまとめる。

お金の管理も、これからの人生の過ごし方も、奥さんとのことも、生活のスケジュールも、彼は全て可視化する。
「見える化」の力を舐めてはいけないと思った。
見えないものを見えるようにすると、不安が消えるという。不安が消えることは、部屋の片付けをすることに等しい。
物理的な断捨離と、思考の断捨離。
何を考えるべきで、何を考えないべきかわかっている人は強い。
本当にすべきことに一点集中で時間を投資することができるからだ。

全て言語化することや、可視化することの重要性なんて、腐るほど溢れている。僕自身もそれを謳っていたはず。それなのに、彼の人生を見て、その徹底さに圧倒されてしまった。
生きることそのものを可視化すると人生における不安が消える。
企業が経営計画書を作ることと同様に、僕たちにも人生計画が必要だ。




noteに書くこと、メモに書くこと、手帳に書くこと、A4用紙に書くこと。
それら全てがきっと僕の生きた証になる。
僕の生きた証は残すことから生まれる。

文字で紡いできた存在の証明は、立ち戻れるように”いつもそこに在る”べきだと思う。ヘンゼルがパンを落とすと小鳥が啄んでしまって、戻れなくなるように。歩いてきた道のりを辿れるように、生きてきた証を見える化していきたい。



忘れないように、今日も書こう
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