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うまい悪態をつくには鍛錬が必要だ

生きていると腹が立つことがある。誰しもあると思う。

私自身は争いを好まないので、腹が立つような人や物事とは極力関わらないようにして生きている。

それでもときどき腹を立てたときに困るのが「悪態がつけない」ということだ。

たまの機会に腹を立てて、いざ悪態のひとつでもついてやろうと思うのだけれど、これが難しい。

そもそも悪態をつく主要な目的は、「相手がぐうの音も出せない一撃を与えたい」ということだろう。

古くからあるおきまりの悪態表現といえば、「ばか」、「アホ」、「でくのぼう」、「こんちくしょう」、「お前の母ちゃんデベソ」あたりになる。

しかし、上記の表現ではおそらく効果的な一撃にはならない。これを実際に言われたら私は相手に可愛げすら覚える。それでは悪態の目的を果たせない。

そこで参考にしたいのは、頭がよくて口が悪い(正直な)人たちの言葉だ。

「カスの相手をしている時間なんて、もったいないでしょ。『そんな人たちは、私の人生になんの傷も与えられない』と思える強さを身につけることが大切です」 美輪明宏
「家に帰って立川談志という人に叱られたと親に言え!でも、まあ、てめえみたいなバカの親だから知らねえかもな!!」 立川談志
「この世が苦しいのはみんなトム・ヨークのせい」 ノエル・ギャラガー

このように真実味という切れ味を持って、相手の安易な反論を許さない悪態はたしかに優れた悪態といえるだろう。

そして分かるのは、効果的な悪態をつくためには定型文をそのまま活用してはいけないということだ。

ここで必要なのは「知性」と「オリジナリティ」という"二つ"の要素だ。

知性については生まれ持った要素が大きいけれど、考える力は後天的にでも伸ばせる。

言語表現のオリジナリティを磨くためには、やはりたくさん本を読むなどして少しずつ幅を広げるほかない。

そうして悪態をつくための自力をつけていけば、いざという時に相手の追随を許さない気持ちの良い鉄槌を下せるはずだ。


そして先日、とうとうめったにない腹立たしい場面がやってきた。

ところが、こんなに満を持した機会に私は悪態がつけなかった。知性とオリジナリティあふれる素敵な悪態を思いついたにもかかわらず、だ。

なぜかというと、面と向かってそれを相手に言う勇気がなかったからだ。

それは我ながら大変によくできた悪態だったので、口から出したならおそらくそれを言ってはおしまいよ、という空気になっただろう。そして実際に色んなことが「おしまい」になったはずだ。

思うに、効果的な悪態をつくために必要な要素は実は"三つ"なのだと思う。

「知性」と「オリジナリティ」、そして「度胸」だ。

もしあなたが本当に腹を立てたときに相手に一撃を与えたいなら、この三つの鍛錬を日ごろから行うとよいだろう。