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卑屈にほとほと飽きている

2023年の感想:忙しかったけど楽しかった。
きっと多分すっごく普通なことだけど私にとっては1年間を「楽しかった」と振り返られることに自身の成長を感じざるを得ない。33歳自分、まだ成長できます。

幼少期にいじめられたわけでもなく、家族仲も悪くなくて、決定的な深い傷があるわけでもないけど、なぜかずっと卑屈で暗い性格だった。楽しそうに生きる人たちすべてが私とは別の生き物のように見え、この世の誰もが私の存在を望んでいないような気がしていた。卑屈をこじらせると「こんな気持ちの悪い自分が生きていても仕方がない」となり、人生を楽しむどころか明日生きることに対するモチベーションが消えていく。
そういう30年を過ごしてきた。

しかし、30歳になったあたりで私は突然、卑屈に飽きた。
それは少しずつ「何も楽しくないと思いながらこれからも生きていくのか?」という疑問が大きくなってきていたこと、加えて前の前の会社(転職万歳!)で過労とストレスで体調を崩したときにカウンセリングに通ったことが大きなきっかけになった。

卑屈のまま生きていたくないという気持ちが芽生えたことと、カウンセリングによって自尊心のなさや精神的な特性が可視化されたことで、とうとう今まで寒気がして向き合うことのできなかった「自分を大切にする」という文言に向き合わざるを得なくなった私は、カウンセリングの先生に言われるがまま、今までだったら鼻で笑っていただろうことも全て試してみた。(”楽しむ”訓練として川沿いをスキップしてみよう、とか…)やってみると、こんなのはやっぱりバカバカしい!と思ったけれど、それと同時に、そうまでして卑屈に向き合いたい自分の必死さが滑稽で、自分自身に対して「卑屈を治してあげたい」と思うようになった。

それからは意図的に
①逃げてよし
②休んでよし
③好きなことだけやってればよし

という生活を心がけて3年、33歳になった今、なんと私は毎日が楽しいと思えるほどになっている。ただ毎日を淡々と生きただけなのに!
まだ全然脆いけど淡々と健やかに生きていけるだけの自尊心を手に入れるまで33年掛かってしまった。

かつての私よ
あの日いなくなった大好きな友よ
ただ生きているだけで、良いのだよ。

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