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日々是レファレンス J.L.ボルヘス『シェイクスピアの記憶』

 5月の末頃のことであったか6月の初旬であったか。平日の夜だったと思うが銭湯に行こうとして、その前に近くの書店になんとなく立ち寄ってぶらぶらしていた。海外文学のところを通り過ぎると、平積みしている文庫本の中に「ボルヘス最後の短篇集」という文字を見つけ我が目を疑った。えっどういうこと?ボルヘスに新刊?頭の中にいくつものクエスチョンマークが飛び交っていたがその『シェイクスピアの記憶』と題された文庫本を持ち上げてその薄さに面食らいながらもレジで購入。第1刷発行が2023年12月15日。もう半年ほども前のことではないか。僕は自分のアンテナの低さを呪った。「一九八三年八月二十五日」「青い虎」「パラケルススの薔薇」そして表題作「シェイクスピアの記憶」の4篇が収録されている(そして詳細な訳注とさらに詳細な50ページ弱にわたる解説がついている)。「シェイクスピアの記憶」は本邦初訳とのことだ。

J.L.ボルヘス『シェイクスピアの記憶』

 僕の悪い癖で、買ってしまえば満足するようなところがありしばらく放置していたが、ある日noteで「シェイクスピアの記憶」に関する記事を見つけて、自分がこの本を買ったことを思い出した。その記事は2021年7月17日に書かれたもので『シェイクスピアの記憶』発行より2年も前のことだ。「シェイクスピアの記憶」が未訳である経緯について軽く触れ、その経緯により詳しい記事にリンクを貼り、そして筆者ご自身で翻訳を試みている。これはすごい記事だ(しかも無料記事だ)と思ってとりあえず「スキ」をつけておき、先に自分で買った『シェイクスピアの記憶』を読むことにした。

 薄い本なので早々に読み終えた(とはいえボルヘスなのでゆっくり読む)。どの短篇も「ああボルヘスだなぁ」という感想以外はなかなか浮かんでこない。何度か読み返す内に出てくる言葉や連想などもあるだろうか。
 この本を読む少し前に、とある画家から「俺は今スピノザを読んでいるぞ」と『倫理学エチカ』を見せられた。その画家は僕のことが大好きなので、僕にもスピノザを読ませて議論がしたいのだ。そういうのが嫌いではないので『倫理学エチカ』上下巻をAmazonで購入した(が、まだ読んでいない)のだが『シェイクスピアの記憶』所収の「青い虎」の中にスピノザの『倫理学エチカ』が登場する。おやおやこれは単なる偶然か、あるいは僕がボルヘスを好きなことを当然知っているはずの、僕のことが大好きな画家の誘導だったのか。
 そんなわけで文庫本『シェイクスピアの記憶』を読み終えたので、noteの記事の方を読む。ここで二つの翻訳の優劣については触れない。僕は原文を読んだわけではないし、noteの記事の筆者ご本人は「わたしはべつに翻訳者ではない」が、面白いので「みなさんにぜひ読んでもらいたい」一心で翻訳されておられる。その労力をありがたく受け取るのみである。また「ただし、まちがいだらけだと思うので、偽書だと思ってくださいね」と謙遜されておられるが「偽書・シェイクスピアの記憶」とか、まさしくボルヘスっぽくないかなどと思ってしまった。それはさておき。
 先ほど「二つの翻訳の優劣については触れない」と書いたが、それでも二つの翻訳を読み比べるのは面白い。なぜこの言葉を選んだのか、訳出の工夫、ルビの振り方(ルビを振らないことも)、言い回しの選び方などなど。短い短篇だからじっくり読むことができて、短い短篇だから何度も読み比べられる。それはもはや極上のエンタテインメントだ。

 同じ筆者による「バビロニアの籤」という、どうみてもボルヘスへのオマージュとしか思えない創作もあったので、リンクを貼っておく。

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