創作 - バビロニアの籤

 わたしの国では、幸福はくじ引きで分配される。そう聞くと外国の人々は、労働の対価がくじの番号札で配られるディストピアを想像する。東欧と砂漠のあいだの小国の出身であるわたしは、はじめのうち、この話を聞いた人々の驚きを、うまく理解できなかった。わたしの出身はバビロニア。風が旅を終え、渓谷の夜空に星々がまどろむ東の国だ。
 資本主義社会でも、神意を占う未開の民族のくじ引きでも、おなじ話だ。くじ引きには、責任の放棄という快楽がある。わたしの祖国はこの快楽を社会制度に取り入れた。資本主義のくじ引きは労役の免除を、未開のくじ引きは運命の免除を意味する。ほかの国の人々の思考はここで終わるが、われわれは、それらの免除を決定したのは政府でも長老でもなく、神であると考える。
 わたしの国のくじ引きは、諸外国のそれと比べて、際だった特徴をひとつもっている。バビロニアのくじは、それ自体が責任である。過去にはそれが四桁だったこともあるが、わたしが生まれたときには六桁になっていた番号が、わたしの下腹部に刺青されている。刺青を彫るのは十四の誕生日だが、その日をむかえたすべての国民のもとに、使途とよばれる被差別階級の者がやってきて、刺青を施す。
 人間の運命は十種類でこと足りる。半年に一度、われわれの旧暦における夏至と冬至の日に、国王おんみずからがくじを引く。ひとりひとりの運命を細かく決めていく時間はないので、ほとんどの運命が桁数で決定される。たとえば、下一桁が三の刺青を持つ者は、これから半年は奴隷である。上二桁が十二であるものは、税金が免除される、等々。
 断っておくが、バビロニアという国家は、健全な民主主義と資本主義のもとで運営されている。わたしたちの通貨はルクという。一ルクあたり十八ルピー。ニューデリー条約によって制定された正式なレートだが、わたしが国を出る直前には、これで食パンを二斤買うことができた。選挙は二年に一度。比例代表制であり、現在の与党は保守、最大野党は立憲民主。行政のほぼ百パーセントを政府が行い、くじ引きにかける議題の選定も、国民に信任されたこの政府が行う。世襲の国王は、ただ賽子を振るだけだ。この体制と似ているほかの国といえば、日本やイギリスだろう。
 バビロニア政府と国王は世界人権宣言に同意している。先進国にあって当然の社会福祉制度は充実しており、国民健康保険はわたしたちの下腹部の番号に結びつけられ、全国民が加入しており、手続きの必要はない。国連が調査した国民の幸福度は、フィンランドに次いで二位である。
 われわれがくじ引きに自らの運命を託すのは――それが生まれた国の風習だったから、という習慣的な理由をべつにすれば――先にも述べたとおり、社会的責任を負うためである。それは他国における成人の概念と似ていなくもない。国家運営上必要なさまざまな役務は、他国では罪人や貧者に押しつけられているが、わたしの故郷では任意の番号を持つ者が、定められた期間だけ、それを行う。兵役や懲役さえもがくじ引きの結果に委ねられており、わたしたちはこれに満足している。
 四十二年の冬にクリミア半島の原子力発電所が爆発したとき、わたしたちは瓦礫を処理する人員をくじ引きで選んだ。彼らのうち多くは帰らなかったが、拒否した者はほとんど居なかったし、いたとしても番号を削除された――つまり、刺青は上書きされて、番号を持たぬ者になった。カーストの最下位に落ちた、というわけでもない。ただ、あらゆる種類の社会的連帯や、保障を断たれた、というだけだ。かれらはもはや国内で仕事をもつことができないし、医者にかかることもできない。住居はただちに政府に接収された。
 それでは人間の自由意志はどうなるのか、職業選択の自由、性別の自由、人種の自由はどこにあるのかと、異郷のあなたがたは問うだろう。答えていわなければならない。バビロニアのくじは、非常に繊細な方法で抽選される。それぞれが表す桁ごとに異なる宝石で造られた六つの十面賽子は、それ自体が王権を意味し、歴代国王は首が据わるまえからそれらに触れてきた。
 国会ならびに枢密院の承認を経て議題が国王に奏上され、最終的には国王おんみずからの承諾を経て賽子が振られる。その様子はインターネットで中継されるが、磁石の存在を疑われないように、賽子は強化ガラスの盤に投じられる。国王の下腹部には六桁の数字のかわりに、無限をあらわす数学記号が彫られているという、まことしやかな噂がある。
 わたしの国で唯一発展していないのは、ポルノグラフィである。かつて下腹部の番号を衆目に晒すことは、性器を晒すことに等しい紊乱である、と考えられていた。いまでは風紀もずいぶん変わった。わたしのお気に入りの女優は、四五七八一二番である。
 ここまでの報告を読み返したが、バビロニアのくじが意味する目的論が、あまりうまく伝わっていないように思われる。人生の合目的性にかんする見解は様々だろうし、テキストという形式においては、それについてあなたと議論をすることも叶わない。
 話をわかりやすくするために、あえてわれわれの現実の出来事、〈よくあること〉について、順序立てて話してみよう。
 第一に、このくじ引き制度に反対する政治的活動は、存在する。ただし、この活動に誰が参加するのかは、くじ引きの結果によって決まる。先述の原発騒ぎに関連した四十三年のデモは三万人の参加者を数えたが、逮捕された参加者たちの上一桁は、例外なく一から三であった。これは伝聞ではない。当時わたしはまだ若く、友人たちと「番号を見せ合った」。そのうち、デモに参加した人間の番号は、出生や社会階級、当人の自由意志に関わりなく、一から三の上一桁をもっていた。
 第二に、人生におけるそれぞれの専門を選ぶ権利は、すべての国民に与えられている。職業選択の自由は憲法で保障されているし、趣味や創作などの文化的活動を妨害する法はなく、表現の自由が掲げられている。にもかかわらず、たとえば売文家として金を得られる者は百の位が六、そのうち食っていける者は十の位が四、売れっ子になる者は一の位が二だ、とされている。確かめたことはない。先述した通り、わが故郷で「あなたの番号を見せてくれ」と言うのは、あなたとセックスをさせてくれ、と言うのに近い。
 第三に、賽子が振られるのは、それが国家運営上絶対に必要な議題である場合のみである。兵役や懲役、原発の瓦礫回収の例についてはすでに述べた。それに加えてくじ引きの対象となるのは、自然災害の対処、介護福祉、便所掃除、税金の徴収など、誰かがやらなければならない仕事のみである。
 第四に、国王のお務めは賽子を振ることのみである。国王は七才まで、食事と睡眠をのぞいて、ひとりきりの部屋で過ごす。他者との交流と会話は宮中法で固く禁じられている。これによって国王の言語野の発達は阻害され、文盲となる。わたしの代の国王は御年八十であるが、そのお顔は天使のように清らかで、魂は精通していない少年のままである。
 刺青で番号を彫るという人工的なプロセスには何らかの不正が入る余地があるから、自然に任せて生年月日を採用すればよいという、異邦人の意見を聞いたことがある。答えて言わなければならない。生年月日には、コンテクストが存在する。現在の日付と比較すれば、そのひとが何歳で、どんな歴史的事件を体験したか、把握できてしまう。そうした情報は同情のもとであり、神意を阻む。
 番号が四桁だったころのものとされる伝説だが、ある母親がはじめての出産で五つ子を産んだ。女の子が四人に男の子がひとりだった。かれらが十四歳を迎えた日、刺青師が少年たちのおなかをめくらせて、その家の伝統的な書体に、刺青師の個性を加えたカリグラフィで番号を彫り終えた。
 しばらくすると、五つ子の数字の刺青の部分に、真っ黒な痣が浮かび上がってきて、数字が判読できなくなった。そしてその右に、四桁ではなく、五桁の数字の形の痣が浮かび上がった。上四桁まではおなじで、黒子が小数点になり、そのあとで一から五までの数字がひとりずつに割り振られていた。
 小数点以下の数字はわが国の制度上の例外であり、当然のことだが、それらの番号にはなんの運命も割り当てられなかった。だから五つ子はみな、おなじ運命をともにしたという。
 バビロニアの人間がこの民話を聞いて最初に思いつく疑問は、なぜ神は十つ子ではなく、五つ子をこの家に与えたのか、というものである。有名な解釈のひとつに、神は五進数をお望みなのだが、われわれ人間が堕落したので、望ましくない五つの進数がさらに加えられたのだ、というものがある。バビロニアで縁起の良い数は五である。
 わたしの意見では、ゼロを含まないマイナス五までが人類の諸相を表し、ゼロこそが神である。
 わたしは自分の番号を衆目に明かすことを好まない。しかし、その特徴を話の種にすることは厭わない。わたしの番号は、わたしが十六の歳で外国に旅すること、そこで女のかたちをした異国の言語という愛に出会うこと、著述家の道をひらいて批評や詩作をはじめること、わたしはわたしが思っているほどには幸福でも不幸でもないことなどを、あらかじめ予表していた。それを受け容れられたかどうかは、問題ではない。受け容れたところで、状況は変わらなかった。
 問題は、現時点では番号のせいだと思っていたことが、未来において異なっていたとしても、運命はひとしくすべての人の身に降りかかるという、月並みな真理である。自由意志などというものは、存在しないのだ――少なくとも、バビロニアに生まれた人間には。


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