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初期衝動のその先へ 「数分間のエールを ボイスドラマ 朝屋彼方と外崎大輔 イントロダクション」

はじめに

映画「数分間のエールを」を視聴して、一週間経過。
視聴後、その日のうちに感想文を書いてから、いつものように「好きなものから距離置きたい病」が発動。
なんだこの気持ちは、毎回こうなるんだよな。
これについての記事書いても面白いかも。

それは置いといて、今回はやっと聞くことができた
本編の前日譚でもある「ボイスドラマ」について
いつも通り感情のまま書きなぐっていきたいと思います!  

大まかな感想

本編で少し触れられていた彼方くんとトノとの確執。
そして過去の絵画コンクールの話を描いてくれたことに最大限の感謝を。
また、本編でも地味に思っていたことだけど、互いが互いに激重感情を向けていたことがはっきり確定してしまった。
特に、トノからの感情がでかすぎる。
色んな意味で視野が広いトノからすれば、一つのことにのめり込むことが出来る彼方のことが羨ましいのは納得だよね。


何者かになりたい

ボイスドラマ中に彼方くんが繰り返すセリフ。
「何者かになりたい」
これは、今の若い人が抱えるオーソドックスな悩みだと思う。
今の時代、誰でも色んな娯楽に触れることが出来て、さらにクリエイターとして一歩を踏み出すことが昔よりも簡単になっていると思う。
何をするにもyoutubeに「〇〇のつくりかた」とか動画があるし、「○○の始め方」って本は無数にある。
色んな種類の先人たちが踏みしめた道が、歩きやすいように舗装してある状態。
そんな時代に、若者は自分の可能性を追い求めると思うけど
「じゃあ何をすればいいの」となる。

見える世界が広まると、入ってくる情報の中には「最年少で〇〇!」「若干〇歳にして達成!」とか、自分と同年代もしくは年下の人たちが大活躍している様子をまざまざと見せつけられる。
そんな世界で、ただ漠然と生きている人間は優秀な人間と自分を比較して「劣っている」「怠けている」と考えてしまうのかもしれない。
彼方くんが冒頭で言っている「胸の奥の焦りで苦しくなる」は、このことなのかなとか感じてしまった。
「何者かになりたい」と言っているけど、「何者かにならなければならない」って気持ちなのかもしれない。

中学生なんて特に多感な時期だし、自身と周りの違いを意識し始める年代だよね。
だからこそ中二病的行動にはしったり、変に教師に反抗してみたりといった「大多数とは違う自分」を求めるのだと思う。
自分の存在意義を、「他者との違い」に求めるのかもしれない。

私もその1人でした。恥ずかしい。

彼方くんの場合は「絵をかくこと」
彼は自分の心の中にある「自分の作ったもので誰かの気持ちを動かしたい」という思いを形にする手段として「絵をかくこと」を選んだのね。

でもこれはまだ他の人には言ってないっぽい。
この時点で「絵を描くこと」は、自分が自分を肯定できるものではあっても、他者が自分を肯定するものではないんだよな。
だから、彼方くんは成果を欲しがってるんだよね。


彼方くんと外崎君

互いに「自分の気持ちを分かっていない」と思っている二人。
互いが互いの欲している物を持っている状態なんだよな。
彼方くんは、外崎君に絵の才能に限らず、なんでもできる要領の良さや周囲からの評価。
外崎君は、彼方君に何かをする意味を持っていること、迷わずそれにのめり込むことが出来る情熱とかかな。

互いがそれを羨ましいとも疎ましいとも感じているかもしれないけど、一番は尊敬しているとも思える。
互いに「すげぇやつ」って思ってるから、一緒にいれるんだよな。

彼方君から見た外崎君

この関係は嫉妬が強いとも思う。
彼方君からしたら、自分が喉から手が出るほど欲しい絵の技術を当たり前のように持っているから。
そのくせに、周りからの評価が高いってやばすぎだろ。
冒頭の「胸の奥の焦り」は外崎君の存在がかなり大きそうだよな。

表現したいものがあるのに、それを表現できない苦しみ。
クリエイターとして一番苦しいと思う。
先が見えてるのに、自分の力が及んでないわけなので、マジで苦しいよな。
しかも、真横にそれが出来る存在がいるから辛い。
そりゃへこむよ。


外崎君から見た彼方君

この関係は「憧れ」「羨望」が大きいと感じました。

ボイスドラマ中のセリフで
「オリジナルなんて簡単に作れないだろ」と彼方君に言うシーン。
それに対して「誰かの心を動かしたいって思ったら自然とそうなるだろ」と当たり前のように返す彼方君。

ここなんだよな!
「絵を描くことを楽しむ」でよかったと言っていた外崎君と
「絵を描いて誰かの心を動かしたい」と自然に考えている彼方君。

自分が楽しめればそれでいいと考えていた自分と違い、誰かのためという創作する上での意味を見出している彼方君に、一種の憧れとも嫉妬ともいえる感情を抱いている。
これは最初に語った他者との違いの話にも繋がるかも。
自分と同年代ではっきりと表現したいものを見つけている存在がいる。
これは、外崎君からすれば価値観が歪んでしまうくらいの衝撃だったのではないだろうか。

だからこそ、本編でも彼方君のことを眩しい存在だと思っていたのかも。
前回の感想文でも書いたことだけど、
外崎君にとって彼方君は「先にいる人物」なんだよね。

夕先生が彼方君を過去の自分と重ねて眩しいと感じていたように、

外崎君は自分の好きを見つけて突き進む彼方君を見て眩しいと感じていたのかも。

何かになるための一歩「数分間のエールを」 感想|歯茎の一本漬け (note.com)

彼方君は、自分の表現したいもののために手段を探している状態。
外崎君は、自分が何をしたいのか探している状態。

技術としては外崎君が上なのかもしれないけど、間違いなくクリエイターとしては彼方君が先にいるんだよな。

そして、創作に対する姿勢もかな。
ボイスドラマ冒頭のシーンで、雨の中でもカエルのスケッチをしようとして遅れてるところ。また、本編でも徹夜でMV制作に取り掛かって授業を聞いていないところ等。
そんな風に創作に向き合う姿勢は、外崎君からすれば眩しいと思う。
視野が広い彼からすると、周りからみたら変な目で見られそうな奇行は避けたいと感じると思う。でも、彼方君はそんなこと気にしない。
だって描きたいから
他の何を犠牲にしてでも、表現したいものがあるからこそ、それに全力になれる。「描くものに躊躇いがない」というのはこれのことだとも思う。


求めた結果

このシーンはつらい。
外崎君は頑張っていた彼方君を知っているからこそつらいし、才能の差を見せられる彼方君もつらい。

これをきっかけに本格的に絵を描くことになる外崎君。
そして、絵を描くことを諦める彼方君。
これって、外崎君は成功を掴んで、彼方君は挫折を味わったと思えるけど、
「周りの評価から道を決められた外崎君」と
「周りの評価から他の可能性を模索できるようになった彼方君」
とも解釈できる。

外崎君はそれをうっすら自覚できているから苦しいとも思えるよね。
なんでも出来るようで他人の目に雁字搦めの外崎くんに対して
何も出来ないようでゴールに向かって色んな道を選ぶことが出来る彼方君。


映画本編だと、この絵を描くことに苦しむ外崎君に対して、MV作りという自分の表現したいものが見つかってかなり生き生きしてる彼方君になってる。
こう見ると物凄い重要な出来事だよな。
これをバッサリカットしてるなんて、すごすぎる。
そして、このボイスドラマを作った方がすごすぎる。
ありがとうございました。

最後に

いつも通りの書きなぐりでした。
この作品を見て、もう一度映画館に行きたい!と思えました!

マジで、妄想なので気にしないでほしいんですけど
最後の外崎君が高校を選んだ理由を話すシーンで「なんとなく」って答えてるんですよ。
これって、彼方君を見習って自分の殻を破ろうとしているのかなと感じたり。考えすぎかも!

というかさ!
夕先生が近くにいるやん!
もう少しで会えたじゃん!こういうの大好き!
「ビオトープ」死ぬほど好きなのに、またヘビロテよ!

では、また次の感想文で~

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