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実家で飼っていたちゅろのお話

こんにちはーまるけママです。
今日は私が小学生の時、実家で飼っていたセキセイインコのちゅろについてを書きます。




4羽と飼い主についてはこちらをご覧下さい。




私が小学生だった時の話です。

実家でセキセイインコを飼ってました。今うちにいるぽぴと同じオパーリンでした。

それまでは何度か文鳥を飼ってたけど窓から逃げてしまったり、事故で亡くなってしまったりで、それからお迎えしたのがちゅろでした。


ちゅろのことは今でもハッキリ覚えています。



当時うちには座椅子がありました。
こんな感じの。




私はこの座椅子に座って前後に揺らすのが大好きで、いつも座りながら揺らして遊んでたんです。


そして、勢いよく揺らしすぎて座椅子ごと後ろに倒れてしましました!


その時、座椅子の下にはちゅろがいたんです。


私はちゅろのことをしっかり見てなかったので、座椅子でちゅろを潰してしまったんです。


そして、ちゅろを骨折させてしまいました。





その時本当に申し訳ない気持ちでいっぱいで、でも脚をケガさせてしまった自分が許せなくて自分が嫌になりました。



ちゅろは急に何が起こったのかわからず、一生懸命脚を引きづりながら
すぐ側にいた姉の元に行きました。

誰かの側にいたかったんだと思います。



それから急いで病院に連れて行き、薬を飲ませて少しずつ脚は良くなりました。



それから1年後、ちゅろは亡くなりました。





何が原因だったかは覚えてないけど体調を崩し、亡くなる少し前から薬を飲ませてたことは覚えています。



当時私は小学3年生で両親は共働きだったので、私が1番帰るのが早かったんです。


自分で家の鍵を開けて入ると・・・


いつもと様子が違いました。





なんとなく違和感を感じて部屋に入ると、カゴの中でちゅろが亡くなってました・・・



仰向けになった状態で体が硬直してて、触ると冷たくなってました。



子供ながらに、ちゅろはたった1人で旅立ってしまったんだなと思うと、悲しくてツラくて涙が止まりませんでした・・・


 

いつも帰ってくると、必ず鳴き声を聞かせてくれたちゅろ。

その鳴き声がもう聞けなくなってしまったんだ・・・





鍵っ子だった私にとって、ちゅろの存在は本当に大きかったです。

悲しくて何日も泣きました。



家族みんなちゅろをすごく可愛がってたので、本当にお別れはツライものでした。




数日経ってから父が一言
「もうお別れするの悲しいから生き物飼うのやめよう!!」

と言いました。



その時、本当はまたインコを飼いたかった!!!
でも言えなかった。



だって私はまだ子供だし
きちんとお世話出来ないし・・・





それから20年以上が経ちました。


そして、またセキセイインコを飼いたいという思いが出てきて、今4羽のセキセイインコと暮らしています。




あの時ちゅろが亡くなった後、本当はインコを飼いたかったけどそれを言えなかった過去の私が、今の私にメッセージを送ってくれてるような気がします。



次は後悔しないように、インコたちと素敵な時間を過ごしてね!』



だからかもしれません。




今いるぽぴは、あの時のちゅろと同じオパーリン。
そしてうちに来て1週間後に左脚を骨折しました。



その後、仰向けで昼寝するようになりました。
(ちゅろの最後の姿と同じです。そしてセキセイインコで仰向けになるコは珍しいです!!!)



これは偶然ではありません。必然です。



ぽぴを見るたびにちゅろのことを思い出します。




だからこそ、あの時ちゅろにしてあげられなかったことを、今いる4羽のインコたちにたくさんしてあげようと思えます。



たった30gほどの小さな体、
でも存在感は抜群です。
そして、私の心の支えでもあります。



今いるちゃぴ・ぴっぴ・ぽぴ・えりちゃんに愛情いっぱい注ぎながら、1日1日を大切に大事に過ごしていきます。



ちゅろへ


私の家族の元に来てくれて
ありがとう。

ケガさせてしまったこと
今でも後悔が残るけど、
それでもちゅろと過ごした時間は
大切な思い出だよ。


ちゅろのおかげで、今こうやって
4羽の我が子と過ごせてるよ。


子供の私にいろんなことを教えてくれて
本当に本当にありがとう。

今でも大好きだよ!!!





パパとママでラジオ始めました。





YouTubeインコまるけやってます。


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