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【思い出】ヤンキーの先輩に「頭から飛べ」と命令された話

私が中学生の頃の話です。

私の在籍していた中学校は周辺地域でも群を抜くほど頭が悪く、勉強をしていないのに「勉強したくない」が口癖になってしまうくらい、どうしようもありませんでした。

私が入学式のときに「あなた殺しますね」と殺害予告されたのも、そうした環境では必然だったのかもしれません。

そんなはちゃめちゃな世界を作り上げていたのは、紛れもなく「先輩」という存在でした。

特に「英傑」と私が勝手に呼んでいた先輩は気性が荒く、繊細なガラス工芸品を思わせました。

少しの私たちのミスが、ガラスを傷つけてしまうのです。

私は先輩を目にする度にビクビクと肩をふるわせ、気に障らないように全身全霊で愛想を振りまきました。

私の友人達も「こんにちは」と「お疲れ様でした」を言うときだけ、拡声器顔負けの大声を出していました。

そんな心身共に疲れきった私たちにとって、「豊かな大自然」は唯一心を落ち着かせることのできる場でした。

私たちは離島に住んでいたので、必然的に「海」が遊び場となり、長い時間を共に過ごしました。

先輩の前であれば、筋肉を引っ張っただけの笑顔しか見せることはできませんでしたが、海にいるときだけは心から笑うことができました。

私たちにとっての海は、どこまでもどこまでも包み込んでくれる存在でした。


ある夏の日。

その日も私は海に泳ぎに行っていました。

数人の親しい友人と共に、何の気兼ねもなく楽しんでいました。

海に反射する眩しい太陽と、青い海を泳ぐ小魚たち。

どこまでも透き通る海は、まるで私たちの心を表しているようでした。

あぁ、本当に楽しいなぁ。

私は心からのリラックスと安心感で、日々の傷ついた心が言えていく感覚を味わいました。

しかし、その後に悲惨な出来事が起ころうとは、このときの私は想像だにしていませんでいた。


その変化は突然起こり始めました。

ある時を境に、急に胃のむかつきを感じ始めたのです。

異常に喉が渇き、息が詰まるような感覚に襲われました。

なんでこんなにそわそわするんだろう?

私は右手でお腹のあたりを摩りながらも、この不吉な予感に心当たりがありました。

頭に一瞬、傍若無人な先輩の顔がよぎりました。

私はハッとし、心臓がバクンと高鳴りました。

先輩が近くにいる。

私は先輩が回りに振りまいている邪悪なオーラを敏感に察知しました。

耳をよく澄ませると「ギャハハ」という声が遠くから聞こえました。

今すぐにでも逃げなければならない。

私は友人の方を見ました。

友人は、未だ先輩のオーラに気がついていないらしく、水辺で楽しく遊んでいました。

私は渇きで張り付いた喉を振り絞り、声を出しました。

「おい・・・! 逃げ・・・・・・」

私がそう言いかけた時でした。

「おい〇〇、ここで何してるんだ?」

時、既に遅し。

先輩が私を発見し、声をかけてきました。

私はギャ――――!! と悲鳴を上げそうになるのを必死にこらえました。

口から心臓が飛び出したような感覚と、筋肉の痙攣が身体に一気に押し寄せました。

私は焦りながら何かを言おうとしましたが、全く言葉が出てきません。

そんな私を、先輩は気にするそぶりもありませんでした。

「おい、ちょっとついてこい。」

先輩は、辺りで一番大きな岩を指さしながら言いました。

海にポツンと浮かぶ、真っ黒の大岩でした。

私は明らかに動揺し、「えっ?えっ?」と困惑しました。

先輩は相変わらず何を考えているのか分からない表情で言いました。

「お前、海に飛び込んだことある? 頭から飛び込めよ。」

あっ。

私は運命を悟りました。

どうやら、私は大岩から飛ばないといけないらしく、先輩の中ではそれは確定しているようでした。

しかも軟弱な私に、「頭から飛べ」という血も涙もない命令をしてきたのです。

私は人生に絶望すると同時に、「横暴」の言葉の意味を深く噛みしめました。

そして、私はまるで断頭台に上る処刑人のように、うなだれながら大岩を昇りました。


私は5~6メートルの高さの大岩の上で震えていました。

先輩は、「パン、パン、パン」と同じリズムで手を叩き、カウントダウンをし始めました。

先輩の吊り上がった口角は、涼しくなった秋口の三日月を思い起こさせました。

「自分の死期すら、自分で決められないのか」と心で屈辱を感じながら、私は頭から飛びました。

水面が近づいてくる景色を見ながら、神に背いた人間の愚かさを痛感しました。

人間とは、下半身が足であり、上半身が頭であるべきである。

そんな誰でも分かるような当然のことを理解していないからこそ、「頭から飛ぼうぜ」なんていう発想が思いつくのでしょう。

頭が下に来ることは、人間にとって何のメリットがあるでしょうか。

何十年考えてもその答えは一つ、そんなものはありません。

全身に水の衝撃が走り、口や鼻から水が入ってくるだけです。

私たちは、常に命を優先する必要があります。

命を危険にさらす前に「この行為で何を得られるのか」を考えることが、少しでも賢く生きる方法であると思います。






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