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ゲットバック・マイ・ライフ 9

承前

「アグニアストラ・ソォォォォド!」

光の帯が薙ぎ払われ、悪魔の翼が根こそぎぶった斬られた。悪魔は怨嗟の咆哮を上げながら眼下の裏東京へと落下していく。

《ターゲット飛行能力ロスト。障害は全て排除されました。》

「おい、とどめ刺さなくていいのか?!」

《インドラの討滅を以って塔は再び不活性化し、ゲートは閉鎖されます。》

「そうなっちゃったら、わたし達帰れなくなるのよ!」

「そ、そうか!」

大物が現れたドアが空いてるからそこから帰るみたいな事か。そういえば先週は非常口から退勤とかそんな事ばかりやってたな…。

繁忙期の忙しさを思い出し胸を締め付けられていた俺を尻目に、アグニはついに塔の頂上に到達した。塔の頂上中央にはガラクタを継ぎ接ぎしたような金属の小山があり、その上で光り輝く巨大な陰陽マークがゆっくりと回転している。あまりの光景に俺は息を呑んだ。

「あれがゲートってやつか?」

《そうです。あのゲートの力を拝借して、あなた方を帰還させます。》

アグニは頂上に着地し、背中の羽を折り畳む。到着だ。

《お疲れ様ですユウコ。ここからは私だけで大丈夫です。》

「うん、アグニもおつかれさま。」

伸びをしながら機体を労う裕子はふと思い出したかのようにシートの足元を探る。そこには学校指定の部活のカバンがあった。

「あー、アグニ。お父さんを降ろしてあげてくれない?」

「えっ?なんで俺だけ降ろされるんだよ?」

「いやあの、わたし着替えたくて…。」

もじもじと視線を外す裕子。改めて裕子のスーツを見てみると、エヴァンゲリオンに出て来そうなデザインをしていた。確かにこの世界ならともかく、その辺の街中で見かける格好ではなかった。合点がいった。

《出来る限りあなた方の家近くにワープアウトさせますが、誤差を考えると高確率で路上に出ると考えて下さい。》

「今更お前の裸なんか見ても何も思わないぞ。」

《お父様。そういうところです。》

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風が吹き荒ぶ塔の頂上で俺はぼんやりと赤い空を眺めていた。裕子に平手打ちされた頬がじんじんと痺れる。気を抜くとすぐこういう事を言ってしまう。忌み嫌ってたはずのオッサンの思考だ。やめようほんと。

下界はあのインドラとかいう悪魔の首を取ろうと大騒ぎなのだろう。誰もこちらを追いかけて来ない。ここに長く居ればそうやって戦い続ける事が無上の喜びになるのだろうか。理解出来ない。俺はもう帰る。じゃあな異世界。転職先も探すし、心の病院にも世話になってみるさ。

右手を掲げる。お守り代わりに拾ったカレンのアームガードが俺の肘から先を覆っている。目的は俺を支社で囲い込む事だったとしても、電車内で俺を助けてくれたのは確かにあいつだ。クローンの一体に過ぎないし、元になった女の事は何一つ知らない。だが帰ったらどうにかして弔ってやろう。

《お父様。準備が整いましたよ。》

合成音声に俺は踵を返し、機体の足元まで戻る。制服姿に戻った裕子も降りて来ていた。一瞬ものすごい険悪な顔で睨まれたが、すぐにいつもの顔に戻った。悪かったよ。

頂上の中央に輝く巨大な陰陽マーク。それをそのまま小型化した直径3メートルぐらいのものが俺達の目の前に浮かんでいる。急拵えだからか、時折輪郭が歪む。これに飛び込めば帰れるのか。

《飛び込んだら、焦らず帰る場所を強く念じ続けてください。そうすればやがてその場所へ辿り着きます。》

「本当に大丈夫なのか?」

《理論上は問題ありません。》

「アグニ!」

裕子は鋼鉄の巨人を見上げた。

「短い間だったけど、ほんとにありがとう!」

《私もあなたとの日々は忘れません。どうかお元気で。》

「…また会えるよね?」

《…えぇ、いつか、必ず。》

裕子はアグニとしばらく見つめあっていた。本当に、どんな経緯でこんな事になったんだか…。

「…行こう!お父さん!」

裕子は俺の手を取り、静かに回転するゲートへ向かう。

「あのロボットの事とか…帰ったら聞かせてくれよ。色々と。」

「うん。お父さんの話もね。」

「俺の?俺の話なんか…。いや、そうだな。うん、話すよ。」

「ふふ、じゃあ、行くよ!」

裕子はもう一度アグニに手を振り、ゲートの中へ飛び込んだ。俺も手を離さないよう、意を決して飛び込む。視界のすべてが光に包まれ、あっという間に上下左右の感覚が無くなる。俺は目を瞑り、強く握り合った裕子の手を信じながらただひたすらに家の事を考え続けた。

———————

一瞬とも永遠とも感じられた転送の後に襲って来たのは重力だ。夢から覚めた時に感じる、あの落下感。ただし落ちたところは布団ではなく、アスファルトの地面だ。

目を開けると抜けるような青空に電線が見えた。仰向けのままあたりを見渡すと、信号機の下に馴染みの交差点名表記。ウチの近所だ。帰って来たのだ。俺の心は生還の喜びが膨れ上がる。

しかしさっきまで固く握り締めていたはずの裕子の手を感じない。裕子?どこだ?どこに行った?

身を起こした俺は少し離れた場所に制服姿の少女が倒れているのを見た。裕子だ。まだ目覚めていないのか、うつ伏せのまま倒れ伏している。

車道の、ど真ん中に。

俺は戦慄した。おそらく裕子は本当に今あの場所に現れたのだろう。だから目前に迫るトラックは減速もせず裕子へ突進しているのだ。

全身の血が引いていく。世界のあらゆるスピードが鈍化する。嘘だ。嘘だこんなの。誤差で片付けていい話じゃないぞアグニ。やめてくれ。俺の、俺の娘が。右手を伸ばす。届くわけもない。そのわずかな動作の間にも、トラックは裕子へ接近する。俺は無限に絶叫していた。

嫌だ。

嫌だ。

やめろ。

ふざけんな。

俺の娘なんだ。

俺の宝物なんだ。

俺の人生なんだ!

返せ!

返してくれ!

俺の元に!

G2精神波検知 サーバ接続未確認 緊急単独動作開始
エーテル変換機作動 充填完了
HDRウィスプ 発動

鈍化した時間の中にあってなお、俺の右腕が、いや、カレンのアームガードが尋常ではない速度で変形し、3枚の細長い輝く板へ変わった。

板は青い光の軌跡を描きながら裕子の元へカッ飛んでいき、その身体を電光で包み込んだかと思うと、ものすごい速度で裕子ごと戻り、俺の目の前でピタリと静止した。

サーバ接続未確認 バッテリー残量ゼロ
シャットダウンします

トラックはそのまま走り去っていく。板はぶるりと震えて地面に落ち、動かなくなった。座り込む中年と倒れ伏した女子高生を訝しみ、通行人が足を止め始める。

俺は呆然と自分の右腕と車道を交互に見た。

やがて、目の前で倒れていた裕子が目を開けて、ゆるやかに身体を起こした。

「おとう…さん…?」

裕子はぼんやりしつつ、あたりをきょろきょろ見回し、ここが家の近所である事に気付いたようだった。だがそこから先はもう何もかもがぼやけてしまった。

「…帰ってこれたね。あれ、お父さん、どうしたの?」

俺は人目も憚らず娘を抱きしめ、大声で泣いた。いつまでも、いつまでも泣いた。もう、決して離さないと、ただそれだけを想い、俺は泣き続けた。

【終わり】


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