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15歳の私へ

なにを書こうか、書くべきか。
夏からそんなことを漠然と考えていたら、
季節もすっかり変わってしまった。

これについて書きたいと思っても、
うまく書かなきゃいけないというきもち、自分の考えを文にするという行為のむずかしさ、書くことでなんだか脳内をみられているようなはずかしさ。

そんなことを考えてずっと書くことはしなかったけど、
なぜか今(2022/11/20 22:56:07)
ふと書こうと思い、とりあえず書いている。

これを書く!と決めて書いているわけではないので、
たぶん中身のないものになってしまうだろうけど、
それでもなぜか書きたいという気持ちのみで書いている。

考えると動けなくなっちゃうよね。
考えすぎると自分で枠をつくって、
そこからもうどうしようもなくなっちゃう。

別にだれかに縛られてるわけでも
命令されているわけでもない。
だれかのふとした言葉が呪いとなったり、
他者と比較して自信がなくなって、視野が狭くなる。
ひとつ考えるともうそれしかないと思ってしまって
ずっと同じ考えに固執してしまう。

そんなことも重なれば自分で自分を呪い、自信も失われ、
あるはずだった可能性もみれなくなってしまう。

自分やいろんな人を見ていて感じることは、
人を動けなくさせるのは自分自身だということ。

私自身四半世紀生きてきて、
思い込みや狭い視野に囚われ、動けなくなり、
失敗してしまったことは数えきれないほど。

物事がいつもうまくいかない理由をこの10年間、
ずっと内省、内観してきました。

じぶんと衝突するたびに、本を読んだり、人の考えを聞いたり、歌の歌詞から答えを探そうとしたり、映画からヒントをもらったり。

うまくいかなくなるたびに、初めは周囲のせいにして、
あの人はうまくいってるのに、私だけなんでいつもこうなの
って葛藤ばかり。

自分だけこんな状態なのが苦しくて、もういいやってやけくそになって、人を傷つけてしまったこともありました。
今思えばものすごく恥ずかしくて、思い返したくもないけど、でもそれに向き合わない限り、私は死ぬまで変わらない。と思ってからじぶんについて考える時間がより増えるようになりました。

しぶんを考える中で気づいたことは、

・自分の思考のクセを客観的に見れていない時は、どんなことをしていても不思議なもので、似たような問題にぶつかる

・単なる物事の失敗のように思えても、深く深く潜ってみると実は自分の考え方のクセが原因だった

・思考のクセを客観視できていないまま、挑戦してもなぜかうまくかない。でも自分を見つめなおし、再挑戦したらうまくいった

パッと思いつく限りこんなかんじでしょうか。

あとは互いに認め合えるような人間関係を築くことがものすごく鍵になるということも加えておきます。

自分のことが大嫌いで、将来に不安だらけ、なにかに挑戦しようとしても、他者との比較故、自分への自信のなさでいっぱいだった23歳。そのとき出会ったある人と深く関わることがきっかけで私はものすごく救われた経験があります。

その人はなにもできていない、何者でもない私をあたたかく迎えてくれて、ずっとわたしの存在を肯定してくれていました。その人のそばにいられるだけでしあわせで、なにかをしてほしい、こうであってほしいという気持ちでいっしょにいるというよりは、ただ純粋にお互いだいすきで、いっしょにいることがこの上ないしあわせだと感じられる人でした。色々あってお別れしちゃったけど、その人の存在や価値観に触れられたことは、今のわたしがあるといっても過言ではないくらい、大きな存在です。今もどこかで笑ってくれてるとうれしい。

とまあなにが言いたいかというと、恋人でも、友達でも家族でも、会ったことない人でも、どんな人でもいいので、お互いを本当の意味で認め合える関係はお互いに活力を与え合うということです。

人は孤独でどうせ最後はひとりって言葉ありますよね。

それはその通りだし、死ぬときは誰かを連れて行けないし、
死ぬときはもちろんひとりで、だれかといても孤独は感じるもので、でもだれかといて孤独を感じる人間関係ならあってないようなものだと思います。

そういう話ではなく、人が変わりたいと願うとき、ひとりで変えようとしても限界があると思うのです。

人はひとりで生きていけないなんて言葉がすごくチープに感じるけれど、でもまあ表すとそんな感じ。

多様性だとか色々言われてる昨今、社会の流れが早くなって変化が早い現代でも、やはり人間の根幹はそう簡単には変わらない。

昔より孤独を感じやすくなってる現代は、社会全体、それを作り出す人間が病んでいるからこそ、人とのつながりや、自分を客観視することの重要性はこれから社会を生きていく上ではとても重要なことだと思います。

病んでいる社会に飲み込まれないよう、自分の足でしっかりと立ち、生き抜いていく覚悟はこれからの時代ものすごく貴重だと日々感じています。

だれかのなにかのきっかけになることを淡く願いながら、
おわりたいと思います。

読んで頂きありがとうございました!☺︎

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