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古典文学に見る季語の源流 第二回「薄氷(うすらい・うすごおり)」

 立春は二月四日という印象が強いが、二〇二一年の立春は二月三日である。二月四日以外になるのは三十七年ぶり、三日が立春に当たるのは一二四年ぶりであるという。いずれにせよ、立春を過ぎると、「暦の上では春ですが、まだ寒い日が続いています」という挨拶が聞かれるようになる。こうした時季を代表する季語として、今号では「薄氷」を取り上げたい。


 「薄氷」は、春の浅いうちに薄く張った氷のこと。解け残っている薄い氷のことも指す。冬の厚い氷と違い、山口誓子が〈せりせりと薄氷(うすらひ)杖のなすまゝに〉と詠んだようにはかない存在である。稲畑汀子(ていこ)が〈薄氷(うすらひ)に透けてゐる色生きてをり〉と観察したように、春の到来も感じさせる季語である。
 「うすらい」とも「うすごほり」とも読むが、和歌の世界では「うすらい」のほうが先に登場する。早くは『万葉集』に、

佐保川に凍りわたれる薄氷(うすらひ)の薄き心を我が思はなくに(大原桜井真人、巻二十)

という用例がある。万葉仮名では「宇須良婢」と表記されているが、当時の発音では「うすらび」と読んだらしい。「佐保川に一面、薄氷が張っている。その薄氷のような薄い気持ちであなたを想っているわけではないのだなぁ」という相聞歌(そうもんか)で、薄氷を含む上の句は、四句目の「薄き」を引き出すための序詞(じょことば)に過ぎない。


 薄氷の景色を詠み込んだ歌として早い例に、平安時代中期の歌人、曾根(そねの)好忠(よしただ)の私家集に収められた歌がある。「曾(そ)丹(たん)」とも呼ばれた彼は、百人一首の〈由良の戸を渡る舟人かぢを絶え行方も知らぬ恋の道かな〉で知られた歌人であるが、

山川の薄氷分けてさざ波の立つは春べの風にあるらむ

と、暖かな風が氷を解かし始める情景を詠んでいる。
ほぼ同時代の徽子(よしこ)女王も、冬と春の境目を描くのに薄氷の語を用いている。

薄氷に閉ぢたる冬の鶯は音なふ春の風をこそ待て(斎宮女御集)

「春告鳥(はるつげどり)」とも呼ばれる鶯が、薄氷に冷え縮こまり、春風が吹くのをじっと待っている様子である。


「うすごほり」も同様に使われる語で、

春の日の浅さは小野の薄氷誰(たれ)踏み分けて若菜摘むらむ(藤原家隆、夫木和歌抄)

などと、初春の風物とともに詠まれる。
 ただし、今日、春の季語と決まっている薄氷は、冬の初め、氷が張り始めたころの描写にも用いられている。

見るままに冬は来にけり鴨のゐる入江の水際(みぎは) 薄氷りつつ(式子内親王、新古今和歌集 冬)
いつしかと冬の景色に竜田川紅葉閉ぢ交ぜ薄氷りせり(藤原俊成、玉葉和歌集 冬)


なお、俳句での早い用例として引かれるのは、『猿(さる)蓑(みの)』の其(き)角(かく)の句〈うすらひやわづかに咲ける芹の花〉である。この句には謎がある。確かに、芹は春の七草であるが、芹の花は夏に咲く。これは、薄氷の白さを花にたとえたものだろうか


 余談ながら、「はくひょう」と音読みをすると、「薄氷を踏む」という慣用句で用いる形となる。紀元前六世紀頃に成立したと見られる中国最古の詩集『詩経(しきょう)』の「戦戦兢兢(せんせんきょうきょう)、深淵に臨んで薄氷を履(ふ)むが如し」文言に由来しており、こちらもなかなか由緒ある表現である。

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