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吉祥寺 源氏物語を読む会 #3「桐壺」「帚木」現代語訳(光源氏の元服、葵上との結婚~雨夜の品定め”中の品”の話)

本記事は8月30日(日)に開催した「吉祥寺 源氏物語を読む会」にて発表した、吉田裕子作成の『源氏物語』現代語訳の「桐壺」巻の終盤、「帚木」巻のはじめの方(光源氏の元服、葵上との結婚~雨夜の品定め”中の品”の話)を掲載しております。

当日の講座映像・配付資料にもリンクしています。(当ページ最下部)

これ以前の範囲の現代語訳、過去の講座映像は、こちらよりご購入いただけます(各回単体(500円)での販売と、54帖ぶん全てを含んだお得なパック形式の販売の2種類の販売方法があります)。

私の現代語訳作成の方針はこちらに記載しております。

なお、以下の節番号は、小学館『新編 日本古典文学全集』の小見出しと対応しております。

ここまでのあらすじ

若き桐壺帝は、地位のある弘徽殿女御らを捨て置き、桐壺更衣ばかりを愛する。恨みを買った桐壺更衣は、嫌がらせを受けるなどして心身ともに衰弱し、亡くなってしまう。遺された若宮(のちの光源氏)は、数え三歳で状況も理解していないぐらいだが、桐壺帝や桐壺更衣の母は悲嘆に暮れる。

若宮が宮中に顔を出すと、父・桐壺帝は非常にかわいがるが、それでもさすがに、弘徽殿女御の息子のほうを皇太子に選ぶのだった。祖母に当たる桐壺更衣の母が亡くなると、若宮はずっと宮中で過ごすようになり、漢籍や琴・笛などの才を発揮する。あまりのかわいらしさゆえ、他のおきさき達もつい微笑まずにはいられない。

その若宮を高麗人の人相見に鑑定してもらうと、「帝というこの上ない位にのぼり詰めるはずだが、そうなると国が乱れ、かといって、政治を補佐する重臣の立場も違うようだ」という不思議な結果が出る。他の占いでも同様の結果が出る中、桐壺帝は、頼もしい親族のいない若宮の将来を考え、皇族から臣下に下げることに決める。

桐壺帝は先帝の四女が桐壺更衣に似ていると聞き、興味を持った。母を亡くして心細い境遇の彼女は入内の道を選び、「藤壺」と呼ばれるようになる。光源氏は、母と似ているという、若々しい藤壺に淡い恋心を抱くのだった。

桐壺15 光源氏、元服して左大臣家の葵上と結婚する

 光る君の童姿は大変かわいらしく、元服で姿を変えてしまうのがつらく思われるほどでした。しかし、十二歳で元服の儀を迎えます。
 帝は率先して準備に当たり、お決まりの儀式以上のことを付け加えなさいます。数年前、紫宸殿で催された皇太子の元服の儀も盛大でしたが、それに劣らぬよう準備なさるのです。いろいろな祝宴でのお食事についても、「内蔵寮(くらづかさ)や穀倉院などが業務として作ると、いい加減な出来になるのでは」とのご心配から、特別にご命令を出されたので、味も見た目も最上のものをお出しするのでした。
 帝がいらっしゃる清涼殿の東の廂の間に、玉座の椅子が東向きで置かれました。その前には、元服する光る君と、冠を被せる左大臣の場所が用意されています。
 申(さる)の刻(とき)、午後四時頃に光る君がお見えになりました。子どもらしい角髪(みずら)を結いなさっている光る君のお顔立ちや輝きは、成人の姿に改めてしまうことが惜しく思われます。
 大蔵卿や蔵人がおそばにお仕えしています。大変かわいらしい髪の毛にはさみを入れるのは胸が痛み、桐壺帝には、「これを桐壺更衣が見ていたら……」との思いがよぎります。つらいところでしたが、ぐっとこらえて見守りなさいます。
 加冠の儀を終え、ご休息所に移られます。そこでお召し物を着替えてお庭に下り、今度は大人のお召し物で、お礼の舞を務めました。その光源氏の姿を見て、その場の誰もが涙を流しました。まして、帝はこらえられません。最近は思い出すことも少し減っていた、あの桐壺更衣との日々が改めて胸をよぎり、切なくてたまらないのです。
 十二歳という若さでの元服ですから、見劣りすることにならないかと案じましたが、その美しさには驚くばかりです。どこか愛らしさも増していらっしゃるのでした。
 加冠の役を務めた左大臣には、皇族出の妻との間に一人娘がいて、大切に育てていらっしゃいました。その娘には、皇太子からも結婚の打診があったのですが、お返事を渋っていらっしゃったのは、この光源氏に差し上げたいとのお考えがあってのことでした。帝にも内々にご相談をしたところ、
「光源氏には元服時の後見人もいないようだ。そう言ってくれるなら、あなたに後見を頼もう。娘さんにも夜の添臥をお願いしたい」
とほのめかしなさったので、左大臣はそのおつもりでいらっしゃいます。
 光源氏はご休息所にお戻りになると、皆はお祝いのお酒を飲んでいました。親王たちのいらっしゃる辺りの末席に、光源氏はお着きになります。左大臣が結婚のことをそれとなくにおわせますが、光源氏は恥じらいがちのお年頃ですので、うまくお返事することもできません。
 そんな中、帝が左大臣をお呼びになりました。内侍から宣旨を聞き、左大臣は参上なさいます。帝からのご褒美の品は、上の命婦が取り次ぎます。こうしたときの定めの通り、白い大袿(おおうちき)に、お召し物一揃いです。帝は、盃を交わしなさるついでに、
加冠の儀において、幼い光源氏の髻を初めて結ぶ際、その組み紐に、娘と永い夫婦の縁を結ぶように願う気持ちをこめたでしょうか
とお詠みになり、左大臣に結婚の件を確認されるのでした。左大臣も、
深い願いを込めて結んだ元結、その濃い紫色のように、光源氏が濃(こま)やかな愛情を抱き続けてくださったらなぁ
とお応えして、長橋から東庭に降り、お礼の舞をなさいました。左大臣はさらに、左馬寮の馬、蔵人所の鷹を頂戴します。東の階段のもとに、親王や上達部も並び、ご褒美をそれぞれにお受けするのでした。
 その日、光源氏名義で帝に献上された品々は、光源氏の世話役を務める右大弁が担当しました。下々に配られる強飯(こわいい)のお食事、褒美の品の入った唐(から)櫃(びつ)なども所狭しと並んで、その数は、皇太子の元服のときよりも多いほどでした。どこまでも盛大な儀式だったのです。

 元服の儀の夜、光源氏は、左大臣邸にお邪魔することと相成りました。婿として光源氏をお迎えするに当たり、左大臣は丁重に気を払われました。めったにないほど、大切に扱い申し上げたのです。
 光源氏はまだ幼げでいらっしゃいましたが、左大臣邸では、恐ろしいほどにかわいらしいと受け止めました。妻となる葵上さまは少々年上でいらっしゃいましたから、光源氏の若さを目の当たりにして、「似つかわしくなく恥ずかしい」とお思いになるのでした。

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