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19-3.情動世界に分け入るために

(特集 伊藤絵美先生との対話)
伊藤絵美(洗足ストレスコーピング・サポートオフィス所長)
下山晴彦(東京大学教授/臨床心理iNEXT代表)
Clinical Psychology Magazine "iNEXT", No.19
〈お知らせ〉
臨床心理iNEXT代表の下山晴彦の研究室で“絵本”を創りました!
https://www.holp-pub.co.jp/book/b570699.html
※一応,心理学研究の成果です。
https://www.u-tokyo.ac.jp/focus/ja/press/z0110_00003.html


1.心理学にアイデンティティをもつこと

[下山]すでにお話したように公認心理師法成立と,その制度の形成の過程で心理職が複数のグループに分かれて組織を作り,並立して活動するようになっています。ただ,心理職がグループに分裂するのは,これが初めてではありません。1970年代前半に日本臨床心理学会が分裂し,その後1980年代前半には日本心理臨床学会が新たに設立されたということもありました。

私は,このように心理職が複数のグループに別れていることを“仲間割れ”としたのですが,それはこの状態が心理職全体の専門性の向上の妨げになっていると考えるからです。伊藤先生は,心理職がアイデンティティを持つのは心理学であり,そこから専門性を発展することが重要とのことでした。また,それは“心理臨床”とは異なる立場とのことでした。

そこで,これまでの議論を踏まえ,日本の心理職の専門性について,伊藤先生が望ましいと考えるあり方を教えてください。

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2.まず心理学を学びましょう!

[伊藤]まず「心理学を学びましょうよ」ということです。この考えは私自身の心理学の学習経験による刷り込みがあるかもしれませんが。学部では,慶應義塾大学の,バリバリの心理学を学んだ。慶應義塾大学では2年生のときに,心理学研究室進学希望者が集められ,そこで「ここではまず基礎心理学を徹底的に学んでもらう。ユングとかフロイトを勉強したい人は入ってこないでね」と,まず言われた。

心理学は基礎的・科学的なトレーニングを積むところなので,ユング・フロイトはお断り」というところから,私はこの世界に入った。実験も基礎もバリバリやっていた。佐藤方哉先生がいらした頃。それこそ鳩を上手に持って扱う練習から始まっている(笑)。スキナーボックスの鳩ですね。

このように私は,大学で科学的な心理学のベーシックな教育を受けて臨床心理学の世界に入った。それで,私が思っていることを俯瞰すれば,科学的な心理学にどっぷり浸かっているので,そのようなものの見方から離れられないところがあるわけです。

[下山]ちょっと突っ込みますが(笑),そういうバリバリの科学的な心理学を学んだ人は普通,臨床心理学のような“科学的にいい加減な”ところに来ないですよね。「臨床心理学なんて,やばいところに行くのは止めとけ」と言われたら,危ないので進学を止めるのではないでしょうか?

[伊藤]行動分析はいいんですよ(笑)。

[下山]でも,伊藤先生は,大学院ではコミュニティ心理学の山本和郎先生の研究室に進学した。行動分析ということで,バリバリの行動療法の研究室に行くという選択肢もあったかと思います。どうしてそうしなかったのですか?

[伊藤]そういう意味では,認知心理学のゼミに入ったことの影響は大きい。当時,慶應義塾大学の心理学には,2大ゼミがあった。発達心理学の研究室やイグノーベル賞を受賞した渡辺茂先生も生物心理学でいらした。でも,2大ゼミは佐藤方哉先生と小谷津孝明先生のゼミだった。で,私は認知系の小谷津先生のゼミに参加して心理学を学び始めた。世界を人がどう処理しているのか,にすごく興味があった。それもやっぱり大学1年のときの一般教養の知覚心理学がすごく面白かった。知覚を実験・リサーチして,モデルを作るのが面白かったのです。

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3.どうして“情”と“理”を両立できるのか?

[下山]なるほどです。海外のクリニカル・サイコロジストでは,伊藤先生と同様の経路で大学院に進学し,臨床心理学を専攻する人が多いですね。でも,伊藤先生は,日本では,かなり特異であると思います。サイエンティストをやった上で,プラクティショナーになっている。しかも,そこを統合して心理職として活動を実現している。

伊藤先生のような心理職が今後出てこないと,日本の臨床心理学の地位が向上してこないと思う。伊藤先生は,科学者の部分と実践者の部分の両方を習得して認知行動療法,さらにスキーマ療法を実践されている。スキーマ療法が扱う問題は,ある意味でドロドロした情動の世界でもある。それは,科学的な行動分析で対処するだけでは済まない世界。伊藤先生は,その“情”の部分に踏み込んでいる。どのようにして,ご自身のなかで論理と情動,つまり“理”と“情”の両方を共有できているのですか?

[伊藤]スキーマという用語は,認知心理学や発達心理学からきています。だから,スキーマという概念自体に違和感がなかったですね。感情がいかに大事かというのも,研究からきています。ですので,スキーマでエモーションを扱うことに対して,私の中では矛盾している感じがしませんでした。あとは,Giesen-Bloo et al.(2006)で境界性パーソナリティ障害(Borderline Personality Disorder:BPD)に対する精神分析療法とスキーマ療法のランダム化比較試験(Randomized Controlled Trial)の結果が示され,スキーマ療法の効果がエビデンスで世界的に注目されたということもありました※。

※Giesen-Bloo et al.(2006)Outpatient Psychotherapy for Borderline Personality Disorder.⇒ https://jamanetwork.com/journals/jamapsychiatry/fullarticle/209673

私のスーパーバイザーのジョアン・ファレル先生の影響もあります。スキーマ療法の研修講師をすると,「スキーマ療法と自我状態療法は何が違うのか?」といった質問を受けることがある。それは,認知行動療法の研修会では出ない質問です。そのことをジョアン先生に尋ねると,「そこで比較されている方の心理療法はエビデンスベースなのですか?」ということは必ず訊かれます。

スキーマ療法は,心理力動的要素を取り入れている面があります。でも,結局エビデンスベースであることは譲らない。そこにアイデンティティがあることは,スーパーバイザーと話すとよくわかります。他の理論やアプローチとスキーマ療法の関連性について尋ねると,必ずエビデンスについて尋ねられますから。

[下山]なるほど,ご自身の納得感があるということですね。確信をもって実施できるエビデンスがあるということが重要なのですね。

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4.なぜ感情ドロドロの世界に踏み込んだのか?

[下山]ところで,最初にスキーマ療法に入ったのは,ある出版社からスキーマ療法の翻訳※を頼まれたということを,以前に伺いました。そのとき,「これはいける」と思ったのは,どのようなところからですか?

※ジェフリー・E・ヤングら著『スキーマ療法:パーソナリティの問題に対する統合的認知行動療法アプローチ』(伊藤絵美監訳,2008年,金剛出版)
https://www.kongoshuppan.co.jp/book/b514533.html

[伊藤]それはやっぱり中身が素晴らしかったからです。統合の度合いがすごいなと思った。認知行動療法が中心だけど,そこにアタッチメントの考え,ゲシュタルトの技法,修正感情体験という精神分析系の概念も統合されていた。感情レベルの変化がいかに重要かということを書かれていた。そこにはいろいろな要素が入っている。でも,整合性が高い。理論とモデルと技法がシームレスに串刺しになっている。認知行動療法だけでは,どうしても行き詰まるケースがあります。スキーマ療法には,そのような場合に対処できるアイディアが溢れているのです。

[下山]でも,私が知っている多くの実験心理学の人たちは,色々な変数が絡まってくる現実には踏み込まない。ましてや感情ドロドロの世界は剰余変数を超絶した,アンタッチャブルの領域と考えると思う。それにもかかわらず,伊藤先生はそこに踏み込んだ(笑)。いくら理論とモデルと技法が串刺しになっており,エビデンスがあるにしても,実験心理学履修者としてはかなり大胆な行動なのかと思います。あえてその感情ドロドロの世界に入っていったのは,何に導かれたのでしょうか?

[伊藤]心理職の原点に戻ると,それは役に立ちたいと思うからです。私は,元々ベック(Beck, A,T)の認知行動療法から入っていたからスキーマの概念は扱っていた。しかし,スキーマ療法のスキーマの扱い方のスタンスは全然違った。認知行動療法はあくまで共同作業で,相手を大人とみなしてコラボレーションする。でも,スキーマ療法を知ることで,「治療的再養育法」という考え方があることを知った。そのときは,びっくりしてしまった。やっぱり本当に傷ついている人は,大人と大人の関係が作れない。クライエントさんに「こんな弱っている私に意見を求められても困る」といったことが生じる。そのクライエントさんの中のチャイルドを養育していくという発想がスキーマ療法にはあった。その発想がすごいと思った。

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5.「治療的再養育法」が必要な理由

[下山]確かにすごいですね。その部分には,精神分析の人もあまり踏み込まないのではないでしょうか。精神分析は,治療構造という装置の中で転移-逆転移を扱う。でも,治療的再養育法のように「○○ちゃん」とクライエントさんを呼んだりはしない。あくまでも治療関係においてという条件であるにしても,治療的再養育法では実際に発達早期に戻ることをしていく。

私が,その「治療的再養育法」を知ったとき,「本当にそこまでいくの?」という感想を持った。何が伊藤先生をそのような方法に導いたのかを,もう一歩進んで知りたい。スキーマ療法がそのようなことを前提としているということではあると思う。それにしても,伊藤先生がその世界の入り込んでいくのはどうしてなのかを知りたいのです。そこまでしないと治らないからなのですか?

[伊藤]そういう意味では今,トラウマという概念が注目されています。特に複雑性トラウマ,あるいは発達性トラウマ障害とも呼ばれている状態です。認知行動療法は,あまり過去の問題の要因を問わない。Here-and-nowを強調していた。しかし,実際には,過去の要因を問わなければ治療が進まないケースが多いことがわかってきています。基礎研究でも小児逆境体験の影響が続くということが明らかになっています。その点で,その過去を扱わざるを得ないということがあります。それは,そういう研究が積み上がってきているということだと思うのですが。

[下山]なるほど。単純に人間的な絆が大切ということではないのですね。小児逆境体験という問題がある⇒この問題は複雑性PTSDの概念を用いて理解できる⇒この逆境体験を扱う必要がある⇒そこを扱うためには有効性のエビデンスがるスキーマ療法が適用だ,となる。このような論理がある。それは,階段を登っていく感じですね。

[伊藤]そうです。現在,「慢性うつ」のスキーマ療法の臨床研究(RCT)をやっています。「単発のepisodicのうつ」と「慢性うつ」の研究が進んできています。「慢性うつ」の場合は,多くのケースにおいて小児逆境体験で傷ついた部分があり,パーソナリティの要因が関連してきます。それで「発達をみる必要がある」とのロジックが必要となります。

[下山]なるほどです。少し脇道にそれるかもしれないが,エビデンスに基づいてみてくと,これまでの精神医学の診断体系を変えていく必要が出てきますね。発達障害という素因を入れることで,以前の診断の誤りが見えてくる。「うつ病」や「抑うつ状態」という診断は表面的な現象であって,実はその要因として発達的視点を入れることで,異なるタイプがあることが見えくるんですね。そこでは,根っこの部分にある発達要因が一次的に重要となってくる。

[伊藤]そうです。認知行動療法の中でも,「統一プロトコル」といった診断横断的なアプローチが増えてきて,面白いと思っています。

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6.日本人に論理性を求められるか?

[下山]そのようなロジックが通っていることで伊藤先生は,スキーマ療法を用いている。そして,そのようなスキーマ療法をしているご自身のアイデンティティについて,藤山先生との対談本※において「CBTというツールを使った職人です」と述べています。エビデンスのあるスキーマ療法の実践者としての“職人”モデルということかと思います。その点で科学者—実践者モデルですね。

※藤山直樹・伊藤絵美(2016)『認知行動療法と精神分析が出会ったら:こころの臨床達人対談』(岩崎学術出版社),該当箇所は同書173頁
http://www.iwasaki-ap.co.jp/book/b245375.html

今回の対談のテーマは,「心理職の専門性」です。その場合,“日本の心理職にとっての専門性”ということが前提となっています。しかし,伊藤先生の職人モデルの前提となっている科学性や論理性に基づく考え方に多くの日本人はついていけるかなと思ったりしています。そこには,認知行動療法を作ってきたアングロサクソン系の論理性の強さがある。そのロジックの強さが認知行動療法の土台になっている。しかし,多くの日本の心理職にとっては,それは馴染みにくい面があるかもしれない。「やっぱり河合隼雄先生のわかりやすさがいいなあ」と感じてしまう。そして,そちらに流れていく。

[伊藤]“寄り添う”とかですかね。

[下山]そうですね。一部の日本の心理職は,私もそうですが,多くの日本人は,ロジックの世界に入っていくと,「その世界はちょっと無理」となってしまう。でも,心理職としてそれでよいのかと,私自身いつも自問自答しています。では,日本において科学者-実践者モデルに対応できる心理職が少しでも増えるためにはどうしたらよいか。その点についてどう思いますか?

[伊藤]それは教育ですよね。でも,公認心理師のカリキュラムはそれを学ぶカリキュラムにはなっていないですよね。

[下山]なっていないです。「自分で考える」とか「ロジックを組み立てる」とかは全く考慮されていないですね。“論理性”というのは,「おかしい」と思ったときに,何がおかしいのかを自分で考えて突き詰めていく能力だと思います。でも,そういう論理性は,公認心理師では全く求められていない。逆に“言われたように動くこと”が求められています。

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7.心理職の教育をどうするか?

[伊藤]そうすると卒後教育はどうなるのでしょうか。看護師の卒後教育などがモデルになるのでしょうか。現場に出て,自分自身で個々のテーマを設定することが求められますよね。

[下山]若い心理職にインタビューすると,その卒後教育が全くできていないことが見えてくる※。看護の場合,一般的に看護師の専門性については共通理解がある。それは,看護師だけでなく,医師なども他職種も,さらには患者も共通にもっている。だから,若手看護師には,自分たちが目指す看護師の専門性モデルが明確に存在する。そして,その専門性の発展に向けての研修システムが提供されている。

※「若手心理職の卒後研修の現状」⇒臨床心理マガジンiNext,16-3
https://note.com/inext/n/n3751ca64e13e

しかし,心理職の場合,専門性についての共通理解がない。これは,心理職にあっては,それぞれの立場や学派で専門性のモデルがバラバラだからです。「カウンセリング」,「心理療法」,「臨床心理学」では専門性が異なる。同様に「カウンセラー」「セラピスト」「サイコロジスト」では専門性が異なる。しかも,心理療法では,その人が依拠する学派や理論によってさらに専門性のモデルが異なってくる。

私としては,日本の心理職にあって,このような専門性モデルの並立があることは仕方ないことだと思う。歴史的経緯でそのようになってしまっている事実は,いまさら動かせない。そのようなことを前提として心理職が「専門性の共通理解」をもつためには,それぞれの立場が役割分担をして心理職全体の専門性を形成するという発想を持つことだと思います。

しかし,現状は,各グループがそれぞれ主導権を握ろうとしているように見えてしまう。少なくとも,各グループが役割分担について話し合い,心理職全体の発展を考えていこうという意識が感じられない。それで私は,今の状態を“仲間割れ”と呼んだわけです。

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8.心理職全体でチームが組めないか?

[下山]私としては,臨床心理学の専門性が唯一必要なものだとは全く思っていません。むしろ,日本文化の特徴や日本人の特性からは,日本の心理職が馴染みやすいのは“心理臨床”のあり方,つまりカウンセリングや深層心理的心理療法だろうと思っている。ただ,心理職が専門職として社会的に認められるためには科学的研究やエビデンスを示すことが,戦略的に必要であると考えています。

そして,心理学を基礎とするサイコロジストと,カウンセラーやセラピストがそれぞれ役割分担をして心理職全体の専門性と実践性を向上させるためのチームを形成できればと思っています。その点で「サイコロジストとしての心理職の専門性とは何か」を考えることが重要であると考えます。

私としては,心理学をしっかり学び,その上で認知行動療法を習得することが,サイコロジストとしの心理職の専門性の基軸になるという伊藤先生のご意見はなるほどと思いました。

そこで,次はそのような心理職の専門性を社会的に実現していくためにはどのようにしたらよいのかについて,伊藤先生のご意見を伺いたいと思います。
(以下,次号に続く)

■デザイン by 原田 優(東京大学 特任研究員)
■記録作成 by 北原祐理(東京大学 特任助教)

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◇編集長・発行人:下山晴彦
◇編集サポート:株式会社 遠見書房

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