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29-4.心理支援の基本とは何か

(特集:心理職の新しい形をデザインする)

池田暁史(大正大学)
北原祐理(東京大学 教育学研究員)
下山晴彦(臨床心理iNEXT代表/跡見学園女子大学)

Clinical Psychology Magazine "iNEXT", No.29-4

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◇メンタライゼーションを学ぶ◇
−愛着外傷を乗り越えるアプローチ–


【日程】6月26日(日)9:00〜12:00

【講師】池田暁史先生(大正大学)

【申込み】
◇[臨床心理iNEXT有料会員](1000円)
https://select-type.com/ev/?ev=Ce97gz57bvQ

◇[iNEXT有料会員以外・一般](3000円)
https://select-type.com/ev/?ev=yBBVX25ELS8

◇[オンデマンド視聴のみ](3000円)
https://select-type.com/ev/?ev=n9yxbzkeCxY

池田暁史先生(大正大学)


1. 心理支援の基本とは何か

[下山]臨床心理iNEXTでは,冒頭に示したように6月26日(日曜)に,池田暁史先生を講師にお招きして,ご著書『メンタライゼーションを学ぼう−愛着外傷をのりこえるための臨床アプローチ−』※)をテーマとするオンライン研修会を開催します。そこで,今回は,メンタライゼーションについて学んでいる若手心理職の北原祐理さんと一緒に池田先生にお話を伺います。
※)https://www.nippyo.co.jp/shop/book/8569.html

私自身,メンタライゼーションは,非常に面白い概念だと思っています。ざっくり言うと「相手の気持ちに思いを馳せて理解していくこと,そして,自分が何を感じているかについても内省していくこと」がメンタライゼーションの定義ですね。それは,私たちが日常的に行なっている事柄です。そのことを改めて取り上げている点がとても興味深いです。

しかも,それは,私たちの臨床活動でしているコミュニケーションの基本にある事柄です。その点でメンタライゼーションは,私たちが心理支援で何をしているかを見直す枠組みになると思っています。まず,池田先生が,そのようなメンタライゼーションを深く学ばれるようになったきっかけを教えていただけますでしょうか。


2. メンタライゼーションの学際性

[池田]そもそものきっかけは,私の恩師の狩野力八郎先生がこの概念を日本に初めて紹介しようというときに,翻訳プロジェクトに弟子として半強制的に参加させられました。翻訳をしてみると,愛着理論,発達心理学,認知科学など,色々なところから概念を持ってきているところがあり,とても難しかったのですね。

すごく苦労して翻訳したところがあったのですが,それと同時に学際性に惹かれました。「このように色々な概念をもってきて,一つの形にまとめることができるんだ」ということを感じて,自分でも積極的に理論として勉強したいと思うようになりました。そして,2008年に日本で最初のワークショップがあったのですが,そこに出てみて,実際の模擬面接を動画で見せてもらったときに,精神分析的心理療法と似ているところもあり,違うところもあると感じました。

自己開示や積極的にサポーティブな関わりをしていくところなどは,精神分析とはすごく違うところもありました。分析的なものを志向してきた私が,メンタライゼーションと,どう内的な折り合いをつけるかという部分がありました。そのチャレンジ,あるいは葛藤に向き合い続けて10年くらい経っているというところです。

[下山]私は,以前からメンタライゼーションという言葉は知っていました。しかし,正直に言うと取っ付きにくいところがありました。それは精神分析から発していて対象関係を扱っているのだろうと勝手に誤解していたからです。私自身,若い頃に対象関係論を随分と読み込んだ反動で,その種のテーマは一旦脇に置いて現実に介入する認知行動療法を学び始めたということがありました。それで,対象関係をテーマとしているだろうと思えたメンタライゼーションを,食わず嫌いになっていたところがありました。

しかし,先生のご著書を読んで,メンタライゼーションは,精神分析を超えてとても大切な事柄を扱っていることを知りました。それは,認知行動療法が見失いがちな事柄でもあります。一つは,愛着の問題であり,発達や複雑性PTSDにも関わる部分です。もう一つは,精神分析や認知行動療法を超えた,人間の関係性の共通基盤にある事柄です。


3.精神分析や認知行動療法の共通基盤にある普遍的な事柄

[下山]ご著書には,メンタライゼーションの定義として,「①自分や他者のこころの状態に思いを馳せること,②自分や他者のとる言動をその人のこころの状態と関連づけて考えること」と記載されています。これは,幅広くメンタルケアの活動の基本になると思いますが,先生はそれをどのようにお考えでしょうか?

[池田]やはりメンタライゼーションのベースの思想には,学派に関係なく考えることができるという点があると思います。どの学派の人も,自分の目の前の患者さん/クライエントさんと交流するときの,基礎的な背景理論というか,思想としてメンタライゼーションを導入することは可能だと思います。

それは,新たな何かを生み出すこともあれば,葛藤を生み出すこともあます。非常にベーシックな発想であり,ジョン・アレンは「素朴で古い」と言いますし,ベイトマンとフォナギーは「世界で一番新規なところ(novelty)がないセラピー」とも言っていました。それはある意味,普遍性に対する自信でもあると思います。

私たちが,目の前の人との関係性の中で何かをしているときのベースになりうる理論であり,思想だと思います。それは力動系であれ,認知行動系であれ,どのような理論を自分の背景にしている人でも接続できる理論です。それと同時に自分の依る理論が揺るがされるような体験をするものだと思います。それが非常に魅力的,刺激的だけど,ちょっと葛藤的ということを色々な人が体験するのではないかと思います。

[下山]今までの心理療法や学派の人たちは,自分たちの独自性を出すために新規性を強調していた。あるいは難しい問題を解決する特別な技法を提案する傾向があった。しかし,心理支援の共通基盤となることは何かをテーマとすることは少なかったと思います。

メンタライゼーションは,心理支援の中核にある,この共通基盤をテーマにしていると思います。そのため,当たり前すぎて逆に学ぶのが難しいということがあるのかもしれません。私たちは,普通,相手のことを考えながら,共感的なコミュニケーションをしているつもりでいます。心理支援は,まさにこの“共感的なるもの”を扱っているわけですね。


4.当たり前のことをセラピーにする難しさ

[下山]私たちが当たり前にしていると思っている“共感的なるもの”を改めて取り上げ,技法にしていくことをどのように学んだら良いのか。そして,それが本当にできているのかが問われるのが,メンタライゼーションを学ぶことではないかと思います。メンタライゼーションを学ぶ難しさについて,若手心理職の北原さんはどのように感じますか。その点に関して池田先生に伺いたいところがあればお願いします。

[北原]まず,当たり前だから学ぶのが難しいことについて質問させていただきます。たとえば,積極的に自己開示をするなどは,人間関係の中では自然に起きうることです。人間関係を作る上での作業を,心理職の専門的な営みとして取り入れること,さらには,メンタライゼーションの文脈で臨床的に行うことの難しさについて,どう理解すればいいのか,お聞きしたいと思いました。

相手が思ったことに対して自分がどう感じたかを伝え返すやりとりで,お互いが何を考えているかを知っていくことができるというのはあると思います。ただ,自己開示であれば,私たちが日頃お互いを理解していくときに行うその行為を心理職が多用すると,それは果たして専門的なのかとも思います。

[池田]メンタライゼーションの理論的な話をすれば,多くの方は「当たり前だよね」と思うと思います。言葉にして明確に考えたことはなかったけど,感覚的にはわかっているという反応を示される方は,日本に限らず,ある割合はいらっしゃいますね。ただ,それを実際に目の前の患者さん/クライエントさんに,セラピーとして提供しようとすると非常に難しいというところはあります。

理論の素朴さと,介入として実践することの難しさのギャップがあります。「思ったよりも全然できないじゃん」となる。これは本格的に学ぶとなると,トレーニングやスーパービジョンを受けるしかないと思います。ただ,ベイトマンが言うには,日本では指導できる人があまりいないので,ピア(peer)でやるといいということでした。

仲間同士で「これは自分としてはメンタライゼーションを促進することを目指して行った介入だったのだけど,どう思う?」と言うことを話し合えばいいのではないかと思います。他者の目が入らないと,それが本当にメンタライジングの介入なのか,という点を判断するのは難しいと思います。


5. 精神分析とメンタライゼーションの違い

[北原] もう一つお聞きしたいことがあります。自分の先に学んだオリエンテーションがある場合,その理論との葛藤が生じて実践するのが難しいこともあるかと思いました。私が学部時代に学び始めた頃のことですが,精神分析について学ぶ中で,少し冷たさを感じることがありました。治療者は,真っ白いスクリーンのようにあることが大切にされていて,分析家としては向き合うけど,その人自身の人間性を出してはいけない,あるいは,出すことが治療を妨げる,というニュアンスを感じていたからだと思います。ところが,メンタライゼーションを学んでみると,人間的なところも素朴に治療に取り入れる温かさがあるように思えます。自己開示の扱い方の違いともつながるかもしれません。こうした違いを理解し,上手に組み合わせていくことを,どのようにして学んでいけるのでしょうか。

[池田]その点については,自己開示をするかどうかを判断基準にすると,スタックしてしまうのですね。特に私は分析的なオリエンテーションをもつので,「通常ではここでは治療者の感覚は述べないところだけど,どうしたらいいんだろう」と困ってしまう場面が出てくるのです。メンタライジングな介入を導入しようとすると,困るということですね。

この点については,ある程度メンタライジングを意識した介入をやってみると,判断基準が変わってくると思います。「自分は今これを言ったら,目の前の患者さんはメンタライジングしてくれるだろうか」と考えるようになります。自分の発言で患者さんのメンタライジングが促進されるならば言うし,そうではなければ言わないと言うというように,何を選択するかが変わってくるわけですね。

それまでは,試行錯誤しながら,トレーニングを受けたり,仲間同士で議論したりすることが必要だと思います。精神分析が冷たいというのは,否定はしきれないですけど,精神分析も本当にその患者さんとの取り組みになれば,まさに人間性同士の関わりになりますので,人間性を出していないとは思わないですけどね。そんなに非人間的なものではないと言うのは言っておきたいです。


6.日常的なことだからこそ,そこに本質がある

[下山]私の知っている精神分析の人は,個人的に付き合うと,認知行動療法をやる人よりも熱いですよ(笑)。ところで,今の論点について思うのは,日常生活でおこなっている事柄を心理支援に持ち込むというものなのか。あるいは,逆に日常生活でメンタライジングができているかというと,実際はできていない。だからこそ,そのできていない部分を徹底的に見ていくということが,メンタライゼーションのポイントではないかと思ったりします。

[池田]おっしゃる通りです。日常生活でやれているつもりになっていることが,実はやれていない。特に,患者さんやクライエントさんと呼ばれる人は,普段の生活や人間関係の中でうまくいかなかったり,躓いたりしているわけですよね。だから,もう一度きちんと意識して取り組まないとメンタライジングできるようにならないんだということを言っているのがMBT(メンタライゼーションに基づく治療)だと思います。

[下山]研修会の前半では「メンタライゼーションとは何か」という基本をお話しいただきます。メンタライゼーションとは,健全な人間関係の基本であり,日常生活において多くの人が自分は実践できていると思っているものです。ところが,メンタライゼーションのもう1つの側面として,境界例,複雑性PTSD,解離など,深刻な愛着の問題に関連していることがあります。この点に関して私は,メンタライゼーションは私たちの基本的なところを押さえているからこそ,複雑な病理に関わってくると考えています。あるいは,複雑な問題であるからこそ,基本的なところを押さえる必要があると考えることができるとも思います。


7. 素朴に本質を扱うが故に愛着外傷を扱える

[下山]複雑性PTSD等の,いわゆる“愛着外傷”と呼ばれる深刻な問題に対しては,トラウマフォーカスト認知行動療法(TF-CBT)やスキーマ療法など,それに特化した治療法があります。それは,特別な方法を取らないと,問題にアクセスできないというスタンスであると思います。それに対してメンタライゼーションでは,実は普通の生活の中にある基本的な事柄こそが複雑な問題を理解することに繋がるとの発想があると思いますが,いかがでしょうか。

[池田]私たちの生育過程での愛着の問題,微小なトラウマの積み重ねなどは,私たちの根本部分に影響を与えるわけです。だからこそ,メンタライゼーションは,私たちにとってファンダメンタルな要素を扱うがゆえに,根本部分の問題を扱えるという側面はあると,私も思います

特別な療法にフォーカスしたものを堂々と打ち出しているわけではないので,「こんなかっこいいことをやっています」と言えないところはあります(笑)。ジョン・アレンが言うように本当に素朴に臨床をやるわけですが,素朴に本質的なことを扱うがゆえに,人生における本質的な問題を扱えるのだと思います。

[下山] 先生のご著書を拝読していると,なぜかアットホームな感じがするのですね。私は,「これって大事だよな」と思います。それと同時に,「これこそが難しいと問題に繋がっている」とも感じます。ある意味で「深刻な問題は,実は特別な病理ではないのだ」とも思います。


8.嫌だと思える人と,楽しく会えるコツを学ぶ

[下山]私自身,複雑性PTSDの方にお会いしていると「無理しないでほしい」と思います。自分の何かに通じるものを感じて,「無理をしなくても大丈夫と感じてほしい。そのためにどのように支援すれば良いのか」と考えます。それは,『人間関係の基本にある「自分や他者のこころの状態に思いを馳せる」ことを私もクライエントさんも同じようにしている。だからこそ,お互い,自分の足元を確認しながら問題解決に向けて進みましょう』といった感じです。
その点でメンタライゼーションは,特別なことを主張しているのではないと思いますが,どうでしょうか。

[池田]直接のお答えになるかわからないですが,ベイトマンが,MBTを学んで一番いいことの1つは,「他のスタイルで会っていると,とても大変だ,とても難しい,とても会うのが嫌だ,と思う人と楽しく会えるよ」と言っていたのですね。

それを今先生の話を聞きながら,思い出しました。何かそれに関係があるような気がしますね。ある種,患者さん/クライエントさんにとっても,治療者側にとっても,本当に大切なものについて,一緒に考えているという感覚を共有できる側面があるのかな,と思いますね。

[下山]メンタライゼーションでは,人間関係におけるコミュニケーションや愛着に関して,セラピストにとっても大切なことであるけれど,実際にはセラピスト自身もうまくできていないことを大切に扱っていると思います。だからこそ,患者さん/クライエントさんができていなくても,“何か許せる”といった感覚が出てくるのだろうと思いました。


9.メンタライゼーションに基づく治療

[下山]これは,患者さん/クライエントさんの理解や共感につながるところだと思います。さらに,介入段階では,これを治療として行うことになります。ご著書では,具体的なやりとりの例を用いて説明されていましたが,メンタライゼーションに基づく治療に関して教えていただけますか。

[池田]本当に,メンタライゼーションに基づく治療というのは「言うは易く,行うは難し」というところがあります。実際にやってみると思ったようにできないということの繰り返しです。ただ,そういう視点を持つことで,確実に臨床が変わる部分があると思います。深めようと思えばどんどん難しくなる世界です。しかし,取っ掛かりとして触れてみることで,視点の違いを最初から感じられる治療法ではあると思います。

[北原]私は,治療に関して,先ほど池田先生が仰っていた「本当に大切なものについて一緒に考えている」とは,どのようなことなのかを知りたいと思っています。専門家は理論や疾患概念を知ってしまうがために見えなくなることがあると思います。それは,その人がこれまでどんなふうに生きてきて,その人にとって他者や世界がどう映っているのかということです。もしかしたら,メンタライジングがやっていることは,そのような事柄を一緒に体験することに近いのかなと思いました。そこにメンタライゼーションを学ぶことで得られる新しい視点があるのではないかと思ったりしています。


10.メンタライゼーション研修会に期待すること

[北原]私は,心理の相談に来られる人というのは,色々なところで「わかってもらえなかった」という孤独が根本にあると思うところがあります。それは,ある意味での微小なトラウマの積み重ねと言ってもいいと思います。自分の住んでいる世界に1人でも,100%ではなくても,理解してくれようとする人がいたならば,相談に来なかったかもしれない人に,私たちは出会うのかなと思うことがあります。

そうした人との間で,理解しようとするということは,わからないことや葛藤がありながらも一緒に生き方そのものを考えるということで,ここがメンタライジングで大切にされている姿勢とも重なる気がしています。

池田先生が,ご著書の中で「葛藤を抱える力が落ちている」,それは,現代の社会的な構造によるものでもある,ということを書かれていたのが印象でした。そうした中で,心理職がメンタライゼーションを学ぶ意義とは,基本的な姿勢とは,「本当に大切なもの」とは……ということを研修会で考えたいのと,池田先生のお話ももっと伺いたいと思いました。

簡潔に言うとしたら「素朴で古いこと」をやる現代的な意義,ですかね。それをやることが難しくなっている現在の社会で,心理職がどうそれに取り組んでいけるのか,を自分は考えたいのかなと思いました。

[池田]その点で言うと,フォナギーは,最近はよく認識的信頼(epistemic trust)という言葉を述べています。それはつまり,自分のことを考えてくれている他者が目の前にいる,ということです。つまり,患者さん/クライエントさんからすると「A先生は今,自分のことについて考えてくれているんだ」と思える対象が目の前にいることの重要性ということを言っています。

メンタライジングの治療が何を促進するかというと,患者さん/クライエントさんの認識的信頼を促進するのだということを言っています。それは,北原さんが今言われた前半の部分につながるのかなと思いました。

[下山]ありがとうございました。当日を楽しみにしたいと思います。今回インタビューさせていただいて,さらにお聞きしたいことが出てきてしまいました。ぜひ続きは研修会でお聞きできたら嬉しいです。よろしくお願いいたします。


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■記事制作&デザイン by 原田優(公認心理師&臨床心理士)

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