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「普通の人」は「普通」じゃない〜「普通」は自分ルールでしかない〜

……こんなタイトルで、ラノベのヘアバンドをした変人女子高生を思い浮かべたあなた。

仲良くできそうです。

ただし、その変人女子高生よろしく

「未来人宇宙人超能力者にしか興味はない!」

と言い放つわけじゃありません。


苦手なのは、「自分は普通の人間だ」と思っている人なんです。


「普通」とは、自分ルールのこと

「普通、〇〇だよね」
「それって普通じゃん?」
「普通に元気っすよ」

「普通」は、自分と自分の周りにとって、通常の状態のことです。

自分と自分の周り。

これは、とても狭い範囲です。

人はこの狭い範囲を、ほとんど無意識に「普通」と呼びます。

同時に、一部の人にとって、「普通」とは常識、法律、ルール、正義です。


例えば、最近話題の変な校則。

パーマをかけるな、髪をそめるな、地毛が何色でも黒に統一しろ。

これらも、一部の人にとっては当たり前、つまり「普通」のことです。

この校則を作り、守っている人が生きていた時代、生活環境の「普通」。


それぞれの家にも、我が家のルール、みたいなもの、ありませんでしたか。

靴は出船(かかとを家の中側に向けてそろえる)にする。

寝化粧をする。

決まった時間に消灯する。

食事中の会話は禁止。

などなど。


こういった、小さな範囲の「自分ルール」「自分たちルール」を、「普通」と呼んでいます。


普通(自分ルール)に閉じ籠って、怒る・拒む人

「自分は普通だ」と信じている人の中には、「普通」に閉じこもる人がいます。

みるからに苦手な人で、話すこともできない人です。

自分のルールから外れた人に出会うと、とたんに戸惑い、ひどいときには拒絶してしまいます。

「そんなの普通じゃない」
「変わってる」
「ありえない」
「変だ」

他人を否定し閉じ籠って、閉じ籠ったことを忘れてしまいます。

殻の中で仲間とたむろして、周りにむかって「普通じゃない」と叫んだり。

無自覚に「普通でない人は傷つけてもいい」と信じていることも。

他人を傷つける行為自体が、「普通じゃない」ことを忘れてしまいます。


「〇〇な連中は、みんな犯罪者だ」
「〇〇の人は頭がおかしい」
「あの子って、なんか変だよね。みんなもそう思う? でしょー?」

こんな会話が聞こえると、私なんかは、そそくさと逃げてしまいます。


普通(自分ルール)を信じ込んで、布教する・憐む人

「自分は普通だ」と信じている人の中には、「普通」じゃない人を「普通」に引き込む人がいます。

穏やかで優しい言葉をつかい、無意識に、しかし的確に相手を傷つけます。

合言葉は、「あなたのため」です。

自分ルールを押し付けると同時に、相手のルールを否定してしまいます。

「あなたは病気だから、ここの病院を紹介してあげる」
「そんなくだらない仕事より、もっといい仕事があるよ」
「今のままのあなたじゃダメ。変わらなくちゃ」
「ひとりぼっちでかわいそう、私たちの輪に入れてあげる」

相手を普通じゃない=劣っている、と勘違いして矯正したり。

憐みをかけて、無理やり自分ルールに引き込んだり。

数人を連れ立って、一人を説得(という名の尋問)にかけることも。

このままの私が好きなんです、これが私の普通なんです。

そんな「普通」があることを、忘れないで欲しいものです。


こういうときは、笑顔でそっと身を引きます。

お互い、関わらないが吉のこともあるんです。


最後に:普通の人は存在しない。
存在するのは「自分は普通だ」と信じている人だけです

自分は普通じゃないんだろうか。

周囲の人間と違うんだろうか。

そう悩んだ時期もあります。


20の半ばになって、ようやく悟り、確信を持ったのは、「どうやら普通の人は存在しない(もしくは超希少種)らしい」ということでした。

そして、「普通」のフリをしている人、「普通」を自称している人のほとんどは、「自分は普通だ」と信じている人だ、ということです。

もちろん、これも私にとっての普通、自分ルールですから、真実じゃないかもしれません。


だけど少なくとも、「自分は普通じゃない」と卑下する理由はないと思います。

同時に、「普通」を理由に相手を責めていい理由もなくなりました。


私は常に、相手を「普通」でないと考えて接するようにしました。

そして同時に、自分もまた、「普通」ではないことを忘れないようにしました。

すると、相手との距離を考えることができるようになりました。

「普通じゃない」
「変」

という言葉は、距離をはかるのにちょうどいい言葉となりました。

自分と相手、全ての人を、「普通」というくくりに入らない、一人一人の人間として見ることができるようになりました。

時々考えすぎて疲れてしまうこともあるけれど、私はこれが幸せだと感じています。


みなさんは、「普通」について、どう考えますか?


エイでした。











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