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「ビジネス」嫌いで、「働き」者、「仕事」が好きな人間

こんにちは、最近刺繍やらDIYやら園芸やら、趣味が増えまくって日常が充実しまくりの無職(病気療養中)、エイです。

今回は、珍しく「ビジネス」「働く」「仕事」についての話です。

まずはタイトルにご注目ください。

「ビジネス」嫌いで、「働き」者で「仕事」が好き。

矛盾しているでしょうか。

私はしていない、と考えています。

よく似たこれら3つの言葉には、あまりに大きな違いがあるからです。


ビジネス、働く、仕事。

今回はこの3つの言葉の違いや意味について、考えていこうと思います。


ただし、この通り、書いている本人が無職なので、ビジネスノウハウ的な話が一切ないことを、どうか先に、ご了承ください。


「ビジネス」は、感情より利益

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ビジネスといえば、どんなものが思い浮かぶでしょうか。

オンラインサロンを持つ、絵本や映画で大成功している芸人さんは、「ビジネス」で成功しています。

サラリーマンの方が着ている服は「ビジネススーツ」「ビジネスカジュアル」です。

オフィスもののドラマだと、「ビジネスの世界をわかってない!」と部下の言葉を切り捨てる上司のセリフが、よく聞かれます。


ビジネスの意味は、仕事、事業、商売などです。

個人的な感情を交えずに、利益だけを目的に進める仕事のことを指すこともあります。


実際、ビジネス書や、ビジネスノウハウを謳うメルマガ、サイトなどの中には、利益追求に重きを置きすぎて、感情を無視したような記述も少なくありません。

ちなみに、私がビジネスを苦手とするのは、こうした感情を無視した考え方が苦手なためです。

ビジネスとは、感情を排除した商売のことを指す言葉、と解釈することができます。


「働く」は、何をしてても「働く」

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「働く」とは、どういう意味の言葉でしょう。

実に広い意味合いがあります。

職業につき、労働について、仕事をすること、これも「働く」

機能すること、作用することについても、「働く」と言います。
(脳内物質の働きで、ドーパミンが云々、なんてよく聞きますよね)

「知恵が働く」「勘が働く」、これも「働く」です。

戦うこと、単に動くことなども、「働く」と表現されます。


英語で言うところの、「do」(To doリストの「do」)に近いかもしれません。

「やる」「する」「動く」。

こんな意味です。


ここには、「ビジネス」にあるような、感情の排除は条件に加わっていません。

笑いながら「働く」ことも、怒りながら「働く」ことも、歌いながら「働く」こともできます。

特別職業に就かなくても、「働く」という言い方ができます。

家の中で一日中家事をしたら
ゲームの中で一通り敵キャラクターを倒したら
庭の手入れを思う存分やったら

「働いた」と言っても、なんらおかしなことはないのです。


ちなみに私は、しょっちゅう「働き」すぎて疲れ果てて倒れます。

だけどやった内容は、掃除だったり庭の手入れだったり、工作、絵、DIY、断捨離、整理整頓、などなど。

「働」いてはいますが、「ビジネス」にはなんら関係のないことばかりです。


「仕事」は成し遂げること

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「仕事」は、ビジネスとは関係ない日常でも、よく使うことでしょう。

風呂場をピカピカに磨き上げた後、「いい仕事をしたなぁ!」と満足感に浸ったり。

庭仕事をする、針仕事をする、のように、何かを作ったり成し遂げることには、大抵後ろに「仕事」がつきます。

手仕事、というと、「ビジネス」という言葉からはかけ離れたような温かみを感じます。

もちろん、職業を指すこともありますが、複数ある意味のうちの一つに過ぎません。


陶芸家の作品、地方原産の素晴らしい反物、工芸品などは、まさに職人の「仕事」です。

時折SNSで、すばらしい絵や作品を見つけると、すばらしい「仕事」だ、と感じます。

「仕事」というのは、誇りや功績、感動、縁、幸福との大きなつながりを感じる言葉です。


「ビジネス」嫌いで、「働き」者、「仕事」が好きな人間とは?

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自分や他人の感情を無視した行動や考え方が、私は苦手です。
あまり好きでないのは確かですが、やろうとしても、できないのです。

「ビジネスだから」と言われても、人を騙すような文章を書くことはできません。
筆が必ず止まります。

「ビジネス的に捉えろよ」と叱られても、納得できないことに対して、動くことができません。
しまいには、体に不調が表れてしまいます(頭ではわかってるんですけどね……)


一方で、真面目な働き者でもあります。
動いていること自体が大好きなので、常になにかしています。

それは、裁縫だったり、工作だったり、小説だったり絵だったり……お金に結びつくものではありません。

ただ、動き、「働き」続けているのです。

そして、出来上がった仕事に満足し、ほっと息をつきます。


誰かの素晴らしい「仕事」に感動することもあります。

最近は、陶器の器に目がありません。

街中で素敵な街路樹や、イルミネーション、看板・広告のデザインを見つけると、その「仕事」を思わず賞賛したくなります。


無職ではあるけれど、ビジネスも苦手だけど、それでも「働き」「仕事」をする、そんな人間も、存在するのです。


まとめ:
「ビジネス」的な人も、「仕事」的な人も、手を取り合えたら

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もちろん、「ビジネス」ができないと、お金に「仕事」を結びつけることはできません。

しかし、「ビジネス」をする人間と「仕事」をする人間が同じである必要もありません。

世の中には、「ビジネス」の色が濃過ぎて、敬遠されている「仕事」がたくさんあります。

逆に、すばらしい「仕事」でも、「ビジネス」的な考えの欠落でうまく「働」けていない場合も存在します。

もし、「ビジネス」と「仕事」が手を取り合えれば、こんなに心強いことはないでしょう。


不思議なことに世の中には、「ビジネス」的考え方を息をするようにできる人と、そうでない人がいます。

同時に、人の心を掴む「仕事」ができる人と、自他の感情に無関心な人がいます。

両者がうまく立ち回れば、おそらく、もっと素敵な「仕事」が生まれることでしょう。


ところが、現代では、あっちでも「ビジネス」こっちでも「ビジネス」、とかく「ビジネス」的な考え方を強要しすぎではないか、と思えてなりません。

義務教育のうちに、感情を育み、豊かな感性を身につけ、社会人になった途端、「ビジネス的」考え方(感情を排除する考え方)を強要します。

これは「ビジネス」的な人、「仕事」的な人、どちらにとっても不幸でしかありません。

「ビジネス」的な人の、冷静な分析力と思考力を尊び、「仕事」的な人の感性と集中力を評価することが、本来理想的な形なのでしょう。

もし、あなたやあなたの周りの人が「ビジネス」や「仕事」につまづいていたら、ぜひ改めて、考えてみてください。


あなた自身は「ビジネス」的人間だと思いますか。
それとも「仕事」的人間だと思いますか。

エイでした。


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