家族は姿鏡である
家族関係とは、ただそれだけで
尊い存在なわけである。
「何かをしてくれたから」とか、
「与えてくれたから」とか、
「助けてくれたから」とか、
「育ててくれたから」とか、
そういう類いの感謝は、
条件つきの感謝なのである。
親子関係を、条件つきで、判断するから、こじれてしまうのである。
「あの時こうして欲しかった」
とか、「あの言動に傷ついた」とか、そういう思いは、誰しも抱いている。
ただ、自らの立場からみて、
一方的に、親を糾弾、断罪、裁くことでは、かえって親も、自分自身をも
苦しめてしまうのである。
なぜならば、親自身もかつては、
傷ついた子どもであり、被害者で
あり、加害者だからである。
そして、自分自身もまた、新しい
家族を持てば、加害者になるから
である。
だから、親子の関係は、そこに
利害関係も、善悪もないのである。
なぜならば、親子、家族とは、
しょせん自分の姿鏡だからである。
親は、未来の自分を映し、
我が子は、自分の過去を映してくれる魔法の鏡なのである。
それゆえ、そこに良し悪しはなく、
上下もない。
家族に映るのは、ただただ
本来の自分の姿だからである。
特に子どもの頃は、親の嫌なところを自分だと思えないから、ひどく傷つくこともあるのである。
でも、親と同じ年齢になれば、
親と同じようになっている。
そこで、気づく人は「親子とは
鏡であること」が理解できる
わけである。
そのようなことを確かめるために
人生を使えば良いのである。
満身創痍の人生から、本当の意味での、「両親の尊さ」「両親の有り難さ」を学べば、それで良いのである。
両親は、単なる自らの姿鏡である。
この境地にたち、初めて
無条件に感謝できるようになる。
鏡の役割を果たしてくれた。
それで十分なのに、寝ずにあれこれ
世話をしてくれた。
こうして命をつないで頂いた。
喜びも悲しみも、共有してくれた。
何という尊き存在なのだろう。
そう感じると、心のざわつきが
無くなり、家族関係は調和に
向かうのである。
そして、何より自分自身の内面が
調和され、本来の自分の生き方が
見えてくるのである。
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