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親子の価値観のすり合わせ

価値観大変革の時代である。
過去、常識であったことが、
今は非常識になっている。
過去、非常識であったことが、
今は常識になっている。
そんな変革の時代は、
親子の価値観のすり合わせが
たいへん難しくなってくる。
親が大事にしていた価値観にしたがって、
子どもが生きると、時代の感覚とずれていく。
だから、親が大事にしてきた
価値観を否定して生きていこうとする。
そんな若者が増えてくる。
そういう生き方は、時代の流れには
沿っているように見える。自分もそうやってきた。
でも、そうやって生きてくると、感じるんだ。
親が実現できたことが、
自分にはできないってことを。
「なぜにそうなっちまうのか?」
こいつにものすごく悩むんだ。
確かに親と自分は違う。生きる時代も違う。
でも、親をみて、自分ならもっと
簡単に実現できると思っていたことすら、
できないんだ。
これはいったいどういうことなんだって
ほとほと考えてしまうんだ。
でも、よくよく考えると、
やっぱり自分の問題だったりする。
「我慢とか辛抱、慎重さとか手堅さ」
親が大事に生きてきた価値観、生き方を
見くびっていたんだ。
面白くもない、派手さもない、
ただのステレオタイプの生き方だって、
心の底じゃバカにしてたってことなんだ。
こんな無礼で感謝知らずな自分であるうちは、
自分らしく生きることなんて
とうてい叶わないってことなんだ。
親が、たどり着いた境地には、
決して到達しないってことを意味するんだ。
我慢をバカにすれば、我慢が必要な人生が、
辛抱をバカにすれば、辛抱が必要な人生が
用意される。ただそれだけのことなんだ。
慎重さと手堅さをバカにすれば、
慎重さと手堅さが必要な人生が準備される。
ただそれだけのことなんだ。
親世代の古い価値観をバッサリと
斬り捨てる。そんなんじゃダメなんだ。
徹底的に吟味する。
「何が必要であり、何が不要なのか?」
そういうひと手間が必要ってことなんだ。
大事な価値観は、時代を超えて普遍である。
そのことを、親が生きざまを通して
ずっと教えていたってことなんだ。
ただ近すぎてみえていなかった。
いや、みようとしていなかった。
ただただそれだけのことなんだ。

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