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Constitution

昨今の日本国のリーダーと
言われる方々の姿をみるにあたり、
あらためて、物足りなさを感じる
わけである。

誰かのシナリオを読み、
与えられた役割を忠実に
演じている。

そのように感じてしまうのである。

いや昨今の話しではない。

これは、ずっと抱いてきた
感覚である。

ただ、未曾有の国家の危機に
あたり、それがいよいよごまかせないレベルになってきたというわけで
ある。

だから、あらためて、「なぜにこのような国情になってしまったのか」

これを考えたわけである。

そして、今さらながら、Constitutionの問題に行き着いたわけである。

Constitutionとは、骨格や骨組みのことであり、背骨のことである。

そして、国家の背骨というべき、
憲法のことを、Constitutionと
呼ぶのである。

日本国憲法全文には、日本国民の在り方について、次のように明記されて
いる。

「日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであって、平和を愛する諸国民の公正と信義を信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めている国際社会において、名誉ある地位を占めたいと
思う。」

これが、日本国民のアイデンティティーであり、よりどころなのである。

専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から除去しようと努めるべきは、あくまでも、国際社会。つまり77年前の戦勝国であり、日本国ではないわけである。

日本国は、ただ国際社会の公正と
信義を信頼することで、安全と
生存を保持すれば良いのである。

そして、日本国の役割は、その戦勝国がつくる国際社会の歩む方向性に異議を唱えることではなく、ただ黙って、
名誉ある地位を占めることにある。

日本国は、このような誓いを
国際社会で、立てたのである。

そして、この憲法を、平和の象徴とし、後生大事に守り続けてきたわけ
である。

これが、今日の日本国のリーダーの姿であり、ひいては、日本国民の態度の象徴なのである。

だから、まず、自らのConstitutionを確立することなのである。

自らのConstitutionとは、自分のご先祖の人生であり、家系の流れのことで
ある。

自分という人間の人生の骨格は、
ご先祖の人生で できており、
それを知ることで自分なりの生き方、つまり憲法が確立されてゆくので
ある。

そしてそれをConstitutionとして、
自立的に生きてゆくのである。

そういった日本国民ひとりひとりの
自立的な生き方が、国際社会に
おいて、自立的な態度で臨むことができる。そのようなリーダーを生むのである。

そして、そのようなリーダーの
下で、日本国憲法もまた、日本国に
ふさわしい自立的なものに変わって
ゆくのである。

結局、Constitutionは、誰かに押し付けられるものではなく、ひとりひとりが、自らの人生において、確立して
ゆくものなのである。

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