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天才の言葉には毒がある

誰でも非凡な才能を持っているし、
すべての人が美しいんだ。
自分がいったい何者なのか。
誰かに指摘してもらう必要のある
人間なんてひとりもいない。
あなたは、そのままであなた
なのだ。
~ジョンレノン~

天才の言葉は美しい。
そこに真理があるからである。

かといって、そのまま飲み込んで
はいけない。

美しい言葉は、魅惑的であるが、
毒が入っているからである。

ここでいうところの才能とは、
何だろうということである。

学力や運動能力や芸術的才能という目に見える才能は、誰しも持っているとは言い難い。

なぜならば、他人との比較の上で、
評価されるものだからである。

しかし、勤勉さ、粘り強さ、
優しさや慈しみの気持ち。
創意工夫や、着想という、
目に見えない才能や性格について
考えると、それは誰しも持っている才能となる。

また、自分が何者かであるのかは、
誰かに指摘されるものではないが、
そのままでいて、自動的に、
わかるものでもない。

このように、天才の言葉は、
魅惑的ながら、汎用性がないから、厄介なのである。

凡人なる自分は、そのままでいては、自らの才能を見いだせなかったわけである。

特に、自らにある、目に見えない資質については、他人との比較ができないため、なかなか発見できなかったのである。

だから、あれこれあがきながら、
発見していった次第である。

あらためて思うのは、
ご先祖の人生を調べることである。

少なくとも、父方母方のご先祖を
曾祖父母の代までさかのぼること
ある。

家系の中に、自分が何者なのかを
教えてくれるヒントがあるから
である。

そしてご先祖の命とつながることで、ご先祖から授かった才能の
スイッチが、オフからオンに
なることに気づいたわけである。

自らのよって立つ基盤である、
家系、ご先祖のことをよくよく
知ること。

命の源である両親に本当の意味で、感謝すること。

これができてはじめて、
「自分が非凡な才能をもち、
美しい人間である」と思える瞬間を味わえるのだと、凡人は、考えてしまうわけである。

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