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藍に関連する本1 『藍師の家』

 地元徳島の作家さんによる小説です。大藍師のお妾さんの娘「苗」を主人公としたフィクションの形を取ってはいますが、当時の阿波藍業界事情の真に迫った描写になっているのではないかと思われる場面が随所にみられます。

『藍師の家』 中川静子:著
平成2年(1990年)初版 井上書房:発行


明治期の阿波藍業界大混乱の様子を肌で感じられる

 明治20年、主人公の苗は12歳。大藍師の妾だった母親が病をこじらせ急死し、徳島市内で母と二人暮らしをしていた家を出て父のいる家へ引き取られていくところから、物語が始まります。

 明治20年の阿波藍周辺は、輸入物のインド藍とどう折り合いを付けるか、業界内で揉め事が絶えなかった頃。でも、機械化の進む織物業のおかげで染料の需要全体が底上げされ、蒅もインド藍も潰し合いになること無く市場が成長していた絶妙な時代でもありました。
 物語の中では、輸入物のインド藍をうまく取り入れて商売を広げたい一派と、昔ながらの蒅作りとそのコミュニティを保持したい一派とで鍔迫り合いが繰り広げられます。そのやりとりがリアリティのあるものに感じられ、引き込まれました。
 苗が引き取られた大藍師の須山家そのものが両派に分かれてしまいます。やはり藍師の家から嫁いできた正妻とその実家は、インド藍推進派。そこに取り込まれた長男もインド藍推進派。父は蒅保守派。主人公の苗は、父を支えたいと気を揉みながらそのやりとりを見守り続けるスタンスです。

 彼らのやりとりでは、それぞれの主張のメリットとデメリットが浮き彫りになっています。

 インド藍推進派…
 メリット:増え続ける染料の需要にスムーズに応えるだけのポテンシャルを持つインド藍を扱えば、商売は安泰だ。
 デメリット:これまで家業を支えてくれた小作人や職人の職を奪うことに繋がり、地域を挙げて築いてきた共同体を解体することに直結する。
 
 蒅保守派…
 メリット:これまで通りの地域の共同体を保持し、みんなで仕事に励んで家も地域も盛り立てていける。
 デメリット:圧倒的な量と低価格で押してくるインド藍に対抗する策を明確に持てないままでいる。

 私の気に掛かったのは、インド藍推進派がこれまでの協力体制を下支えしてきた村の人々の去就について無頓着なことと、蒅保守派がインド藍について全く無知なまま(現物を触ったり、甕を建ててみたり一切しない)戦おうとしている点でした。彼らのやりとりは常に平行線が埋まらず、じれったかったです。保守派の頑固さに頭をかかえるインド藍推進派の背中をさすってあげたいくらいの気持ちになることもありました。
 押したり引いたりを演じつつも、蒅保守派は徐々に劣勢に回り、その結果がどうなったかは私たちのよく知るところです。

藍大市の現実がちゃんと描かれている

 この小説のクライマックスとも言える藍大市のくだりでは、商売上の機微を学ぶ上で大切な「現実」がきちんと描かれていたことが印象に残りました。藍大市とは毎年11月に徳島で開催されていた、蒅の品評会と販売会が行われる大規模な催しです。
 苗はこのシーンでは既に病没している父に代わって、この品評会で最優秀賞に当たる「瑞一」を獲得しようと、最高の蒅作りに没頭します。優れた協力者と共に、良い蒅を作ることができたはずなのに、「瑞一」どころか小さな賞に入賞することさえ叶わず、惨敗します。
 なぜなのか…業界をよく知る親戚を訪ね、そのカラクリを学び、然るべき協力者を得て、再度挑戦を試みる苗。商売の世界には「実力だけでは通らない」という場面が頻発しますが、苗もそれを学び、屈託することなくその「作法」を学んでいました。実際に動いたのは協力者となってくれた親戚ですが、それでも苗が何も知らないままでは、何も起こらずに済んでしまった話だったと思います。

 この藍大市に挑戦する流れが描かれていることが、私はとても嬉しかったです。当時の大藍師がどんなことに心を砕き、年に一度のこのお祭り騒ぎにどれほど心血を注いだか、台所事情まで垣間見えるエピソードを挟みながら描かれています。良い蒅を作るための実力だけでなく、「横のつながり」を円滑に結び、みんなで効果的に動くといった全体の動きをプロデュースするところまでが、藍師の仕事だったということがよく伝わってくるのです。

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