HSS型HSPと自覚した日、〈生きづらさ〉から少し、解放された
amazarashiの『空っぽの空に潰される』を数年前にはじめて聴いたとき、ああ、この人は〈理由のない苦しさ〉を知っている人なんだ、とひどく救われた気持ちになった。
楽しけりゃ笑えばいいんだろ 悲しい時は泣いたらいいんだろ
虚しい時はどうすりゃいいの? 教えて 教えて
自分の力不足を痛感したとき。夢への道が閉ざされたとき。誰かに心ないことを言われたとき。失恋したとき。大切な人をなくしたとき。
もちろんつらい。つらいことに変わりはない。
でも、その理由を自覚していれば、心の対処法がわかる。乗り越えるまでに時間がかかるかもしれないし、もしかしたら乗り越えられないかもしれないが、どうすれば心の傷を癒せるか考えることはできる。
なす術がないのは、直接的な理由がわからないのに、どうしようもなく苦しいときだ。
傷つきやすいのに刺激を求める、HSS型HSP
HSP(Highly Sensitive Person)という言葉が日本で浸透し始めたのは、ここ最近のことだと記憶している。直近では、ロンブーの田村淳さんがSNSなどで公言したことが話題となった。
実際は1996年にアメリカのアーロン博士という女性の心理学者が提唱したものだそうだが、わたし自身この言葉を知ったのは、HSC(Highly Sensitive Child)を特集したNHKの番組を観た昨年のことだった。
HSPは、脳の扁桃体の働きが生まれながらに強く、感受性豊かで繊細で傷つきやすい「気質」をもつ人のこと。病気ではなく気質なので、治療が必要なわけではない。むしろ繊細さに起因する優れた能力をもっている。ただ、人口の約20%というマイノリティな存在ゆえに、生きづらさを抱えている人が多いとされている。
(HSPの特性については新宿ストレスクリニックさまのサイトがわかりやすいのでご参考に)
わたしはHSPの特性にだいたい該当する。ただ、これは当てはまらないなぁと思う部分があって(たとえば、HSPは変化や刺激を嫌う傾向にあるが、わたしは自ら変化を求めずにいられない。ただし、変化のなかで疲弊したり傷ついたりクヨクヨ悩んだりする)、まぁ、HSP性の度合いの問題かな?なんて思っていた。
ところが、HSPのなかでも「HSS型HSP」(HSS=High Sensation Seeking)と呼ばれる人が約30%、つまり全人口の約6%いると聞き、その特性を知って驚いた。
簡単にいうと、感受性豊かで繊細で傷つきやすいのに、新たな刺激を追い求めずにはいられない、矛盾を抱えた気質をもつ人のこと。一見するとHSPとは思えない、元気で社交的な人が多いという。HSP/HSS LABOさまのサイトにあるHSS型HSPの特徴22項目すべてに、わたしは200%くらいの勢いで当てはまるではないか。
※ご興味のあるかたはぜひ。
■HSP診断テスト(HSP診断テストさま)
■HSP/HSSセルフチェックテスト(HSP/HSS LABOさま)
生きづらさの〈理由〉を探して
もし10代のころに自分がHSPだと知ったなら、そんな自分に戸惑い、未来に不安を抱いたかもしれない。でも、これまでに散々悩みちらかしてきた30代のわたしは、率直に嬉しかった。
これで、生きづらい〈理由〉がようやくわかった。
そう思ったからだ。
昔から自己肯定感が低く、まわりの目ばかり気にして、気を遣いすぎて疲弊し、誰も覚えていないような些細なことを何日も(あるいは何年も)引きずり、どんなに楽しい集まりでもその夜には必ず「あのときこう言えばよかった」「あのひとことで傷つけてしまったのではないか」とひとり反省会をした。世界のどこかで不幸な出来事があると、自分がなぜ生かされているのかわからなくなり、絶望的な気持ちから抜け出すのに苦労した。
わたしは〈理由〉を探すのに必死だった。そして罪悪感に駆られた。友達は多いほうだったし、家族仲もよかった。勉強はそこそこできて、遊びもたくさんしてきた。大学まで出してもらって、きちんとした企業に就職した。上等ではないにしろ十分恵まれているはずなのに、どうしてそんな自分を肯定してあげられないのか。
自らを納得させるために考え出した〈理由〉はこうだ。絵を描くことが好きで芸術系の高専に進学したが、まわりにはとんでもなくうまい同級生がゴロゴロいた。みんな自分をもっていて、個性がキラキラと眩しかった。非才で平凡なわたしなど、いくら努力してもみんなには追いつけない。その青春時代に味わった挫折が、自分を屈折させているのだと。
それも間違ってはいないのだろうが、それよりもHSS型HSPだと自覚したときのほうが100倍も腑に落ちた。わたしはただ、感じやすい人間なのだ。世の中のあらゆる物事が極細の針のごとく心をチクチクと刺し、考えなくてもいいようなことを考えては傷ついたり疲弊したりする。その代わり、人に強く共感し、音楽や絵画や文学に深く感動する心ももっている。
なんだ、そうだったのか。アーロン博士、ありがとう。
これで生きづらさが解消されたわけではないが、ようやく自分を認めることができた気がした。
HSS型HSPのトリセツ(※個人の見解です)
あくまでもわたし個人の感覚だが、HSS型HSPゆえに、言われるとつらい言葉をいくつか挙げてみる。
■「つらいのはあなただけじゃないから、大丈夫だよ」
100%善意で慰めようとしてくれていることは重々承知している。自分より悲惨な状況に置かれている人がたくさんいることも、もちろん理解している。でも、つらいのは事実なのだ。
この言葉をかけられると、「わたし程度の悩みで苦しむなんて、もっとつらい人に失礼じゃないか」と罪悪感に駆られ、自分を責め、それでもつらいことに変わりはなくて…という負のループに陥ってしまう。
それがわかっているから、HSPゆえの悩みは人にあまり打ち明けないが、もし打ち明けたときは、ただただ深く共感してもらえたらとても嬉しい。
■「悩みとかなさそう」
HSS型HSPは社交的な一面があるため、本当の気質に気づかれていないことが多い。わたしの場合も、社交的でリア充(死語?)なもうひとりの自分を対外的には見せておきたかったし、「繊細なふりして大袈裟」「かまってちゃん」と思われるのも嫌だったので、HSPな面は極力出さないようにしてきた。夫や親友以外、おそらく両親でさえも、わたしのHSP性には気づいていないと思う。
だから思惑どおりといえばそうなのだが、「あなたでも悩むことあるんだね」「絶対うつにはならないタイプだよね」などと悪気なく言われると、モヤッとする。ごく一部の人には「いじっても精神的に大丈夫なキャラ」と思われるらしく、場を盛りあげるためだけのいじりに逐一傷ついたりイラッとしたりする。
でも、そこで本心を言って相手や場が冷めてしまったら、また罪悪感に苛まれてしまうので、その場は笑ってやり過ごして、その人とはそっと距離を置く…。
■「全然喋ってないじゃん」「疲れてる?」
HSPモードで人に会うと「きょう元気ないね」とすぐに言われてしまうので、最初はテンション高めで会う。でも、1〜2時間もするとガソリンが切れ、自分からなにかを喋ることがつらくなってきてしまう(お酒が入っていると多少の延長タイムがある)。
とくに、大人数で他愛のないおしゃべりをするような場が苦手だ。会話の主導権がポンポン別の人に移っていって、ひとつの話題が終わらないそばから別の話題が飛び出してくるような。最初のうちは楽しいけれど、徐々に口をはさめなくなり、そのうち存在感をすっと消す、ということは茶飯事…。
その場に親友がいると、ガソリンの切れたわたしを察して場を切りあげてくれたり、ほかの人から「喋ってないじゃん」と突っ込まれないように、簡単な受け答えで済む話題をうまく振ってくれたりする。感謝しかない。
インタビューライターって、もしや天職?
わたしはライター歴15年で、起業家・経営者・ミュージシャン・クリエイター・文化人などのインタビュー記事を書くことが多い。誰かの人生や哲学に寄り添い、ストーリー立てて記事を執筆していくことが楽しくて続けている仕事だが、これってもしかしてHSS型HSPにものすごくフィットする仕事なのでは…と最近思っている。
「乗り移り系ライター」と、ある編集者のかたに称されたことがある。インタビュイーに憑依して、まるでその人が書いたかのような原稿を書く、というお褒めの言葉(たぶん)だ。インタビュイーがなにを大切にしていて、自身をどう見せたいか、インタビューをしていてなんとなく掴める。これはおそらくHSP特有の共感力がなせる技だ。
インタビュイーが話したことをそのまま文章にすることは、わたしは滅多にない。もちろん、その人が力を込めて話したキーワードは抽出するし、一言一句を知りたいファンがいる芸能人などの場合は別だが、たいていは記事のテーマや戦略がもっとも効果的に伝わるように再構成(ときには、その人が言いたかったであろうことを差し支えない範囲で捏造)する。それでも、赤(修正)はあまり入らない。
社交的で好奇心旺盛な一面もまた、インタビューするには向いている。わたしはほぼノンジャンルでお受けしているので、経営やサービス開発の極意から、カルチャーのトレンド、投資のコツ、美容法にいたるまでをいつも無料で学ばせていただいている感覚だ。共感力が高く調和を好むHSPなら、お相手が不快になるようなコミュニケーションをとることもない。また、取材はだいたい1〜2時間だから、ガソリンを切らさずに終えることもできる。
文章を書くことが得意なかたや、いろんな人の話を聞くことに興味のあるかたにとっては、もしかしたらいい選択肢のひとつになるかも?
「たまたま今日は絶望してんのかもな」
昨年『アウト×デラックス』に出演してアウトっぷりをお茶の間に知らしめた、THE BACK HORN ギタリストの菅波栄純氏。わたしの最愛のアーティストでもある彼は、2012年のインタビュー記事でこう語っている。
心の調子とかも同じで、自分のせいで心の調子が悪いと思う必要もねぇし、誰かのせいって訳でもねぇし、気温のせいかもしんないし、天気のせいかもしんないし。絶望っていうレベルまで落ちちゃうこととかも、ちょっとしたことの複合的な理由だとしたら、「たまたま今日は絶望してんのかもな」って思う手もあるというか。そう思うようになったら持続性が無くなったかもしれない。絶望の。押し込める訳でもなく、いなすというか。
(billboard JAPAN 「THE BACK HORN 栄純単独インタビュー」より)
わたしはこの言葉をずっとお守りのようにしてきた。〈理由のない苦しさ〉に襲われたときは、「きょうはそういう日なんだ」「いまはそういう時期なんだ」と思って、不調が通り過ぎるのをただ待つように心がけてきた。
HSS型HSPであることを知ったいま、自身の生きづらさを〈いなす〉術をまたひとつ、習得できた気がしている。
(カバー撮影・髙田みづほ)
【三橋 温子 Atsuko Mitsuhashi】
株式会社ヂラフ代表/ヂラフマガジン編集長
札幌出身、武蔵野美術大学卒。エン・ジャパン(株)制作部で企業経営者や人事の取材・広告制作を経験後、2013年にライター兼デザイナーとして独立。Web・書籍・雑誌などのインタビュー記事や、紙媒体を中心としたデザインを手がける。10代からライブハウスやフェスに熱中してきた音楽愛を形にすべく、2019年10月に音楽発掘ウェブマガジン『ヂラフマガジン』をオープン。2020年10月に(株)ヂラフを設立。学生時代の著書に『超短編 傑作選』vol.3・4(創英社/共著)がある。
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