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創造力が失われていく瞬間。

インターネットがすごく発達している現代では、大体のことは検索すれば見つけることができます。

ただ、検索ばかりに依存するのは良くありません。

その理由は、何も自ら発想する必要がないからです。

しかし、自ら発想しないことで、自分が傷つかないようにできます。

例えば、友達と遊びに行くとき、「どこに行くか、何をするか」をあなたが決めることになりました。以下の2つのうち、どっちの方が傷つきますか?

①人気スポットに連れて行ったが、喜ばれなかった。
②自分がゲームや遊びを企画してやってみたが、喜ばれなかった。

①の場合は、自分も相手と同じようにサービスを受け取る側になれますが、②の場合は、自分がサービスを提供する側、相手がサービスを受け取る側になります。

①でつまらないと言われたら、自分以外の責任にすることもできますが、②でつまらないと言われたら、絶対に自分の責任です。

そうなると、自分の考えたことが受け入れられなかった②の方が、惨めな気持ちになります。

そのくせ、自分で何かしらの企画の発案をするのは、ものすごく労力のかかることです。

相手の好み、自分が楽しいこと、新しさ、面白さなどをすべて包括した、自分なりの発想を実現するわけですから、そう簡単ではありません。

うまくいかなかったパターンを考えると、自分で企画することがどんどん恐ろしくなっていきます。

その結果、だんだんと検索に依存していくようになっていきます。

もちろん、何かしらの計画を立案して、それを実行するだけで素晴らしいことなのですが、創造性を失うのはもったいないことです。

自分からアイデアを出すのが怖くなってきますし、自分はアイデアを出せない人間だと思いこんでしまいます。

そして、自分のアイデアを伝えるのが怖くなると、自分の言葉に正解を求めるようになります。

自分の言っていることは、人として正しいのか、自分の立場として正しいのか、他人から正しく見えているのかが気になって、自分のアイデアが他人を共感されるのか、笑ってもらえるのかは二の次、三の次になってしまいます。

これでは、楽しいコミュニケーションから遠のくだけで、いつも気を張っていないといけません。

自ら発想する創造力が、その人の個性となって、ユニークさとなるのですから、多少相手が悪い反応をするリスクを伴っても、自ら発想することはやめない方が良いのです。

ネットの情報に自分の考えを寄せていくのではなく、自分の考えを持って、ネットの情報も見てみることを徹底して、自分の発想を大事にするクセをつけていきたいものです。

正解がないからこそ、創造は楽しいのですから。

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