見出し画像

「書く喜び」と「話す喜び」は、似ているようで全く違った。

「話す」と「書く」の違いはなんだろう。

僕は、基本的に話すように書いています。

そもそも文章を書くことよりも、人に話すことが好きなので、あまり話し言葉から大きく離れないような文章にするし、伝わりやすさを大事にしています。

だったら、書くことをやめて、話すことを中心とした活動をした方がいいと考えるときもあるのですが、僕にはそれだけをできない理由があります。

同じ内容でも「話す」という行為になると、空気に大きく左右されてしまうからです。

例えば、ここまでの約200文字の文章の内容を誰かに話す場合、嫌でも相手の表情が見えてきます。

「話すことが好きな理由」に興味を持つ人もいれば、「空気に左右される」という日本人特有の考え方に興味を持つ人もいるし、「僕にはそれができない」という僕の性格に興味を持つ人もいます。

僕は、話している途中で一番反応が良さそうな話題を広げてしまい、結局自分が伝えたいことを100パーセントで伝えることができなくなります。

しかし、文章を書いている途中は文字しか見えないので、自分の一番伝えたいことに集中することができます。

文章を書いている途中に微妙な顔をされることもなければ、文章を書いている途中に笑われることもありません。

だからこそ、人に見せる文章を書くときは、書く前に入念に準備をします。

この話をして矛盾が生まれないだろうか?
誤解のないように伝えられているだろうか?
ちゃんと読む価値があるだろうか?

書くときは、伝えたいことが決まったら、それを伝えるための文章の順序や言葉遣いを徹底的にこだわる必要があります。

それが上手く伝わった時や何度読み返してもいいものができた時に、書く喜びを味わうことができます。

ただ、話す場合は、そんなスピード感ではついていけません。

空気に大きく左右されるため、どれだけ準備したとしても、それを話す流れにならなければ、あまりしっかりと聞いてもらえません。

みんなが楽しい話題を話す空気になっている時に真面目な話をしたら、「空気が読めない」という判断をされてしまうし、どれだけ良い話をしたとしても、楽しいモードになっている人の心に届かせるのは難しいです。

もちろん、自分で空気を変えようとするのもアリですが、それをやれる勇気がある人はそうそういないし、その勇気を温かく受け入れてくれる人も多くはないでしょう。

話している途中で、その場の空気に適切な話を選び、時には空気を支配する勇気も必要で、純粋に愚直に話し続ければ届くわけではありません。

でも、話した瞬間に反応が返ってきたり、自分の計算外のことが起きたりして、書くことでは味わえない喜びがあります。

ただ、そればかりでは自分の思いを100パーセント届けられないから、書くこともやめられない。

結局僕は、空気を読んだことも言いたいし、自分の言いたいことも言いたい性格なんだと思います。

だから、話しつづけるし、書きつづける。

たとえ同じ内容でも、得られる喜びは全く違うから、どちらもやめられないのかもしれません。

面白いと感じてくれた方、よろしければサポートお願いします。純粋に僕が嬉しいだけでなく、もっと量が多く、もっと高品質な作家活動ができます。どうぞ、よろしくお願いします!