見出し画像

「下手」だからといって、罪の意識を持つ必要はない。

ほとんどの人は、「下手」という事実を重く受け止めます。

下手な人は、いくらでも批判されるべきだし、何を言われてもしょうがないし、時間を使う価値もない。

ここまではっきりとは言わないまでも、「下手」に対して冷たいのが、世の中ではないでしょうか。

確かに、仕事などで成果が出ないと、お金を払っている側としては許せなくなり、きつく当たりたくなるのかもしれません。

スポーツなどでも、下手な人のミスで自分がカバーすることになれば、憤りを感じるのかもしれません。

ただ、自分が下手だと自覚した側の人は、挑戦することすらも怖いと思ってしまい、ついつい罪の意識を持ってしまいます。

「自分は下手だから、参加するのは、周りの人に申し訳ない・・・」

そう言って、なにごとも消極的な姿勢を見せてしまいます。

そうして、楽しめることをやらなくなっていって、自ら楽しむ可能性を潰してしまいます。

そんな人の前でも、僕は「気にしないでやろうぜ!」と誘い込むのですが、自分が下手だと思っている人は、それでも罪の意識を持ってしまいます。

これは、僕が小学生のときからよく見る光景で、これほど僕らには、「下手は罪」という意識がこびりついているんだと、子どもながらに理解していました。

それでも、経験を積まない限りは、確実に上手くなりません。

だから僕は、下手だと言う人にも、自分の遊びには、基本的に参加させます。

「最初は見ておくよ」とか、そういうのも聞き入れず、まずはやらせて、やりながら上手くなるコツを教えていました。

下手な人がいるなら、上手い人が教えればいい。

ただそれだけのことだと思うんです。

下手な人は、教えられることに罪を感じなくていいし、上手い人は、楽しい世界に仲間が増えることを喜べばいい。

そうやって、自分たちのいる世界を楽しくしていくことが、大事だと思うんです。

「下手」は、楽しい世界の入口に立っただけにすぎないのです。

だから、何も謝ることはないし、苦しまなくていいんです。

そうやって、僕が教えた麻雀を、僕から教わった人が自分の家族に教えて、年末の家族の恒例行事になっているというのを聞くと、毎回嬉しくなります。

下手を叩かない世界が広がっていけば、もっと良いんですけどね。

面白いと感じてくれた方、よろしければサポートお願いします。純粋に僕が嬉しいだけでなく、もっと量が多く、もっと高品質な作家活動ができます。どうぞ、よろしくお願いします!