「変わり者」だからこそ、愛を持って生きられる。
大多数の人と違う行動をとる人間を、僕たちは2つの言葉で表現します。
大多数の人と違うことをしている人のことを、「カリスマ」と呼ぶ場合もあれば、「変わり者」と呼ぶ場合もあります。
「カリスマ」は人を寄せつけ、「変わり者」は人を遠ざけます。
一見、大きな差があるように見えますが、「大多数の人と違うことをしている」という点においては共通しているので、紙一重の差なのかもしれません。
では、一体、どこで大きく差が開いてしまうのでしょうか。
深く考えてみると、一つの答えにたどり着きました。
その差は「他人が羨むことをしているかどうか」で決まるのではないでしょうか。
カリスマ性がある人は、少し天才に見える瞬間があります。
常に遅刻したり、空気を読まなかったり、どんなときも自分を優先したりして、既存の価値観に囚われていないような素振りを見せます。
その行動自体、まさに「他人が羨む行動」です。
誰だって、遅刻して受け入れられるような存在になりたいし、言いたいことを言いたいです。それを平気な顔でしている人は、なんとなく一歩先を行っている人に見えます。
僕の高校時代の同級生に代々木くんという男がいるのですが、彼はかなりの人にカリスマ扱いされています。
特に東京に出てきてからは、既存の価値観に囚われていない感じが、人々を惹きつけ、彼の周りにはたくさんの人が集まりました。
一方、東京に出てきてから、全く周りに人を寄せつけない「変わり者」もいます。
何を隠そう、その人物こそが、稲本稲三です。
既存の価値観に囚われていないような素振りを見せることは同じようですが、その内容は、あまり共感されることではありません。
トーク力が下がるので酒は飲まない、お腹の状態を変えたくないから毎日同じものを食べる、仕事でも遊びでも遅刻はしないなど、ある意味、価値観に囚われているような感じもします。
そして、その行動の全てが、誰にも羨ましく思われません。
ちなみに、一度も共感されたことがありません(笑)。
僕と同じように、誰にも羨ましがられない思想を持つ人、行動をとる人はいるでしょう。
ただ、それでも悲観する必要はありません。
数多くの人に共感されなくても、時代が追いつくこともありますし、少数の理解者が現れることもあります。
僕らは、そんな「少数の理解者」を、一生大切にしなくちゃいけませんし、自然と周りの人を大切にするでしょう。
僕たちの特権は、愛される機会より、愛を与える機会が多く訪れることです。
たくさんの人がいないからこそ、愛を分散させすぎずに、他人に与えることができます。
愛を持って接することだけは、カリスマに負けないようにしたいと思います。
今週の「深夜の5時間目」の29分50秒頃で「変わり者」について、少し違うニュアンスで話しているので、良かったら聴いてみてください。
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