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自分を肯定したいがために、相手を「悪者」にしてはいけない。

僕は、基本的に家で作業をすることが多いのですが、引きこもりすぎて気分が悪くなりそうなときは、充電ができたり、Wi-Fiがあるカフェを調べて、そこで作業します。

以前は、家の近くの行きつけの店を何度も利用していましたが、最近は、違う街の初めて行くカフェに出かけています。

しかし、毎回のように、かえって自分を疲れさせる結果となっていました。

僕は、あまり人の親切を断れません。そのため、カフェに入店したとき、店員の方に席を案内されると、指示通りに座ります。

その席の近くにコンセントがあるのなら、何の問題もないのですが、時々、案内される席にコンセントがついておらず、パソコンが充電できないことがあります。

座った手前、「移動していいですか?」とも言えませんし、そもそもどの席にコンセントがあるのかもわかりません。

さらに、店によっては、ある程度の時間が来ると、追加オーダーを注文させる場合もあるので、時間を気にしつづけなければいけないときもあります。

僕は、相手には気を遣わせたくないので、店員の方に声をかけられる前に店を出るようにします。

しかし、ある時、こう思いました。

カフェって、こんなに居心地が悪いもんか?

他の人も、僕と同じように、居心地が悪そうにしているのかを、観察することにしました。

すると、周りの人は自分の家にいるかのように、カフェでくつろいでいるように見えました。

どんなタイミングであろうが、店員の方に席移動を頼み、店員の方が忙しそうでも「すいませーん!」と大きな声で呼びだします。何時間でもいる人もいますし、ずっと電話している人もいます。

その時、僕の頭に思い浮かんだ言葉を素直に書きます。

「うわっ、迷惑な客だな」「忙しいのなんて、見てりゃ分かるだろ」「何時間もいて、眠くなってるなら帰れよ」「電話の声、デカいな…」

とはいえ、この人たちを悪者にしているのは、実は自分自身なのです。

店だって、客はいた方が良いです。席移動も大変な手間でもないですし、混んでいなければ何時間いても問題ないこともあります。

本来、くつろぐ空間であるはずの店で、僕が勝手に気を遣っているだけなので、他の人の振る舞いの方が正しいのです。

僕が、負の感情に苛まれたのは、単純なことです。

自分を肯定するために、相手を悪者にしただけなのです。

本当は、自分もわがままになりたいけど、気を遣う性格だからできない。

そんな時、自分ができないことをしている人を見ると、悔しくなってしまって、相手を強く否定したくなるのです。

それは、無意識かつごく自然にやってしまう思考なので、それに気がついていない場合は、ずっと「他の人のマナーにいらだっている」と勘違いしてしまいます。

僕は、それに気がついたとき、負の感情がサーッと流れていきました。

悪者を生み出すのも消すのも、自分が決められるなら、いない方が良いに決まっています。

カフェに憎しみを持ち込む客の方が、よっぽど迷惑です(笑)。

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