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友達ができないのは、誰のことも信じていないから。

「仲が良い悪い」の境界線は、“その人と会った後の自分の感情”で決まると思います。

その人と会った後に、「あぁ、すごく楽しかった」という言葉が自然と出てきて、余韻に浸れるのなら、その人とは相当仲が良いと思います。

僕は、基本的に小学校からの同級生の千葉くんや、高校からの同級生の代々木くんとばかり会っていますが、帰った後は「楽しかった」という感情で、心がいっぱいになっています。

「友達と会うこと」は、こういう感情に達することだと考えていました。

しかし昨日、数年ぶりに中学の同級生と会った時、そういう類の感情は抱きませんでした。

もちろん、久々に再会して、いろんなことを喋って、たくさん笑って、充実した時間を過ごせていたことは間違いありません。

ただ、帰りの電車で僕が抱いた感情は、「楽しかったぁ!」という満足感よりも、「ちゃんと楽しめたかな?」という不安感でした。

中学の同級生4人で話していたのですが、話している頻度は圧倒的に僕が多く、話を他の3人にうまく均等に振れなかったり、相手の発言を面白くできなかったり、そして何より、自分自身が途中で疲れていることに気がつきました。

自分が喋りすぎて疲れているのに、どうして喋るペースを落とせないのか。

その理由は、相手と自分を信じていないからです。

よく会っている千葉くんや代々木くんの前なら、完全に相手と自分を信頼しきっているので、無理に話そうとはしませんし、楽しませようともしすぎません。

自分が喋りすぎなくても、自分の良さを出せると思っているし、相手の良さも勝手に出てくると思っているからです。

しかし、会う頻度が減った人や、あまり喋ったことのない人に関しては、どうしても「自分が無理して頑張れば、みんなが楽しくなる」と思っている節があります。

そのため、時々変な雰囲気になりそうになったり、沈黙が続きそうになったりしたら、自らそこに飛び込んでいって、場を盛り上げようとします。

それでみんなは楽しんでくれるのですが、僕としては「友達と話している」というより、「接待している」という感覚に近くなります。

そうすると、自分も疲れてきますし、うまくいかなかった部分を振り返り、反省してしまいます。

そもそも、友達に対して、そんな反省心を持つ必要はないのに(笑)。

僕が積極的に話しかけているので、一見僕の方が歩み寄っているように見えますが、実際は僕が壁を作っているのかもしれません。

相手に好意があるなら、相手と自分を信じたコミュニケーションができる「友達」としての関係を築いていくべきだと思いました。

相手のために自分を削らなくても、自分が純粋に楽しい関係性こそが、「本当の友達関係」です。

友達ができない人は、自分も人も信じられないだけなのかもしれません。

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