文章を書くことで、真理に近づく。
「文章を書く」というのは、一番面倒で、一番楽しいことです。
ここ数日間、多忙スケジュールだったので、他の人に文章を書いてもらっていました。
彼らに依頼したテーマは、「稲本稲三の紹介文」。
僕を知らない人に向けて、僕がどんな人間なのかを1000文字程度で表現してほしいとお願いしました。
依頼した人たちは、高校時代の友達で、僕については詳しい人たちですが、全員が同じような文章にはなりません。
僕が彼らに見せる姿は変わらなくても、彼らの感じ方や、表現方法、伝える順序がバラバラで、同じようにはなりませんでした。
例えば、僕のことを「面白い人間」だと伝えたい時、ただただ「面白い」と言うのは簡単ですが、どう面白いのかを伝えるために、どんな言葉を選択するのかに個性が出ます。
まずは、こういう表現がありました。
ひとことで紹介せえっちゅうんなら、「おもろいヤツ」これに尽きるやろ。
一見、シンプルに伝えているようですが、「ひとこと」という制限を自ら設けて、「おもろいヤツ」という言葉が後にくるので、強調されます。
この手法を使えば、その後の具体的なエピソードが聞きたくなりますし、一言では言い表せないほど、伝えたいことがたくさんあるんだなと、ある程度予想できます。
続いて、こんな表現もありました。
自分の弱い部分、苦手な部分を笑いに変えて、魅力としてちゃんと仕立てることができるのが彼の魅力です。
僕の魅力が伝わるように、具体的な得意分野を明確に書くことで、僕という人間を表現しました。
こういう風に書くと、弱い部分をさらけ出しても大丈夫な存在ということが伝わるので、親しみやすい印象になります。
こういう表現の数々は、彼らが本当に思っていることですが、僕本人に対して直接伝えたことはありません。
おそらく、他人に口頭で伝えるときも、こういう言葉遣いを選ばないでしょう。
しかし、文章で可視化することで、自分の表現に対して疑いの目を持つようになります。
口頭なら、発言を消すことはできませんが、文章なら、文字を消すことができます。その代わり、文字はずっと残るモノなので、正確に書くことが大事になります。
だからこそ、自分の本当の気持ちを考えるようになって、結果的に真理に近づきます。
自分の本当の気持ちを知りたい時、相手の本当の気持ちを知りたい時、文章を書くことで、僕らは真理に近づきます。
文章を書く機会は減っても、文章との付き合いは永遠に続けた方が、自分に正直に生きられるのでしょう。
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