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「記憶力なんて、こんなに要らない」って思ってた。

僕は、「記憶力」が良い方だと思います。

十年前のことでも鮮明に思い出せるし、人の名前もすぐに覚えられるし、簡単に忘れることもありません。

この能力が素晴らしいと思う人もいるでしょうが、僕は何度も「記憶力」を恨んできました。

小学5年生のとき、僕には同じクラスに仲の良い友達がいました。

その友達は、部活も違うので、週に1回しか遊べる日がなかったのですが、その週1回は必ず遊んでいました。

クラスの中でも、グループ分けするときには、いつもその友達と一緒に組んでおり、あまりの距離感の近さに「これって親友かも!?」と思っていました。

ある日、学校の清掃時間に、その友達は「今週の土日、野球部が練習休みだから、土曜日、俺の家泊まろうぜ!」と言いました。

僕は、その友達の家に泊まれることが嬉しく、しかも自分だけが誘われていることに対して、優越感に浸っていました。

僕らは、土曜日の夕方に映画を観て、夜は焼肉を食べて、深夜まで恋バナをしようと、想像を膨らませて話していました。

家に帰って、両親にそのことを報告して、土日までウキウキしながら待っていました。

そして、土曜日。

僕は部活を終えて帰り、夕方ごろになったので、「もう、行って大丈夫?」と聞くために、確認の電話を入れました。

電話をかけると、その友達のお母さんが電話に出て、僕は「○○くん、いますか?」と呼び出します。

「あぁ。今、△△くんと出かけていないよー」

僕は、その言葉を聞いた瞬間、一気に体温が奪われていくのを感じました。

「あの、何時ぐらいに帰ってきますか?」

「うーん、多分、△△くんのお母さんも一緒に、遠くの方に出かけたから、夜の10時ぐらいとかじゃないかなー」

僕は、「分かりました・・・」と、声を震わせて受話器を置きました。

その友達は、僕との約束を覚えていなかったのです。

自分だけが舞い上がっていて、恥ずかしい。

お父さん、お母さんになんて言おうかな。

やっぱり俺には、親友なんていないか。

そのとき僕は、はじめて記憶力が良い自分を恨みました。

その友達は、もしかしたらその瞬間は、本気で僕を家に泊める気だったのかもしれない。

しかし、宿題やったり、部活やったり、他の友達と遊んでいる間に、僕との約束は忘れてしまったのでしょう。

その友達ぐらいしか親友と呼べる友達がいない僕は、その約束を風化させないようにしっかりと覚えていたのでしょう。

こうなってしまったら、その友達とはもう遊びたくない。

約束をすっぽかされた瞬間はそう思ったのですが、そうもいきません。

その友達を完全に嫌いになれないし、今後一切遊べなくなるのはイヤだ。

僕は、月曜日の学校で、普通の顔をして一連の出来事を話しました。

するとその友達は、「えっ!? そんなこと言ったっけ?笑」と笑っていました。

そうだよな。記憶力が良い俺が可笑しいんだよな。

やっぱり僕は、記憶力が良い自分を恨みました。

忘れた方は腹の底から笑ってて、忘れられた方は作り笑いをする。

本当はその方がおかしいと思うんだけど、みんな、俺と同じレベルの記憶力を持ってるわけじゃないもんね。

それからも、僕は何度も友達に約束を破られて生きてきました。

そんなこと忘れればいいのに、いつまでも覚えてしまい、一度でも約束を破った友達のことを、未だに信じきれません。

みんなにとっては覚えることが難しくて、僕にとっては忘れることが難しい。

大人になった今でも、ときどき記憶力を恨むことがありますが、最近は「記憶力」とも上手く付き合っている気がします。

久しぶりに同級生と会うと、ほとんどの人が「あー、学生時代の記憶、ほとんどないわー」と言って盛り下げるなか、僕は「そうなの?お前が小学2年のときさ・・・」と会話を途切れさせずに盛り上げています。

みんなが覚えられないことを覚えていれば、それだけで大きく貢献できるのです。

記憶力の良い人、どうか胸を張って生きてください。

人と異なる部分がある人は、他の人にはできないことができるんですから。

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